遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

木彫家H.Aの世界 & 信州安曇野四季だより

2023年01月27日 | 追憶

パソコンを捨てて本格的に音楽ボランティアなどに取り組み始めた頃だ。

或る日、Roseyの弟の妻から電話がかかって来た。

義弟は当時信州安曇野に住み、木彫りの彫刻家として仕事に取り組んでいた。

 

「義兄さん、会社辞めてお暇でしょ。実はお願いがあるんですけど・・・」

義弟のホームページを作りたいのだそうだ。

出来上がったら、月に少なくとも一度は私が安曇野四季だよりを書くから、という。

Roseyに相談したら、「ぜひ作ってあげて!」

「パソコン捨てるんじゃなかった?」

「イヤミね~。でも今回だけは作ってあげてよ。お願いだから」

「ホームページなんか作ったことないんだけど、どうやって作るの?」

「わたしに訊いてどうすんのよ。わかるわけないでしょ。とにかく作って!」

「パソコン捨てないでよかったね。ま、何とかなるでしょ」

というわけで、義弟の作品の写真などを送ってくれるよう頼んだ。

2日ほどのちに資料が届いた。義妹もやる気満々のようだ。

日本語版ができたら、英語版も作りたいとも。

冒頭の写真がその時の一枚、先日の写真整理で出てきた。

 

まずはシステムの設計からだ。設計=デザインでもある。

だからシステム開発に携わるSEは、デザイン・センスも要求される。

とりあえずこんなイメージでどう? こちらからも印刷して郵送だ。

その時作ったトップページのイメージ図をお見せしたい。

と思ったがパソコンには残っていない。

 

その時のRoseyの反応は「センス無いなあ」の一言。

「じゃあ、知恵貸してよ」「ここはこうすれば? こっちはこうね」

テキは自分の一生をファッション磨きに捧げているオンナだ。

結局はすべてRoseyのデッサン・・・ただタイトルは私だ!

H.Aというのは義弟の姓名の頭文字、「世界」もいいねえ、と自画自賛。

でも、功名争いなんかより、義妹が喜んでくれたことが一番だった。

 

その義妹が程なくして入院した。

もともと難病を背負っていて、それが悪化してしまったのだ。

「治るまでお預けだ。元気になったら本格的に作るからね」

けれども闘病虚しく、2年ほど後に義妹は50年足らずの生涯を終えた。

夢は実現できなかった・・・彼女にはそれがすごく心残りだっただろう。

 

義弟はすでに引退して東京近郊で暮らしている。

彼も音楽好きで、読書好きで、美術好きで・・・。

でも、ホームページを作る機会はもう無いのだ。

 

「今日のビデオ」

安曇野ではありませんが、同じ信州の歌です。

小諸なる古城のほとり(千曲川旅情の歌)~歌はいつものごとく鮫島有美子さん。

これは[Rosey night music]の中の1曲でもあります。

 

[Rosey]


空飛ぶ「InRenVan」事件

2023年01月20日 | 追憶

今日はRoseyの歌の想い出その2を書くつもり。

が、昨日の昼過ぎにウトウトしていた時だ。

夢か現か幻か・・・40年ほど昔のことが突然蘇った。

 

その頃はある街で仕事をしていた。

職場で会議中に大きなクシャミの音がして、何かが宙を飛んだ。

定年近い或る先輩、クシャミの拍子に入れ歯が外れて飛んだのだ!

隣は仮眠用の畳の部屋になっていて、幸いなことに間のガラス戸が開いていた。

空飛ぶ入れ歯は無事に畳の上に落ちて軟着陸した。

 

同じ日の午後、客先に出かけたら、そこの社長に声をかけられた。

社長といっても私より2歳ほど年上、気さくに話し合える間柄だ。

「うちのE.T.(イーティ)知っているよね」

イーティという米国映画が上映されている頃だ。

私も観た気がするが、内容は何一つ覚えてないので、話で聞いただけかも。

「じっくり話をしたことは無いですけど・・・彼がどうかしました?」 

「実は彼の話すことがみんな分からなくてね。エーリアン語だろって。

それで一度彼と話してみてくれないかな」

「いいですよ。それでどんなことを訊けばいいんです?」

「そうだね。今の仕事の進み具合かな・・・予定通り行ってるのかどうか」

「わかりました。後で彼と話してみますよ」

彼は当時まだ珍しかったパソコン通信を担当する契約社員だった。

年齢はまだ20代か・・・今でいうパソコン・オタクなんだろう、きっと。

 

客先との相談を終えてマシン室へ行ってみた。

彼は外国製スーパーコンピュータの扉を開けて何やら作業中。

見ると手にハンダゴテを持っている。

「おいおい、大丈夫かい? 下手して壊したら1億円がパーだぞ!」

「大丈夫っすよ、わたしハードに詳しいから・・・」

何やら喋ってくれたのだが、私にも分からずまさしくエイリアン語だった。

顔がまたエイリアンっぽかった。

ニヤリと笑うと口が上に吊り上がり、今にもケケケケケ・・・と高笑いしそう。

「どう? 予定どうりに進んでいる? 問題は何か無い?」

「No probrem!」(おっ1 エイリアン語だぞ・・・バッカ、英語だよ)

 

私としては、空飛ぶ入れ歯目撃とエイリアンとの遭遇、どちらも初体験。

その夜、同じ日のだったことを記憶しておくためにタイトルを考えたのだった。

ローマ字で綴ればIREBAで面白くない。そこで間にnを入れてBをVに変える。

これでインレヴァン・・・エイリアンっぽくなる筈だ。

でも40年かかって思い出したとは想定外・・・。

 

今日のビデオは休みます。

それからスペース区切りをやめ句読点にしました。

[Rosey}


Roseyとの出会いの頃

2023年01月11日 | 追憶

1968年の銀座風景

今日は 妻Roseyと出会った頃の数年の想い出をざっと・・・

 

最初知り合ったのは1966年 私は22歳でした

東京にある本社の研修センターでの出会いが最初です

彼女は研修センターで事務のアルバイトをしていました

 

親しくなったきっかけは 銀座に一緒に行ったこと

彼女の着物姿が魅力的だったので 勝手にお供を申し出たわけ

「いいわよ 一緒に行きましょう」

 

楽器店に行きたいんだけど 「じゃ 案内してあげる」

銀座のホールつき某楽器店を案内してくれました

Roseyの無二の親友が その楽器店傘下でピアノ教師をしているとか

「その彼女と会うのは いつもここの店なの」とRosey

 

それからは グンとお互いの距離が縮まりました

その先は・・・ご想像にお任せします

しばらくして 私の転勤があり 遠距離恋愛の時代へ・・・

紋次郎のホテル?が定宿になった頃です

 

東京本社で 今でいうIT事業を始めたのが1968年でした

わたしも希望して馳せ参じたうちの一人 Roseyと毎日でも会えるぞ!

オマエの本音はそこか 誰にも言わないこの本音・・・

「いっそのこと 一緒に暮らさない?」「そうしましょ!」

 

実は 最初に出会って以来 それぞれの両親には話していました

ですが 諸々のワケがあって 双方の親ともに二人の結婚に反対

結局 双方の親を説得出来て 婚姻届を出したのが 1969年

 

ちなみに二人の本籍地は都内某区 もちろん今もそこが本籍

そこに住んでいたのは 1975年頃まででした

かぐや姫の「神田川」や井上陽水の「心もよう」が1973年の歌

某区で銭湯通いしながら聞いていたわけです

私たち二人の経験にも重なり 今でも聴くと懐かしさが蘇ってきます

古い話なので 今の若い人たちには退屈だったかも・・・

 

今日のビデオ

1968年の銀座風景です

柳が消えてゆく20秒ほどのビデオと

明治百年イベント(今の今まで知らなかったけど)の2分弱のビデオ

2本をつなぎ合わせたました

いずれもNHKロゴ入りのフリー素材です

それに音楽は「春の予感」 これまたフリーBGM素材を使いました

[Rosey}


道草が好き~「谷中」と「乱歩」と・・・

2023年01月07日 | 追憶

谷中の喫茶店「乱歩」の外観
Google map:Google社撮影の画像を使わせてもらっています

 

このブログを書き始めてひと月ちょっとが経ちました

それなのにバカっ! ブログ・ユーザー設定のページを昨日になって初めて知りました

これはブログを見る人が設定するもの そう思って無視していたのです

でも よくよく見たらブロガー(というのかな)が自分のことを紹介するものでした

 

折角あるページです 使わなきゃ損・・・手短かにブログ概要と自己紹介を書きました 

困ったのがプロフィール写真 丸っこいところの写真です

あんまり顔を晒したくないしな・・・それで思い出したのが下の写真

明治か大正の写真か? 冗談はやめて・・・撮ったのは2007年です

レトロな雰囲気でしょ 作家の江戸川乱歩が常連だった「谷中」にある店です

店の名も「乱歩」・・・冒頭にGoogle mapから拝借のお店外観を掲げました

撮影日は2009年」 2年後ですから外観はほとんど記憶そのまま

 

「乱歩」の店内で 同行の女性が私の写真を撮ってくれたのです

下の写真がその彼女(顔にはモザイクをかけました)

連れには他に和服姿の2人の女性がいましたが 今回はパス

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女の本職はイラストレータです

私にはレトロな雰囲気が似合いそう・・・

だからあえてモノクロで撮ってくれたのかもしれませんね♪

センス抜群・・・他にもロゴマークやポスター作りも頼みました

 

数年後 彼女の勤め先だったボランティア支援施設の管理がほかに移ることに

そこにいた皆さんもそれぞれ他のところへ

星霜移り人は去り・・・それが世の倣いですが 皆さんお元気でお過ごしを!

 

今日のビデオ

次回の「道草が好き~音楽ボランティア2」はこの映画に関わるボランティアでした

(いつ書けるかは未定 スミマセン・・・)

[Rosey]


道草が好き~音楽ボランティア編

2023年01月06日 | 追憶

会社を早期退職したのは90年代半ば頃でした

辞める時 私は妻Roseyに宣言したのです

「コンピュータの世界から足を洗ってボランティアをやるぞ!」

 

といってもすぐに始めたわけではなく 暫くは図書館通いの日々

借りて来ては読書三昧 これだけの本漬け活字漬けも道草といえば道草?

Roseyも感染したのか 一緒になって夢中で読んでいました

 

気がつけば2年ほど経過

「パソコン捨ててボランティアやるんじゃなかった?」

「そうだね そろそろ<書を捨て街へ出よう>か・・・寺山修司?」

 

たまたま区広報紙にボランティア募集の記事が載りました

~区民コンサートの企画運営ボランティア募集します~

「音楽好きだし これなんか面白そうじゃないの やってみれば?」

 

応募して合格・・・たぶん応募者がそれほどいなかったんじゃないかな

第1回の会合があり 区民は男女各2名+ホールの関係者だったような記憶

四半世紀前のこと 自分以外は顔も名前も思い出せません・・・

 

「クラシック系の 親しみやすいコンサートを考えています

今日は初めての会合ですから 皆さんでコンサートの名前を考えませんか」

とホール氏(男性)

 

ネーミングは得意芸の一つです

仕事柄 ソフトウェア類を開発する機会が多くありました

ソフト作りはほかの人 私は名付けるだけでしたが これが結構タイヘン!

でも そのお陰でネーミングを考えることも趣味の一つになりました

 

コンサート名には皆さんからあれこれ案が出ました

最終的に決まったのは「暮らしを彩るクラシック!」コンサート

ここでもネーミング芸人?の本領発揮です

 

次の会合で、出演希望者から届いた演奏のテープを聴いて合否の判定

一日がかりで聴き ソロあり合奏あり民族音楽あり・・・多彩でした

わたしの推薦1位は フルートだけの七人のサムライならぬ女性たちの合奏

 

こうして6組の出演者が決まり 次の会合ではリハーサル

コンサートには舞台監督や照明や音響など 沢山の裏方作業があります

それらのことも みんな新鮮で楽しく いいい体験をさせてもらいました

 

本番も好評を得て終わり

これをきっかけに 音楽関係の人たちとも新しい交流が生まれました

その続きはまたの機会に・・・

 

今日のビデオ

お休みします

[Rosey]