遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

詩人あの人この人~林芙美子その22「放浪の終わり」

2023年09月30日 | 読書


1949(昭和24) 芙美子46歳
 ~作品刊行 1月「放浪記第三部」 2月「骨」「水仙」 3月「妻と良人」
 「女性神髄」「晩菊」 5月「第二の結婚」 11月から「浮雲」(「風雪」)~昭25.8

1950(昭和25) 47歳
4月 泰を学習院初等科に入学させる
4~5月「主婦の友」特派員として屋久島に赴く 「屋久島紀行」(青空文庫)
   屋久島へ向かう途中 天草富岡来訪 岡野屋旅館泊
12月 この頃から心臓弁膜症が悪化

~作品刊行 1月「夜猿」 5月「天草灘」 11月「茶色の眼」 12月「新淀君」

1951(昭和26) 芙美子48歳
6月27日 取材のため銀座・深川で食事した後帰宅
 就床後まもなく苦悶し始め 翌28日午前1時頃永眠 死因は心臓麻痺
 ~作品刊行 1月から「漣波」「女家族」「真珠母」連載 「浮雲」刊行 

告別式1951年 左から緑敏・キク・長谷川春子・泰・川端康成

1952(昭和27) 芙美子の作品「稲妻」が成瀬己喜男監督で映画化される


2003(平成15) 絶筆となった「めし」が未完のまま刊行された

今日はここまで 明日は最終回「放浪記総まとめ」の予定
それでは明日またお会いしましょう
[Rasey]


詩人あの人この人~林芙美子その21「敗戦、執筆に専念」

2023年09月29日 | 読書


1942(昭和17) 芙美子39歳
8月 文芸報国運動講演会の講師として北海道に赴く
10月 陸軍報道部の徴用に応じ南方視察に出発
   シンガポール・・ジャワ・スマトラに滞在する

1943(昭和18) 40歳
5月 帰国し各地で報告講演
12月 生後間もない男児を養子とし 泰(たい)と名づける

 芙美子と泰(生後間もなくではない)

1944(昭和19) 41歳
3月 緑敏と泰を林家に入籍
4月 長野県上林温泉に疎開(JRおでかけネットにリンク)

1945(昭和20) 42歳
8月 6日広島 9日長崎に原子爆弾投下
8月15日 太平洋戦争に敗戦 終戦を迎える
10月 疎開先から帰郷

1946(昭和21) 43歳
ジャーナリズムの復活に伴い 旺盛な執筆活動を再開する
~作品刊行 1月「吹雪」 4月「女の日記」 8月「旅情の海」 12月「うき草
 
1947(昭和22) 44歳

~作品刊行 1月「河沙魚」「人間」 2月「旅館のバイブル」 3月「人間世界」
 5月「一粒の葡萄」「放浪記第三部」 6月「淪落」 8月「林芙美子創作ノート」
 9月「舞姫の記」他続々刊行。 

1948(昭和23) 45歳
この頃から熱海の「桃山荘」に滞在して執筆することが多くなる
 初島の芙美子の歌碑や詩(熱海市サイト)
 坂口安吾「女忍術使い」青空文庫 (女忍術使い=林芙美子のこと)

~作品刊行 2月「うず潮」「ヴヰナスの牧歌」 3月「宿命を問ふ女」
 5月「暗い花」 11月「晩菊」(この作品は翌年女流文学賞を受賞)
 12月~昭25年10月まで 「林芙美子文庫」全10巻

今日はここまで 明日またお会いしましょう
[Rosey]

詩人あの人この人~林芙美子その20「戦争拡大の日々と自宅建築」

2023年09月28日 | 読書


1937(昭和12)年 芙美子34歳
~作品 1月「女の日記」 4月「田舎がへり」 6月「林芙美子選集」全7巻12月完  10月「花の位置」~ リンクは青空文庫 
7月 日中戦争(※1)始まる
11月 緑敏が召集され 看護兵として「武漢作戦」(※2)に出兵する
12月 芙美子は新聞特派員の従軍作家として南京・上海に行き翌年早々帰国 

 (※1)1937(昭和12)ー1945(昭和20) 日本と蒋介石率いる中華民国間の戦争
   (支那事変・日華事変・日支事変ともいう) 
 (※2)1938(昭和13) 大本営の命令で始まった漢口などへの大規模掃討作戦
   漢口は攻略できたものの蒋介石軍は逃れ戦線は泥沼化した

中華民国の国民革命軍

1938(昭和13)年 35歳
~作品 3月「氷河」 7月「私の昆虫記」 9月「月夜」 12月「戦線」
9月 芙美子は内閣情報部による「ペン部隊」の一員として上海に行く
10月 漢口陥落に従軍作家として一番乗りを果たす
 帰国後、全国を報告講演をして回る 


中国軍は漢口市に火を放ち逃走 日本軍が消火 1938

1939(昭和14)年 36歳
~作品 1月「北岸部隊」 7月「波濤」 11月「放浪記-決定版」

9月 西部戦線(第2次世界大戦)始まる(※3)
 (※3)ヨーロッパ地域での英仏米などの連合国と枢軸国(日独伊など)との戦い


西部戦線の画像(Wikipedia)

12月 下落合四丁目(現新宿区中井二丁目)の自宅新築工事に着手する
 芙美子は、初め自邸建築を元の恋人白井晟一に依頼することを考えた
 が、自分の望む建築では無いと考え 友達の紹介で山口文象に依頼した


山口文象 1902(明治35)-1978(昭和53)  モダニズム・和風造りを得意とする建築家
   
なお、芙美子の自邸建築への情熱や拘りは、私が超要約記述するより

1940(昭和15)年 37歳
~作品 1月「一人の生涯」 3月「青春」 4月「悪闘」 8月「女優記」
 12月「七つの燈」「魚介」

1月 北満州を旅行する 
5月 文藝銃後運動講演で東京・近畿へ
11月 小林秀雄らと朝鮮へ講演旅行

1941(昭和16)年 38歳
~作品 1月「十年間」 7月「啓吉の学校」 10月「日記第一巻」 12月「川歌」

5~6月 「偏舟紀行」取材のため四国旅行 
8月 新居に移る
9月 大佛次郎、佐多稲子らと満州に戦地慰問  
12月 太平洋戦争(大東亜戦争)始まる(※4)

 (※4)太平洋戦争は1941(昭和16)年12月8日ー1945(昭和20)年8月15日まで行われた戦争(広くは第二次世界大戦に含まれる)


Attack on Pearl Harbor Japanese planes view (Wikimedia Commons) 

Pearl Harbor Attack, 7 December 1941 (Wikimedia Commons) 

今日はここまで 明日またお会いしましょう
[Roasy]

詩人あの人この人~林芙美子その19「満州・中国へ行く」

2023年09月27日 | 読書



芙美子の1936(昭和11)年はまだ終わらない この年 芙美子は33歳 
10月 満州・中国へ遊びに行く 外国はこれが3度目の旅
最初が昭和5年 「放浪記」の印税でハルビン・長春・大連・上海・杭州・蘇州等へ
次いで昭和6~7年 朝鮮・満州・シベリヤ経由でモスクワ・パリ・ロンドン等へ 

お金が溜まると旅行に出たくなり 無くなると戻って来るようだ
「生まれながらの放浪者」と自分でも書くほど 定住は性に合わないのだろう
昭和11年の旅では北京の街が気に入り、3週間近く暮らしている

満州・中国どちらも全く知らないので 初めに地図を見る クリックで拡大可



拡大しても殆どの地名が分からないけれど ピンが北京の位置

芙美子はこの旅を「北京紀行」「北京通信」などに書いている
当時 様々な外国人が暮らした国際都市・北京の街のよさなど あれこれと
その彼女が一番驚いたのが「万里の長城」だった こう書いている
"只驚く 角壁の高さ約9m 厚さ7~8mの壁 ピラミッドなどの比ではない
始皇帝は偉大なロマンチスト うねり続く長城の果てまで眺めながら思った"
(毎度の)超要約記述 尺貫法はメートル法にした)

というわけで今日は「万里の長城」の画像特集とゆく

清代後期の長城の古写真(1907年)

以下は現代の写真







今日の終わりに 万里の長城をバイクで走る動画をどうぞ(G-driveにUp)
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

詩人あの人この人~林芙美子その18「国立公園早廻り競争あれこれ」

2023年09月26日 | 読書


 1936(昭和11)年は まだ終わっていない
9月 芙美子33歳は<国立公園早廻り競争>に参加する

この資料が少し見つかった 何と泉鏡花の研究論文!(吉田昌志氏論述)!
以下に競争に関する部分を 超要約記述させてもらう

主催は鉄道省・国立公園協会・日本旅行協会・東京日日新聞・ 大阪毎日新聞
文壇が東西(男女)各4名のリレー選手を出し、全国立公園を早く廻る競争
東軍の選手4名は 久保田万太郎・菊池寛・久米正雄・吉川英治 
対する西軍は 林芙美子・ささきふさ・吉屋信子・宇野千代の4名 
 
15日午前9時 久保田と林が両新聞本社(東京と大阪)を出発
久保田は 北海道に渡り札幌→摩周湖→屈斜路湖→阿寒湖→大雪山系黒岳→
旭川→札幌→青森十和田湖まで来て菊池寛に交代した
そして15日目の26日夕、アンカー吉川が出発点にゴール、約20分遅れて宇野が到着・・・東軍が勝利した、と論文にある

女性軍の経路などの記述は論文に無い 
林芙美子の年譜には、この早廻り競争に参加、山陰、瀬戸内海を廻る途中、実父と会う・・・と書いてある

この頃の国立公園の数は? どこなの?
調べたら環境省のサイトに「国立公園の歴史」という1頁のPDFがあった
昭和9年制定 瀬戸内海・雲仙・霧島・大雪山・阿寒・日光・中部山岳・阿蘇の8公園
昭和11年制定 十和田・富士箱根・吉野熊野・大山の4公園
なるほど 4か所増えた記念に企画したというわけか・・・    

林芙美子の情報が少ないので検索する
東京の林芙美子記念館の企画展のチラシ(PDFの一部を画像化)→拡大可能



こんなサイトも引っかかって来た 「みんなの桜島」 これは「霧島」の一部
余談:林芙美子の碑巡りカレンダーを作ろうか 日めくりでもいいが・・・
とりあえず公的サイトを有効活用して 女性軍経路順にWeb国立公園巡り
(順番は違っているかもしれない)


ところで 12公園のうち雲仙・霧島・阿蘇が九州にある
ここを回ったのはたぶん2番手の「ささきふさ」だろう・・・
でも彼女ってどんな作家?

調べたら 彼女のキャッチ・コピー?は 断髪のモダンガール
経歴や写真を観ると、林芙美子そっくり・・・

 1936(昭和11)年はまだ終わらない・・・続きは次回へ
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]