遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

東京の川を旅する#15~用水・上水を訪ねて#9

2024年01月31日 | 旅行


曳舟川は 1955/S30年 墨田区内で埋め立てられ道路が造られたという
ところが昨夜 「曳舟川はいつ消えた?」という資料を見つけてしまった
水路の歴史や痕跡の調査などを行う墨田区の団体の2023年発行の資料

それによれば曳舟川の埋立て時期は1940(S15)ー1959(S34)年に及ぶらしい
昨日 今昔マップを何度も辿ったのは無駄骨だった・・・
というわけで曳舟川の追っかけも急に熱が冷めてしまった

見たら何と道路わきに水路があるではないか
しばらく行くと水路が途切れて舗道になる
かと思うと 再び水路が現れ 東京スカイツリー近くまで続く
いつ頃からか不明だが 結局は墨田区でも曳舟川は親水公園化されたわけだ

前掲の資料中に古い写真があったので紹介

戦前の曳舟川(墨田区寺島町付近)


墨田区の小梅町辺り~工事前と後

冒頭の浮世絵に戻る 安藤広景という名は初めて耳にした
面白い絵なので 拡大して参照されたい
岸辺の物売りの男は 煙管にキセルをぶらさげて何をしているのか
篭の中の丸いものが売り物だと思うが これは何だろう?
 
葛西用水は今日で終わり それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

東京の川を旅する#14~用水・上水を訪ねて#8

2024年01月30日 | 旅行

今昔マップ

昨日は荒川放水路を渡って墨田区へ行くつもりだったが行けなかった。
そこで昨夜 荒川以南の川筋などを調べてみた

曳舟川は 1955/S30年 墨田区内で埋め立てられ道路が造られたという
すでに上水路としての役割を果たし終えていたからである
それなら今昔マップの出番だ
それ以前の年代の地図なら曳舟川が残っている筈!

念のため一番古い1896/M29ー1909/S28の地図から見てゆく
四ツ木から西南方向に 木ノ下橋(古綾瀬川)を渡る水路がある
傍らに「古上水」の文字 紛れもなく曳舟川」の水路!

水路を南下したら東武線曳舟駅にぶつかった
曳舟川の呼称は江戸が元祖だったのか?

水路は健在である

1955/S30年に埋め立てられたというから

次の地図は1965/S30ー1968/S33 これで水路は道路に変わっている筈
ほら! 念のため荒川まで北上してみたら 水路跡は残っていなかった

次に1944/S19-1954/S29の地図 に戻る
今度は 東武線曳舟駅の先を辿ってみようというわけ
曳舟川は東武線業平橋駅(現・東京スカイツリー駅)辺りで途絶えるようだ?
東西に走る水路は北十間川 南北の水路は大横川で曳舟川とは別の川

曳舟川は終わりということでいいのだろうか
本所に上水を送る痕跡は残っていないのだろうか
そんな疑問が残ったままだが 今日はこれで終わる
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

東京の川を旅する#13~用水・上水を訪ねて#7

2024年01月29日 | 旅行

昭和初期のお花茶屋駅

今日は一昨日の続き 四ツ木から先のルートを調べる予定
これまではG-mapを使ったが 今日は前にも使った今昔マップを使う

マップは最も古い1896/M29-1909/M42 
この時期のお花茶屋に 京成電鉄はまだ通っていない~開通は1931/S06
お花茶屋を通る道には「曳舟通」の名がついている
用水路は「古上水」と呼ばれ 今の足立区あたりから「葛西用水」になる

※1:かっての綾瀬川の本流 ※2:現在の四ツ木橋

次に位置は変えずに年代を変えてみよう
 荒川放水路の図が載る(着工は1911年) 京成電鉄の工事も始まった
戻って年代を変えてみる
荒川放水路完成(1930/S05) 京成線荒川新橋梁竣工・四ツ木駅移転

昭和初期の四ツ木駅

今日は途中までですが続きは次回に回します
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

東京の川を旅する#12~用水・上水を訪ねて#6

2024年01月28日 | 旅行

水に散った桜の花びら~曳舟川親水公園

昨日の段階で 私にはやることが3つあった
1.曳舟川の四つ木の先からのルートを見つける
2.暗渠の中はどうなっているのか
3.古代東海道はどこをどう通っていたのか

このうち3は次のテーマで取り上げることとし まず2から調べた
暗渠の中の構造についてイヤになるほど検索したが 結果は芳しく無かった
その中で 出会ったのが日本建築学会の資料(1998年作成)

因みに曳舟川親水公園の完成は1990(H2)年 全長は約3Km
葛西用水親水水路の完成は1992(H4)年 全長は約4.5Km である
以下 要約記述する

”廃止となった流路の上部空間は 次の用途に転用される
①親水公園 ②緑道・公園 ③道路 ④宅地・その他 
下部の流路部分は A覆蓋で覆う B埋立てる の2方法がある
かつ使用目的によりA,Bそれぞれ以下のように分れる
Aの場合:A1水路 A2雨水下水渠 A3合流下水渠
Bの場合:B1下水管渠 B2未使用・埋立

"葛西用水~曳舟川に関しては
上部の用途割合は  
①親水公園50% ②緑道・公園3% ③道路46% ④宅地・その他0%
下部の使用目的割合は 
A1水路42% A2雨水下水渠0% A3合流下水渠0%
B1下水管渠6% B2未使用・埋立52%
である"

水路は放置 埋め立てが それぞれ半々というところか
水路はそのまま とはいえ流れは遮断されている
はて 暗渠の中はどうなっている? 疑問はまったく解決できなかった  

というわけで今日は何の成果も無くガックリ来てお終い
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

東京の川を旅する#11~用水・上水を訪ねて#5

2024年01月27日 | 旅行
曳舟川親水公園 桜のトンネルを抜け出たところ

 今日の主役は曳舟川 昔の川は埋め立てられて親水公園へ
もちろん 明治の頃のこんな様子はどこにも見られない

小林清親 東京名所図会 「東京小梅曳舟夜図」

今日の散歩もGoogle-mapの空撮を見ながら行う
全体ルートはこんな感じ 出発地点は曳舟古上水橋跡(緑道部分は省略)
青ピン・クリックで左に写真表示 地図に戻る時は右上の✖をクリック

次の地点は曳舟川親水公園通りとしては最後の十四号橋が架かっていた
十三号橋跡地の場所 地図をズーム・インすると五又路がよくわかる
通るたびに橋はどう架かっていた?と思う→道は1本だけだった

曳舟川の左手に「郷土と天文の博物館」(プラネタリウムがある)
前の親水公園内に鷹狩の像と説明版~この辺り徳川将軍の鷹狩の場
ほぼ同じ所に舟を曳く人像がある~木造の船もあった筈だが写真が無い

小さな水田がある 毎年小学生が田植えから稲刈りまでやっている
曳舟中ノ橋の碑 この辺りが中間地点だったのだろうか
曳舟川親水公園 この辺り桜などは多くない 違う場所の写真が多数

曳舟川親水公園(広場) 曳舟川通り沿いの公園広場 水の流れと池がある
野外音楽堂がある 公園の地下には駐輪場がある

京成電鉄の踏切を渡ると また1区画駐輪場がある
駐輪場を過ぎると 再び親水公園が復活
桜のトンネル 木製のテーブルや腰掛 桜の季節はあちこちで花見の宴



トンネルを出ると水道水の川が復活する(冒頭の写真)

2区画目は 桜の季節も水が流れたと思う 格好の撮影スポット



このあと国道6号と斜めに交叉(水戸街道) その下を抜けると曳舟の井
鉄格子を外して中を見てみたい

その先へ行くと 水が流れ 四つ木めだかの小道 と名付けられている
すぐそばを細い道が通り 通りの名が古代東海道・・・思いがけない副産物

四つ木めだかの小道が曳舟川のルートだと思う
再び6号線を潜って曲がり・・・四つ木橋排水場? G-mapではそこが見えない
そこから綾瀬川と荒川を越えて・・・と想像はできてもまだ未調査

暗渠の中がどうなっているかも気になっているが今日はこれでお終い
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]