遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

こんな人がいた~『岡本太郎その20 「対談集その3 アオシマだぁ~っ!続き』

2023年12月17日 | 絵画



 昨日の続き 青島幸男との対談の超要約記述から始める
 原文の1割以下に要約したが 文意は曲げていない(と思う)

【日本の民主主義は小児的段階】
 青「先生とは昔映画を作った頃からの知り合い 変わらずの駄々っ子ぶりで」
 太「おれが純粋すぎるんで周りが煙ったくなるだけだよ」
 青「本当に素直じゃないよね。でも子供がそのまま大人になった感じ」
 太「人間 初めは子供 大きくなると純粋さを忘れるからダメなんだ」

 ・・・親がダメ 学校の先生がダメ と教育論から始まるが話はすぐ政治へ
 太「日本の民主主義をどう思う? 青島国会議員としては」 
 青「戦後 主権在民になり形はできたが 今は全く別の方向に行ってる」
 太「民主主義が押し付けられただけ 裏で何も変わらずゴマカシだらけだ」
 青「フランスなんか 個人が政治とかに関心を持っているように見えますが」
 太「国家は民衆の生活よりあとに生まれたから 彼らは国家を信用してない
  だからこそ関心を持ち批判する 19世紀頃まで農民なども戦争とは無縁
  それが国境線が引かれ国家ができて・・・という時代を経て来た
  日本にはその歴史がない 維新以来の政治も民衆が闘って勝ち取ってない
  生みの苦しみが日本には無い」

 ここで文字休み 青島幸男の政見放送・・・次点で落選


【責任を取らない日本の政治家】
 続いて二人の議論は 政治の衆参の在り方の議論へ
 太「とにかく政治は対立する流れが無いと 無意味になるだけ
  保守があるから革新がある ただ社会主義は統一されるからそれが問題
  革新は大いに闘うべし 保守は考えを改めるべき」
 青「市川(房江)さんが大量得票した 参院は本来の使命を取戻すべきだ」
 太「参院が純粋に国民の意見を代表すれば 衆参両院がある意味が生まれる」
 青「だから僕は参議院に立候補したんですよ」
 太「君はそうだが 今度は国民も政治意識を少しは持ったようだ
  米国民も政治意識が低いが少し変わるだろう ぼくは保守は支持しない」 

 そろそろ青島の本音が出始める これが彼の狙いだったのだろう
【岡本太郎は参議院に出るべきだ】
 青「組織や金に左右されず 是非を判断できる無所属の人が 参院に集まる
  そして花森安治さんも出てもらいたい 太郎さんは率先出るべきだ」
 太「議事堂なんて汚い醜悪な建物におれは絶対入りたくない 赤絨毯なんて」
 青「良識の代表のあなたが参院を白い目で見て おれに関係ないとは・・・」
 太「おれはおれで一般大衆に対して絶えず本当のこと言ってるからね」

 ・・・青島は説得を続けるが太郎はウンと言わない
【パラダイスより地獄へ行きたい】
 太「おれは君より苦労して闘ってきて全部裏切られた
  日本人は全部何らかのシステムに属している そのシステムに入らず
  孤独に闘ってきたが成果は無い パラダイスは永遠に来ない」
 青「明日には来ないが 絶対に来ます」
 太「パラダイスなんて退屈だ おれは地獄に行きたいよ」
 青「地獄指向よりパラダイス指向の方が人間として妥当なんじゃないかな」
 太「妥当という言葉が嫌いなんだ」
 青「ほんとうに強情だね でも 二人とも無人島にいるわけではないから」
 太「ぼくはいつでも無人島にいる感じ」
 青「お互いここに住んでいるんだから 少しは住みよくしようって言うの」
 太「お互い なんて言ってくれるな おれはひとりだ」
 青「分かりましたよ でも 意地でも太郎さんを国会に出したくなったよ」
 
 ・・・というわけで ああ言えばこう言う 青島の説得は不成功で終った 
 
 青島幸男が放送作家として作ったTV番組


 青島幸男の二人だけの同窓会


 今日はこれで終わり それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

こんな人がいた~『岡本太郎その19 「対談集その2 アオシマだぁ~っ!』

2023年12月16日 | 絵画



 [対談集 岡本太郎 発言!]の目次と睨めっこしながら考えた
 前回 最終5章から始めると書いたが 早くも気持ちが変わっている
 年代順がいいような気もしてきた それとも登場回数の多い人か?

 多いと言っても2回が最高
 人名で書くと 勅使河原蒼風・花田清輝(うち1回は司会)・青島幸男の3名
 アオシマだぁ~っ! なんて昔流行った・・・気楽に彼でいこうか

 年代でみると1回目が1966(S41)年 この時は野坂昭如と二人が対談者
 対談の見出しは 「独身は不便でショ? 猛烈にいいよキミィ」
 面白そうだが 饒舌の野坂が入ると 超要約記述がタイヘンそう!

 2回目は青島一人だけ
 その時の見出しは 「もの言えぬ世の中はもう二度とごめんだ」
 これにしよう!

 青島幸男 1932(S07)年ー2006(H18)年
 作家・作詞家・タレント・司会者・俳優・放送作家・映画監督・歌手・政治家
 因みに岡本太郎は 1911(M44)年-1996(H08)年 20歳ほど年上

 政治家歴 二院クラブに所属 参議員議員比例区1968(S43)ー1995(H07)
  第13代東京都知事 1958(H07)ー1973(H11)

 岡本ー青島対談は1974年だから東京都知事を辞めたあとになる
 それでは超要約記述を始める

 というところで時間切れ
 実はこれから土曜大工を始める 人手も頼んであるのでもう変えられない
 明日にまた続きを書く
 
 近頃 1960~70年代の東京の映像を集め出したので 2編を埋め込む
 【都電の様子】

 【中川放水路の建設】

 それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

こんな人がいた~『岡本太郎その14 「メキシコとの出会いから壁画制作へ」』

2023年12月11日 | 絵画


 岡本太郎とメキシコとの出会いを調べ直した
 灯台元暗し・・・彼がパリ在住の頃 メキシコ文化との出会いがあった

1933(S08)年 22歳
 彼はアプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)協会に最年少で参加
 そのメンバーで親しかったクルト・セリグマンから写真を見せられる
 当時新たに発見されたメキシコの古代遺跡のピラミッドや神像の数々
 それらを写した写真だった

 初めて見る中南米の古代美術 その圧倒的な存在感に太郎惚れ込む
 "美醜、巧拙などを超えた不思議な形をして なぜこんな形を作ったのか
 そう思えば思うほど強烈に惹きつけられ 吸い込まれた
 私は自分のうちに 異様な階調に共鳴する深みを自己発見した”

 太郎は昨日書いた1963(S38)年に、メキシコ旅行し遺跡を見た
 彼が驚嘆した神像は「コアトリクエ」~古代アステカ神話の地母神だ
 
「蛇の淑女」と呼ばれるコアトリクエ石像 右はそのイラスト(拡大無し)
  
 
神像を見た太郎はこう書く
”化け物か動物か人間かわからないが 私の最も好きなものの一つ 
端正さなど微塵もない どっかり重く執拗に不気味に無限に繰り返される
しかしダ・ヴィンチやミケランジェリの傑作より はるかに圧倒的な
人間的・芸術的共感で迫って来る"

岡本太郎美術館の常設展のPV映像でもチラとコアトリクエが出て来る


 メキシコのピラミッド遺跡の映像


太郎はモダンな西欧中心の美術史に疑問を抱き 古代芸術に惹かれてゆく
それが縄文の美 呪術と芸術が混淆した古代文化への発見と繋がる
というわけだが そろそろ最初の疑問本題に移ろう
メキシコでなぜ巨大壁画「明日の神話」を作ることになったのか?

1966(S41)年 太郎55歳
メキシコ市の実業家マニュエル・スワレスは国を代表するホテル建設を構想
芸術家のパトロンでもある彼は そのロビーを壁画で飾りたいと考えていた

1967(S42)年 太郎56歳
スワレスはビジネス仲間の造園業者から 面白い絵描きが日本にいると聞く
名前は岡本太郎 メキシコにも関心があるという
即断・即決のスワレスは日本に飛び 岡本太郎を訪ねる

スワレスと太郎は意気投合する
が 太郎は'70年万博のテーマ館展示プロデューサーに就任したての忙しさ
しかし 周囲の心配をよそに彼はスワレスの仕事を引き受ける
 
 このあと太郎はTVドキュメンタリー「岡本太郎の探る中南米大陸」撮影で
 2か月ほど中南米を旅行~その映像を探したが見つからず

1968(S43)年 太郎57歳
 完成した壁画「明日の神話」の下絵を携え 太郎はメキシコを訪れる
 長さ30mの中央に原爆で燃える骸骨人間・・・明らかに反核・非核の壁画だ
 スワレス事業の重要顧客・米国にとっても挑発的な絵柄だった

 絵を黙って見ていたスワレスが言う
 "大きなスーパーを造る予定だ そこに君のアトリエを建てて提供しよう"
 こうして万博広場と掛け持ち 太郎は合間を見てメキシコへ通い続ける
 スワレスは「明日の神話」を「ヒロシマナガサキ」と呼んで周囲に紹介した
 
 余談だが 太郎はメキシコの酒テキーラが大好きだった
 マリアッチの音楽も 酒場で歌い踊る明るく陽気な人たちも
 今日の終わりに1曲 太郎がいたら一緒に踊り出すかもしれない


 それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

こんな人がいた~『岡本太郎その13 「壁画制作とメキシコへの旅」』

2023年12月10日 | 絵画
薄曇り どこで撮ったか 紅モミジ この時期はなぜかモミジ写真撮影家になる・・・


 岡本太郎は「明日の神話」をメキシコで制作した なぜメキシコなのか?
 疑問に思ったので 壁画や彫刻制作とメキシコ旅行を年譜から調べてみた
 ついでに こんなこともやっていたのか というところも・・・
 下線部分はG-drive画像またはYoutube動画(UTと略)にリンク

1952(S27)年 41歳
日本橋・髙島屋地下通路にモザイクタイル壁画「創生」制作

1955(S30)年 44歳
「実験茶会」亭主としてアトリエで茶会 客に丹下健三・北大路魯山人ら
ヘリコプターで東京・銀座の夜空に光で絵を描く
 SF映画「宇宙人東京に現わる」(UT)の宇宙人等のデザイン、色彩指導 

1956(S31)年 45歳
 築地・松竹セントラル劇場にモザイクタイル壁画「青春」を制作

 東京・大手町の大和証券ビルに陶板レリーフ壁画「踊り」を制作
 丹下健三設計の旧東京都庁舎に
「日の壁」等7面の陶板レリーフを制作
1957(S32)年 46歳
第11回ミラノ・トリエンナーレに陶板壁画「陽」を出品

1958(S33)年 47歳
国鉄・神田駅に「花ひらく」等、3面のクラッシュタイル壁画を制作
1959(S34)年 48歳
武智鉄二演出の野外オペラ「ローエングリン(東京国立競技場)の美術を担当
第44回二科展に彫刻「動物」を出品 沖縄を旅行し「御嶽」に感動
長野県・戸倉上山田スポーツランドに高さ約4mの
彫刻「無籍動物」制作
1960(S35)年 49歳
東京・銀座松屋中央ホールに空間造形「真夏の夢」(UT)を制作

1961(S36)年 50
草津・白根山でスキー中に骨折。ギプスをはめた足を見て彫刻「あし」制作
東宝劇団歌舞伎旗揚げ興行「寿二人三番叟」(東京宝塚劇場)の美術を担当
1962(S37)年 51歳
カルピス食品工業相模原工場にモザイクタイル壁画「初恋」を制作
翌年にかけ高野山ほかの各地の信仰・祭り等を取材 雑誌に紀行文を発表 
川崎市高津区・多摩川河畔に岡本かの子文学碑「誇り」を制作
東京・池袋駅前広場に高さ12メートルのクリスマスツリーを制作
1963(S38)年 52歳
フランス・アメリカ・イタリア・メキシコを旅行する
東京・池袋駅前広場に、東京オリンピック記念モニュメントを制作

 ようやくメキシコに辿り着いたが 年譜で分かるのはここまで
 旅行順も仏→伊→スペイン経由でキシコ行きなら分かる気もするが・・・
 メキシコのどこに、何に惹かれたのか?
 冒頭の疑問を残したまま今日は終わり 明日またお会いしましょう
[Rosey]

こんな人がいた~『岡本太郎その12 「従軍と反戦」』

2023年12月09日 | 絵画


【パリからの帰国と従軍】 ""内は岡本太郎の著書等からの超々要約記述
1940(S15年) 29歳
 ナチ独軍がフランスに侵攻 岡本太郎は日本へ帰国
1941(S16年) 30歳
 徴兵検査を受け 翌年 戦争画記録の報道班員ではなく初年兵として出兵
 自動車中隊に所属し、中国大陸の戦地を転戦



 ”軍隊での上官による鉄拳制裁を太郎は観察する
 制裁の1人、2人目は上官の気分も乗らない 3人目くらいから調子が出て
 4人目がもっとも手酷い目に合う その後は上官も飽き?てお座なりになる
 それを知った太郎は 必ず4人目に自ら名乗り出た
 誰かを庇うためでなく 理不尽な出来事に屈しない自分を見出したいからだ
 それが新しい創造 新しい芸術を目指す覚悟であり流儀でもあった"

1944(S20年) 34歳
 敗戦 太郎は長安で捕虜生活を送り 翌年日本に帰国
 "青山の家も作品も空襲で焼失 人生でもっとも残酷で辛い時代 だった"

 上記に述べた戦争体験が 新生岡本太郎を生んだきっかけとなる
 太郎は自分の作品を決して売ろうとしなかった
 収集家や好事家の収蔵=死蔵 芸術は人々の生活の中にこそ必要だから

 ラジオ放送・テレビ出演・講演・著作・絵画・壁画・陶芸・写真・建築物・・・
 彼があらゆるメディアを使ったのも 芸術を生活の中へ普及させたいから
 封建制の打破など 諸々の社会課題解決こそ太郎の目指す芸術である
 パブリック・アートもここから生まれて来る
 ・・・と力説しても力不足 やはり太郎の作品に語ってもらおう

 中央が原爆で焼かれる人 左下はビキニ環礁の水爆実験で被爆した第5福竜丸

  建造から70年の第5福竜丸


 「明日の神話」がメキシコで描かれたことは先日紹介した
 高さ5.5m 長さ30mの超巨大な反戦壁画である
 その真ん中には 核の火に焼かれて骸骨になった人間が描かれている

 そんな壁画をなぜメキシコで?
 それには興味深い逸話があるのだが 明日紹介する
 今日はここまで 明日またお会いしましょう
[Rosey]