遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

「石橋湛山の遺志を継ぐ人々~その6 秘書初出勤」

2024年06月30日 | 人物
 秘書になった頃の写真

本を読みながら、 '私にはとても務まらないな、こんな仕事は'と思った。
こんな仕事とは「政治家秘書」、読んだ本は佐藤昭子著「私の田中角栄日記」。

因みに昭子が田中と知り合ったのは、新潟2区から衆院選初出馬の時。
昭子は夫と二人で選挙運動を手伝ったが、田中は次点で落選した。
その後夫妻は上京し、田中の支援を得て会社を興したが、やがて離婚、
昭子は田中の秘書として仕事に就いた。

秘書初出勤】~1952/S27年12月1日 昭子24歳
場所は永田町第2議員会館210号室。木造2階建で廊下を歩くと軋む。
広さ約10畳、入口側に秘書机、カーテンで仕切った奥に議員の机と椅子。

初仕事は選挙人名簿と年賀ハガキ一万枚。十日あれば書けるだろう。
毛筆で書き始める。 一日千枚は思うように筆が進まない。
一日で音をあげて「何だ所詮お前さん、その程度か」と思われたくない。
残りは家に持ち帰り、ノルマだけは仕上げなくては・・・。

昼間、田中は殆ど不在。この頃は建設省へよく行っていた。
住宅・道路・国土開発に関する議員立法を作るためである。

夕方、田中が戻って来て、昼間の出来事を話す。
電話で誰それからこんな陳情があった等々・・・後日の応対のため記録・記憶。

~初日だけで辞めたくなったので、今日はここまで。
明日またお会いしましょう。
[Rosey]

「石橋湛山の遺志を継ぐ人々~その4 自民党は潰れてもいい」

2024年06月28日 | 人物

田中角栄邸(目白御殿)~2024/1/8に火災で焼失

 知り合いが、中学校の修学旅行で田中角栄邸を訪れたという。
”御殿みたいだった?”と訊くと、"ふつうの2階建ての家だったわよ。
でも、庭が広くて立派だった"・・・たしかに写真で見ても御殿とは言い難い。
とはいえ、今年の1月に火災で焼失、今は写真でしか見れなくなった。

今日は、中国との国交回復時の記録映像から。
 

 江沢民氏の目白御殿訪問。


角栄・最後の演説。


今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]

「石橋湛山の遺志を継ぐ人々~その3 モナリザ狂騒曲」

2024年06月27日 | 人物
1976年 国立博物館モナリザ展を観るために入場を待つ人たちの行列

今回、シリーズの情報を探していたら、上掲画像が見つかった。
当時、私も観に行こうと思っていたが、連日大行列の報道、
躊躇しているうちに会期が終わってしまった・・・という記憶が残っている。


更に、その当時は知る由もなかったことを知ってビックリ!
このモナリザ展、前年に田中角栄が訪仏した時、仏政府が約束したもの。
下記の日仏共同コミュニケ参照。


石橋湛山の遺志を継ぐ政治家として、田中角栄は欠かせない一人。
金権政治で批判されたが、徹底した反戦主義者だった。
しかも、自民党では多数の対米従属派、ではなかった。
・・・その為ロッキード事件という未だに謎の事件に巻き込まれるのだが・・・

戦後政治史の知識など殆ど皆無の私。湛山の後継者探しなどできるのか?
でも、始めたからにはボチボチといくことにしたい。
どうぞお付き合いのほどよろしく!
[Rosey]