遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

詩人あの人この人~江口章子・その15「流浪の旅11~足跡を辿る・中村戒仙」

2023年08月31日 | 読書


1930(昭和05) 章子42歳 
 春月の自殺、谷崎の妻譲渡事件に衝撃を受けた章子は狂乱状態に陥る
 戒仙住職は、止む無く章子を精神病院に入院させる
 章子が聚光院内に住み、奇矯な行動が目立つことも噂になってきた

 10月19日 『大阪毎日新聞』に記事が載る
 「愛慾と名誉と金権と──禅園に情痴の花二つの結婚問題をめぐつて
 京洛大徳寺の渦巻き」の見出し、戒仙と章子の写真つき

 寂聴の写真説明の記述は、
 <記事は写真付き でっぷり肥った脂ぎった感じの戒仙と
 断髪に和服のきゃしゃな章子が火鉢を中にして 坐っている
 戒仙は不敵に顔をあげているが、章子は伏目、やや鬱屈した愁い顔・・・>

 続いて記事の全文が載せられているが、長いので要約転載する
 <禅園二つの結婚のうち一つは中村戒仙聚光院住職(50歳)と
 北原白秋氏前夫人井口章子さん(43歳)と正式に結婚しようというもの
 (もう一つ興臨時住職の結婚があるが、本ブログ趣旨とは無縁なので割愛)
 
 その話を漏れ聞いた京都の大富豪がご立腹
 「由緒ある寺に女を引き入れるとは何事! 法要の寄進は取り消す」
 そして大徳寺管長を呼び付け「中村住職を追い出すなら寄進はする」 
 本山は自発的に辞職するよう二人を説得するが、戒仙は徹底抗戦の構え!
 
 17日朝、戒仙は「自分は聚光院に居坐る」旨の声明書を本山に叩きつけ、
 そのあと来訪の記者に対応した
 つまり、19日の新聞記事は戒仙の話を聞いた記者が記事にしたというわけ
 その話の要点のみ記す
 「章子とは10年来師弟の関係だったが、今の彼女は孤独で捨てておけない
 だから正式に結婚する 50歳にして私は本当の愛欲を章子に見出したのだ」
 このあと戒仙は原籍のある千葉県葛飾郡の役場へ婚姻届を郵送、受理された

 私が思うに、「愛欲」とは章子を慮っての言葉だろう
 現実は、男女の関係ではなく、父親と娘のような関係ではなかったか
 章子は戒仙をパパさんと呼んでいた記述も寂聴の本にある
 
早く父親を亡くした章子には、戒仙は父親かつ庇護者だったと思う

 寂聴の写真説明に、戒仙は不敵に顔をあげている、とあった
 彼の本意は、禅僧の婚姻はご法度、の禁を解くことではなかったろうか
 戒仙もきっと章子の次の詩を読んでいたに違いない
 (寺は聚光院と思っていたが、3行目の山寺、最終行の破れ寺が気になる)
 
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

詩人あの人この人~江口章子・その14「流浪の旅10~足跡を辿る・春月ふたたび」

2023年08月30日 | 読書



瀬戸内寂聴著「ここありて 白秋の三人の妻」を参考に、続きを書く

1927(昭和02)年
 中村戒仙が芳春院住職から聚光院住職に変わる
1928(昭和03) 章子40歳
 聚光院で暮らす章子は初めての詩文集『女人山居』を出版する
1929(昭和04)
 生田春月が聚光院を訪れる その時の詩が彼の死後に発表されている(PDF)
 
 章子が春月と知り合ったのは1915(大正04)年
 雷鳥を頼って上京し「青鞜」に参加の頃、離れた後も手紙の交換はしていた
 この頃の春月は、妻の生田花世や若い愛人との関係を清算し、
 独りで死ぬことを決意していた模様・・・死後発表の彼の詩の断片(PDF) 

1930(昭和05) 章子42歳
 この年5月、春月が大阪発別府行きの船に乗り、播磨灘で投身自殺する
 同じ頃、谷崎の妻譲渡事件が決着、この件も章子に衝撃を与えたようだ
 飲酒、睡眠薬多用などで章子は狂乱状態に陥る
 放っておけなくなった戒仙は、章子を精神病院に入院させる
 同時に、章子と結婚する意志を固め、それを公表する事を目論む
 章子が雑誌連載に”聚光院にて”と書いたことが問題になってきたからだ
  
ここからがハイライトなのだが、時間がとれないので明日に回す
最後に、既に紹介済みだが「追分の心」の序文ほかのPDFを再リンク


それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

詩人あの人この人~江口章子・その13「流浪の旅9~足跡を辿る・京都編#2」

2023年08月29日 | 読書


今日はG-mapは使わない
1924(大正13) 章子36歳
 中村戒仙の跡を追って葛飾の地を訪れる(前に紹介済み)
 このあと戒仙は、芳春院住職から聚光院住職に変わる

前回はドローン?で大徳寺を上空から見たが、今日はイラストでみる 

これからは聚光院が中村戒仙j住職や章子の居場所になる
その聚光院全体をスケッチした絵がネットにあったので拝借した

スケッチを眺め、住職や章子の部屋はどの辺り?と想像するのも楽しい
戒仙住職は闊達で話し上手な人で、文人なども多く訪ねて来たという
寂聴本では、章子が聚光院に入って以来、柳原白蓮が友達と一緒に来たり、
夫(宮崎龍介)、息子らが逗留したり、頻繁に訪れていたという
ほかに、林芙美子、長谷川時雨などの女流作家の名がある
また、辻潤が来て尺八を吹く写真も残っているそうだ
石川三四郎(社会運動家・アナキスト・作家 )の名前もあった

大杉栄は? 彼は伊藤野枝と1923(大正12)に殺されているから無理か
でも芳春院に来ているかも・・・

車中の大杉栄・伊藤野枝・長女の魔子?

尺八を吹く辻潤の写真を探したが見つからなかった


左が辻潤 尺八は無いけど・・・右は誰か知らない 剃髪じゃないから戒仙住職ではない・・・

さっきの大徳寺山内図、今宮門前通りの西側に高校がある
これが旧制紫野中学校? いや区画整理もされて場所が変わっているかも・・・
作家の水上勉が1年間、この中学校に通って転校した(これはネット情報)

今日は脈絡に欠けてしまったが続きは明日に
最後に聚光院の山門に続く緑鮮やかな道の写真をネットから転載


それでは明日またお会いしましょう

[Rosey]

詩人あの人この人~江口章子・その12「流浪の旅9~足跡を辿る・京都編」

2023年08月28日 | 読書


今日はタイトルにあるように京都篇
しかし、大徳寺一か所にG-mapのピンが集まって面白くない
が、とりあえず地図と説明をリンクして以下に補足する

地図以外に京都関連では、章子の郡是(グンゼ)入りがある
これは紹介済みなので省略した なお章子は3か月で辞めている
この頃知り合った水谷長三郎(弁護士・社会活動家のち政治家)とは、
恋愛関係は無かった

1923(大正12) 35歳
酬恩院(一休寺)の住職林山太空師42歳と3度目の結婚をする
が、2か月で離婚する その理由は詳らかではない

さて、大徳寺は巨大なお寺で中の院やら塔頭が22あるという
写真だけでも1万枚以上あるから凄いとしか言いようがない
全部が禅寺で僧侶修行の寺、常時公開は4か所程度だという
せめて章子が住んだ芳春院、聚光院がどの辺にあるか位は知りたい


大徳寺には当時旧制の紫野中学校もあり、
章子の部屋には生徒たちもよく訪れていたという
中でも章子が目をかけていたのが宇野暮江という少年
(ネットに彼の詩が載ったカレンダーがあったのでその月だけ拝借)

まだ書くことがあったと思うが、今日はここまで
明日またお会いしましょう

[Rosey]

詩人あの人この人~江口章子・その11「流浪の旅8~足跡を辿る・大分編」

2023年08月27日 | 読書


昨日、構想を書いたG-mapを使っての章子の足跡辿りの試作品を紹介する
ブログに貼り込む事も試したが、全画面表示可能なリンク方式が良かった

まずは大分編を作ってみたので紹介する
以下のリンクをクリックをするとG-map にピンが5本立つ
それぞれの場所の説明が左ナビにリストで一覧表示される。
年次が若い順に下から並べた(章子の生誕地が最下段)
(威徳寺は忘れて最後に追加したので最上段・・・並べ替えは出来ないみたい)
そこから場所を選べば、その付近の拡大地図が右に表示される
使い方(ってほどでもないが)・・・は以上


説明の文章からG-map以外にリンク(たとえば青空文庫とか)できないか?
そうするともっと便利な使い方ができる
でも、Googleもそこまでは対応していないようなので残念!

でも、今までブログに書いてことをG-mapのリストに書いただけ
新しい構想と言えるほどの代物ではなく、若干ビジュアル度が増した程度
が、せっかくだからもう少し使ってみたい

次回は、江口章子の足跡~京都篇を考えている
それでは明日またお会いしましょう

[Rosey]