遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

永井荷風#60 とりあえず終わって余話少々

2024年03月31日 | 日記
 
 じゅんさいの池

荷風の晩年を支えた相磯凌霜と阿部雪子
この二人の情報にも進展がない 何か分かったらあらためて書く

荷風は 1952/S27年11月3日 74歳の時に文化勲章を受章する
授賞日の「日乗」には 授与状・顕彰状・文化功労年金証書の内容を書いている
年金額50万円・・・大晦日の「日乗」に50万円は"その後何の通知も無い"と書く
権威には楯突く荷風も 年金50万円には勝てなかったのか・・・

1959/S34年4月30日 逝去する 享年79歳

"墓は不要"と書きましたが こちら(雑司ヶ谷墓地)に碑?があるようです

荷風シリーズは一旦これで閉じ 何か分かったら散発で書くことにしたい 
今一番関心があるのは伊庭心猿という人物・・・一昨日のブログ参照

手児奈祠畔 
 かつしかは都の果やはたた神 さめきらぬ酔ひに葛西の馬鹿ばやし
蓴菜池 (じゅんさいいけ)
 土筆摘む子に教はりし釣場かな
真間大黒天 
 環俗の尼のうはさや草の餅
下総国分寺址 
 茶の花にほまち田つづく札所かな

特に眼についたのが蓴菜池の句~市川にじゅんさいの池があるようだ


子どもの頃 遊び場だった丘の上にじゅんさい池があり よく遊んだ・・・
だけでなく みんなが池からじゅんさいの実?を取って食べていた
ヌメヌメとした食感は覚えているが 味となると記憶には残っていない
それでも 食糧難で何でも食べた時代が懐かしく思い出される
今時のスーパーなど これは売っていないような気がする
と思っていたら 高級料理店のこんな動画があった でも味は伝わらない

それでは今日はここまで
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

永井荷風#59摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#12~交友録その8

2024年03月30日 | 日記

 浅草仲見世 1911/M44

昨日は専ら文字による紹介だったので 今日は動画で行きたい
初めに荷風が1946(S21)年から住んだ市川市の風土記を観る


 翌1947(S22)年には 相磯凌霜氏別邸(船橋市海神)に日参した
 海神には遊郭があったらしいが 荷風の目的は 執筆・読書・散策である
 残念ながら海神の動画が無いので 船橋の昭和初期のスケッチを


 翌1948(S23)年 荷風は罹災後3年ぶりで東京の土を踏む
 ちょうどこの頃の東京の映像があったので紹介
 (字幕アイコンC→設定ボタンC→字幕(1)C→自動翻訳C→日本語C)


それから浅草へ足繁く通う 時に銀座へ 時に新小岩・小岩あたりへ
荷風がよく通った浅草六区の歴史動画2編
 


 今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

永井荷風#58摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#11~交友録その7

2024年03月29日 | 日記
市川真間 手児奈堂 
wooboo - 投稿者が撮影, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9588513による

市川図書館サイトを見ていたら面白そうな人物がいた
荷風の原稿・書簡・色紙・短冊など偽筆・偽作して売り捌いたという

まずは荷風の「来訪者」を読んで見る~青空文庫にリンク
これは偽書ではなくホンモノ ミステリー仕立て+艶話の作品・・・面白い!
この冒頭に木場貞という男が出て来る

その木場貞が「来訪者のモデル」という短編を書いている~青空文庫にリンク
荷風作品のモデルがその名前で作品を書いているのである
荷風の「来訪者」はそれだけでも面白いが 新たなミステリーが加わった感じ

実は この「木場貞」という筆名が 伊庭真猿のものなのである
もちろん伊庭真猿名での著作も青空文庫化されている


今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

永井荷風#57摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#10~交友録その6

2024年03月28日 | 日記
 品切れ中

前回で相磯凌霜のことが分かりかけてきた
並行して阿部雪子のことも調べていたが こちらも少しずつ進展している
二人とも荷風の市川暮らしには欠かせない人物
そこで「戦後日瀝その一」よりこの年の二人の足跡を要約記述引用する

敗戦後の1946/S21年1月から荷風は市川に住んだ(従弟の杵屋五叟宅に寄寓)
1/27 夕刻凌霜子来話 「新富町の妾宅が焼けずに済んだので記念に」と
 鮓と萩の餅を数個ずつ貰った
2/11,23,28,3/10,14,4/10,20,21,25,29  凌霜子来る
 4/20の凌霜の句(欄外記述) 
出汐まつ舟の灯や春の雨  佗住や足袋干すほどの春日影

8/28  凌霜子來る 船橋市海神町の別宅に案内され夕食をご馳走になる
日中は誰もいないので 執筆・讀書に使ってください と言われる
9/2,11,19,26・・・凌霜子來る

9/20、21 荷風は近傍の売家を見に行くが気に入らない
10/3ー6,31,11/1,19,20 海神へ行き散歩・執筆する

11/21 小篇「羊羹」書き上げる 帰途菅野の齒科医に寄り病歯を拔く~11/22,24ー29,12/1-2 海神で執筆する
12/5  午前貸間(小西方)を見る
~12/6-8 午後海神で執筆する 7日に短篇「指環」脱稿する~
12/9  小西氏を招いて飲む
12/10 午後小西邸内の一室を借りラジオ避難所とする
12/11,13 小西邸で執筆する(12日は海神へ) 
12/16,18,19,20 小西邸で執筆する 短篇「畦道」脱稿

凌霜子の件はとりあえずここまで
荷風にとって五叟宅の環境がどれほど苦痛だったかがよく分かる 

次は阿部雪子に移ろう

5/4  午後阿部雪子來る 白米を贈られる 
林龍作(※)氏 去年蘆屋で兵火で秘藏の樂器などを焼かれたという
 Vn奏者・・・阿部雪子も林氏からVn演奏を習っていた(らしい)
その後 7/1,8/19,9/10,11/11,12/3,12/15に訪れている

阿部雪子は偏奇館時代の荷風と知り合っている(1943/S18/2/14)
上野の美術学校(現・東京芸大)構内の「国宝調査会」に勤めていた
住まいは大森区(現・大田区)南千束
阿部雪子で分かったことはここまで

荷風の晩年の存在を支えた二人 この続きは次回に
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

永井荷風#56摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#9~交友録その5

2024年03月27日 | 日記


昨日 情報不足に泣かされた相磯凌霜(あいそ・りょうそう)
荷風の晩年には欠かせない人物なので ネットを中心に情報を探した
結果 分かったことを以下に列挙する

鉄工所重役だった 鉄工所の名は新井鉄工所(冒頭写真:本社ビル)
創業1903/M36年の百年企業 所在地は現・墨田区江東橋2丁目 
2020年に製造業から撤退 総合不動産業「アライプロバンス」 となった
 コーポレート・ムービー   Webサイトへのリンク


相磯の本邸は現・大田区池上 (戦後は茅ケ崎に住んだ) 
 読書家・蔵書家で 邸内には平屋の書庫が建っていた

▶相磯の妾宅 現・中央区新富町 妾の名は小星(読み方不詳)
 戦後 相磯が市川菅野を初めて訪れた日の「日乗」の記述要約 
1946/S21 夕刻凌霜子来話 「新富町の妾宅が焼けずに済んだので記念に」と
 鮓と萩の餅を数個ずつ貰った
(荷風が熱海に疎開中も 2人一緒に2回熱海を訪れ書物や食物を贈っている)

▶相磯の別邸 現・船橋市海神  京成海神駅より北へ徒歩5分
新富町の別邸(妾宅)を船橋に移したらしい
「家人は昼は留守 先生 お好きな時に来られて自由にお使い下さい」
  五叟家の喧しさを聞いていた相磯 これも荷風への労わりだったのかも・・・
やがて 荷風も海神へ日参することになった
昼は留守だという小星 カフェの女給などで働いていたのだろうか

これは冒頭写真と同じ時に撮った写真だと思う 中に凌霜子もいたりして・・・

相磯のことが少し分かって来たところで今日はお終い
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]