遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

詩人あの人この人~その1「中原中也」

2023年07月31日 | 読書


 
画家や作家は取り上げたが、詩人を真正面から取り上げることは無かった。
そこで今日は詩人を取り上げたい。
太宰や檀や安吾のあとだから、彼らと付き合った中原中也がいいだろう。

とはいえ、中也の詩をまともに読んだことは無い。
「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる・・・」記憶の断片だけ。
でも、彼には色々なエピソードがあって、話題には事欠かないハズ。

中原中也 1907(明治40)-1937(昭和12) 詩人・歌人・翻訳家 

【太宰らと知り合った頃】
中也は初対面の太宰に向かってこう言った。
「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔しやがって」
太宰は中也より2歳年下、酔ってのこととはいえ、凄い言いようだね。
が、さすが詩人・・・青鯖が空に浮かんだ顔、なんて並みの人の発想ではない。
言われた太宰は委縮して、一言も答えられなかったという。

「お前は何の花が好きだい?」
「モ・モ・ノ・ハ・ナ」太宰は泣き出しそうになりながらそう答えた。
「チェッ、だからおめえは」
そのあとは書いてないが、「軟弱なんだよ」とでも言いたかったのか・・・。

安吾と初めて会った時も、中也は酔って絡んで、
「やい、ヘゲモニー(権力者)!」と喧嘩をふっかける。
しかし、安吾は巨漢で、中也は小柄で1m50cmくらい。
離れたところでボクシングのポーズだけだったという。

このへんは太宰と違って安吾の貫禄だろう。(安吾は中也より1歳年上)
中也については、安吾が「酒のあとさき」(青空文庫)で詳しく書いている。
ここで中也の別れた女房云々が出て来るが、これは次回で。

また、中也は日記の中でも罵詈雑言を書き散らしている。
「日夏耿之介は馬鹿。あの詩は空腹の沿革の形象だ」
「堀口大学。お前がどうして男と生まれて来たやら」
「古谷(綱武)、という世にも憐れな馬鹿あり」・・・キリが無い。

中也は音楽も好きで、作曲家の諸井三郎とも知り合った。
自分の詩に作曲を依頼している。

今日はここまで。
明日またお会いしましょう。

[Rosey]

偉大!?な文豪たち~「太宰治」その2

2023年07月30日 | 読書


前回から遡ったり、重複する部分もあるが、時系列で進めよう。

1935(昭和10)
 第1回芥川賞開催、『逆行』が候補となるが落選
 彼の師匠であり選考委員の佐藤春夫は、不出来として選ばなかった  
 同じく選考委員の川端康成には、私生活に問題ありと指摘される
 この川端に対して太宰が反論する

 新聞社の入社試験を受け不合格、鎌倉で首吊り自殺を図るが未遂に終わる
 盲腸炎から腹膜炎を起こし、阿佐ヶ谷の病院に入院する
 腹膜炎の手術を受けるが、鎮痛剤パビナールの注射を受け依存症となる
 学費未納のため帝大を除籍となる

1936(昭和11) 二・二六事件起きる
 第2回芥川賞開催にあたり、佐藤春夫に受賞を乞う手紙を書く
 佐藤は、パビナール中毒を治せと、太宰に入院治療を厳命する
 第2回芥川賞は受賞者無し、候補に太宰作品は無かった
 
 バビナール中毒が悪化したため、都内の精神病院に入院させられる
 入院中にも、単身自殺を図るが未遂に終わる
 また、太宰の入院中、妻の初代が彼の義弟と不貞を働く

以後、坂口安吾から見た太宰のことなど含め、太宰の人生を時系列でみて行く

1937(昭和12) 太宰28歳 安吾31歳
 太宰は、初代25歳と義弟との関係を知る
 谷川温泉付近で初代と睡眠薬自殺を図ったが未遂に終る
 太宰と初代は離婚。初代は青森に戻って生家の魚屋を手伝う 
 井伏鱒二の斡旋で杉並区(天沼)へ転居する

 初代はその後満州に渡り青島で暮らす
 一時帰国するが再び青島に戻り、1944(昭和19)死去。享年33歳。 

1938(昭和13)
 石原美知子と見合い・婚約する

1939(昭和14) 第二次世界大戦突入
 東京杉並の井伏宅で美知子(25歳)と結婚式を挙げ、三鷹市下連雀に住む

津島美知子 1912(明治45)-1997(平成9) 

1941(昭和16) 12月8日、日本は太平洋戦争に突入
 美知子が長女園子を生む 
 太宰は太田静子と出会い愛人関係になる
 静子は太宰から門人との逢引を薦められるが拒絶、小田原へ転居する


太田静子 1913(大正2)-1982(昭和57)

1942(昭和17)
 太宰は美知子をモデルに、「十二月八日」を書く

1944(昭和19)
 長男正樹誕生 
 熱海で映画の脚本執筆中の太宰は、小田原を訪ね太田静子と再会する

1945(昭和20) ポツダム宣言受諾・終戦
 空襲激化で妻子を甲府の石原家に疎開させる、後から太宰自身も疎開
 爆撃で石原家も全焼、太宰は妻子を連れて津軽の生家に行く
 8月15日、ポツダム宣言を受諾し日本は降伏、終戦を迎える

1946(昭和21)
  坂口安吾が「堕落論」を発表する

1947(昭和22)
 1月、太田静子が三鷹の太宰宅を訪れる
 太宰から小説の素材に使うため日記の提供を依頼される
 静子は、小田原まで取りに来てもらえば渡す、と約束して別れる
 
 2月、小田原に来た太宰に日記を渡す この時に静子は受胎する
 この日記は「斜陽」に使われ、その中で静子もモデルになった。

 5月、生まれてくる子どもの相談で三鷹へ出向く
 太宰は冷たい態度で、静子は自分は小説の材料にされただけかと怒る
 この時、静子は、太宰の入水心中相手の山崎富栄 と鉢合わせしている

 11月、静子は長女を出産する
 静子の弟・通が三鷹を訪れ、太宰に新生児の命名と認知を依頼する
 太宰は認知し、自分の本名津島修治の一字を取って、治子と名付ける
 (後に作家となった津島治子)
 また、養育費として 太宰が月々一万円を静子に送ることになった
 静子は、太宰の子を産んだため、親類縁者から絶縁された

 12月、「斜陽」が出版される 

山崎富榮~太宰との出会い・入水心中まで

山崎富榮 1919(大正8)-1948(昭和23) 美容師 

1947(昭和22)
 3月、飲酒中の太宰と知り合う
 富榮の次兄が弘前高校で太宰の2年先輩、などから太宰に親しみを感じる
 5月、太宰から「死ぬ気で恋愛してみないか」と持ちかけられる
 富榮は、夫人を気遣いながら「恋愛するなら死ぬ気でしたい」と関係を結ぶ
 11月、太田静子の出産を知り、富栄は激しい衝撃を受ける    
 しかし、太宰の看護婦役として自分の貯金を使い果たすほど尽くす 
 
1948(昭和23)
 富榮への太宰の関心は次第に薄れ、彼女は捨てられることを予感する
 6月、太田静子宛てに、太宰と一緒に死ぬ、との遺書を送る
 その夜、二人は玉川上水 に入水心中、6日後に遺体が発見された
 太宰治38歳、 山崎富28歳だった 
 
 作品中の言葉から
 <負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。    
  生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。
  いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。
  いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。> 

1955(昭和30)
 坂口安吾49歳、脳溢血で死去 

太宰を愛人マニア、心中マニアと書いたらファンに怒られるかな
ともかく2回で終えて、次回からは別の人物や題材を取り上げたい
それではまた明日お会いしましょう。

[Rosey]

偉大!?な文豪たち~「太宰治」その1

2023年07月29日 | 読書


檀捨離を行ったものの、その先の題材が思い浮かばない。
檀一雄の大親友だった太宰治はどうだろう?

 太宰治1909(明治42)-1948(昭和23)

彼の作品は若い頃、幾つか読んだ。
「人間失格」「斜陽」「走れメロス」「グッド・バイ」等々。
が、人物知識は殆ど未知数、愛人と心中死くらいしか知らない。

この際、と思って調べたら、太宰は愛人づくりと心中の常習犯?だった。

【内縁の妻 小山初代】
 
1912(明治45)-1944(昭和19)】

1927(昭和2)
芸者置屋に勤めていて、旧制弘前高校1年の時太宰と知り合い馴染みになる
この年、太宰が心酔していた芥川龍之介が睡眠薬自殺

1929(昭和4)
太宰、睡眠薬を大量服用し単身で自殺を図るが未遂に終わる

1930(昭和5)
津軽の金持ちのボンボン太宰は上京、帝大に入学、井伏鱒二に弟子入りする
初子を上京させ、本所駒形で同棲する
太宰がカフェの女給田部シメ子と睡眠剤大量摂取し心中を図る
 
 
田部シメ子(たなべしめこ・別名あつみ) 1912(大正元)-1930(昭和5) 

太宰は未遂に終わって助かるが、あつみは死亡、18歳だった

また、太宰が自らの心中体験を反映した作品の一例を揚げておく。

1935(昭和10)
太宰、単身で首を括って自殺を図る(狂言自殺説もある)

1936(昭和11)
太宰、鎮痛麻薬剤中毒で武蔵野の精神病院に入院
入院中にも、単身自殺を図るが未遂に終わる
太宰の入院中、初代が彼の義弟と不貞を働く

この後、檀が太宰から自殺を持ちかけられガス自殺を図るが未遂に終わる

芥川龍之介の自殺以来、太宰は自殺に取り憑かれたのだろうか?

唐突だが、富士には月見草がよく似合う・・・は太宰の言葉ではなかったか。
作品名から、当てずっぽうで読んで見たら、ズバリ的中!
話の運びも上手く、面白く、死の影も無く・・・読後感も爽やか! 

これを今日の「締め」にして、この続きは、明日に回そう。
それでは明日またお会いしましょう。

[Rosey]

檀一雄を巡る女たち・男たち~その8「檀捨離の巻」

2023年07月28日 | 読書



檀夫妻と太郎・次郎・小弥太(石神井)


ふみが生まれて(石神井)

1956(昭和31) 檀44歳・ヨソ子33歳
帰宅した檀から杏子と「事」起こしたと聞かされ、ヨソ子は翌日家を出た
愛人が名前も知らない他人なら、まだ二人を許せたのに、と思いながら・・・
そして、鎌倉に住む待鳥京子などを頼り、一人で生きて行こうとする

2週間ほどして、檀の書いた杏子との「事」の顛末が雑誌に載った
事が起きて2週間ほど、家を出た私への嫌がらせか、とヨソ子は更に傷つく
ともかく自分の荷物を取りに、いったん石神井の家に戻る

檀は杏子と山の上ホテルで同棲していた
家は義母(檀の実母トミ)が取り仕切っていた
仲人の与田を交えて離婚の話し合いが行われ、二人は別居することになる

なお、トミは一雄9歳の時、若い医大生と出奔した過去がある
 トミと一雄

その後、檀と杏子は別れるが、ソヨ子は檀が死ぬまで面倒を見ることになる
夫婦のことは他人が理解しようとするほうが無理だろうが・・・

さて、檀の話も食傷気味、今日で檀捨離するつもりで、檀の放浪の跡を追う

1964(昭和39) 師の佐藤春夫没する

1970(昭和45) ポルトガルのサンタクルスに居を構え、1年2ヵ月滞在 
 サンタクルスの檀

地元では先生扱いで、家には標識が掲げられている


1971(昭和46) ヨソ子が檀の体調を心配しポルトガルを訪ね2か月半滞在 

1972(昭和47) 檀が日本へ戻る
       金木町での講演の際、弘前城にヨソ子と旅行する 



1974(昭和49) 檀は福岡市西区能古島に自宅を購入、一人転居する

1975(昭和50) 悪性肺ガンのため九州大学医学部付属病院に入院
 『火宅の人』執筆を再開、病床で最終章をヨソ子立会で口述録音する  

1976(昭和51) 檀没する(享年63歳)
       辞世の句「モガリ笛 いく夜もがらせ 花ニ逢はん」 

1994(平成06) ヨソ子72歳 沢木耕太郎の取材に対応

2015(平成27) ヨソ子没する(享年92歳)

最後に余談を幾つか、いや、余檀かな
・大親友だった太宰と、泥酔してガス心中を図ったが未遂に終わった
・杏子との前に、タマネギ頭の女性映画評論家とも「事」を起こした
・太宰の死後、安吾と親友になり、彼の様々な仕事や事件に関わった
・料理し人をもてなすことが大好きで、檀流クッキングという本も書いた

それでは、次回から新たなシリーズを!
明日またお会いしましょう。

[Rosey]

檀一雄を巡る女たち・男たち~その6「ヨソ子が書く#4」

2023年07月27日 | 読書


1946(昭和21)  檀34歳・ヨソ子23歳
 新婚旅行から戻ったソヨ子と檀は、義母とみが疎開用に建てた家で暮らした
 その秋、義母の一族が博多の目抜き通りに2階建ての店舗兼住宅を建て、
 1階に隆起洋行という貿易会社、2階に美容院を作って商売を始める
 ヨソ子・檀・太郎は美容院の隣の部屋で暮らし、仕事を手伝った

1947(昭和22)
 結婚の翌年1月、檀は仲間と語らい劇団「珊瑚座」を結成する
 ソヨ子は劇団員の人と一緒に待鳥邸へ行った時、
 後に檀の愛人となった入江杏子(本名は久恵)と初めて出会う
 「今度劇団に美人が入った」と檀が言っていたのが杏子だった

 入江杏子

 檀は、杏子を貿易会社の事務員として雇い入れた
 その後、珊瑚座の公演が行われたかどうかは不明
 (行われたという情報、GHQの検閲で中止のなった情報、どちらもある)

1948(昭和23)
 この年、檀の親友だった太宰治が玉川上水で愛人と入水自殺する


太宰治
 太宰と心中した山崎富栄 

 貿易会社も劇団も上手くゆかず、檀は執筆一筋で行こうと決心し上京する
 まずは檀が単身で連れ込み宿風の石神井ホテルに泊まって執筆を開始
 福岡で文学仲間だった真鍋呉夫も上京し同じホテルに泊まって書き始めた
 すでに面識があった坂口安吾に歓待され、以後、安吾との親交が深まる

 坂口安吾

1949(昭和24)
 ヨソ子と太郎を呼び寄せ、石神井ホテルの一室で暮らし始める
 その後、檀は練馬区南田中に家を購入し、家族で移り住む
 ヨソ子は檀の世話が大変で、起きて寝るまで座ることすらできなかった
 仕事がうまくいかない時は「馬鹿!」「低能!」という言葉がすぐに飛ぶ
 それはないだろう、と友達にたしなめられていたが・・・。

1950(昭和25) 檀38歳・ソヨ子27歳
 次男の次郎生まれる 5歳の時に日本脳炎を発症、1964死去
 「りつ子その愛・その死」を発表し、好評を得る

1951(昭和26)
 「長恨歌」「真説石川五右衛門」で直木賞受賞
 伊東競輪不正事件で被害妄想に陥った安吾を、三千代夫人共々自宅に匿う
 眠剤中毒で錯乱した安吾がカレーライス100人分を出前注文させる 
 安吾らと埼玉の高麗神社に取材に行く

1952(昭和27)
 決戦川中島の企画で、安吾と新潟から長野へ取材旅行する
 松本の平島温泉ホテルに逗留時、大暴れした安吾が留置場に入れられる

1953(昭和28) 檀41歳・ソヨ子30歳
 三男 小弥太生まれる

1954(昭和29) 檀42歳・ソヨ子31歳
 長女 ふみ生まれる)

1955(昭和30) 
 坂口安吾没する 以後も選集の編集や安吾忌の幹事などを長くつとめる

1956(昭和31) 檀44歳・ソヨ子33歳
 二女 さと生まれる
 檀は、太宰治の記念碑除幕式に招かれて津軽へ出かける
 入江杏子を同行し、蔦温泉で「事」を起こし、湯河原を回って帰宅
 

津軽へ同行した檀と入江杏子

 ヨソ子は、帰宅した檀から「ヒーさんと事を起こしたからね」と聞かされる
 ヒーさんというのは、入江杏子の本名が久恵だからである
 「事を起こす」とは檀流の言い方で、彼女と性交渉したということ
 ヨソ子はそれを知って怒り、翌朝家を出る決心を固めた

それから先を書き出すとまた長くなるので、次回に回すこととしたい。
それでは明日またお会いしましょう。

[Rosey]