生きるとは選択の連続です。そして、自らの意思で選んだ全ての選択に間違いはありません。
ですが、それが全て自分自身の理想や幸福に向かう間違いのない選択であるという意味ではありません。
人の選択とは、人として大きく成長する為のものですから、自分で良かれと思った事が思わぬ方向に向かい、辛い思いをする事もあります。
でも、それは人として成長する為に必要な経過で有る為、ゆくゆくはあれで良かったんだという風に思う日がくるのです。
その時々の選択によって何らかの変化が起こるのは当然の事ですが、それが望んでいない事だとしても長い視点で経過を見なければ本当の結果は分からないのものなのです。
では、何かを選択しなければならない時、何を基準に選んでいけばいいのでしょう?
そもそも、人の本質は魂です。
魂的には、この世的な成功や幸福を求めているわけではなく、霊性を高める事を望んでいます。
霊性が高まる事でこの世的な成功や幸福(快楽)が付加される事があっても、それが目的ではありません。
どちらかといえば、霊性が高まる程、この世的な成功や幸福(快楽)は手に入れる事は難しくなるかもしれません。
なぜなら、霊性が高まると他者実現のレベルで生きる事で至上の喜びを感じ、充足感を味わい満たされるため、この世的な成功には何の興味もなくなっていくからです。
魂がこの世で使う意思疎通の道具は思いであり、それは良心と表現されるものです。
ですから、良心から発する言葉に従って生きる事が最も人を成長させます。
良心は、愛の宿った思いとして、形は見えなくても確かに存在するものです。
それは、愛情、情け、慈愛、母性愛、思いやり(他者を尊重する気持ち)などです。
これら良心から変化した気持ちという思いをベースにして、物事を選択したのなら、人として最も効率よく成長できるようになっています。
なぜなら、人は人として霊的(精神・人格)に成長する為に生きている生命体であり、また、人の本質は自我を超えた真我でありますから、自我(エゴ)を優先しない生き方の中に、人として大きく成長する為の秘訣があるからです。
愛情、情け、慈愛、母性愛、思いやりなどの気持ちは、自我の強さと反比例するものです。
自我が薄くならなければ、愛情深く、情け深く、深い慈愛で深い母性愛で、強い思いやりを持って自分以外の生命体と関わる事は出来ないのです。
ですから、我の強い人(エゴが強く自己主張が強すぎる人)は、強すぎる我をそぎ落としていく過程そのものが人生の生き方になるでしょう。
その為に、我の強い人が選んだ選択肢は、自らのエゴの強さに気づく出来事を引き起こす事になるでしょう。
その繰り返しにより、強すぎる自己主張が弱まり、和をもって生きられるようになっていくでしょう。
繰り返し同じような事を申し上げますが、良心を育てる事こそが人間的な器を大きくする事であり、人の全てがそうなる事を無意識的に望みながら生きているものなのです。
人間的な器が大きくなれば、10年前には真剣に悩んでいた事を、なぜあんな事であんなに悩んでいたのかと、可笑しくなってくるものです。どうしてあんな態度をとってしまったのかと、その場限りではない本当の意味での反省が出来るものなのです。
このように、当時の悩みがとりとめのない事の様に思える様になったという事が、人間的な器が大きくなったという事であり、精神的に人格的に成長したという証なのです。
ではここで、何かを選択する時の基準となる気持ちを表わす言葉をあげてみましょう。
脳裏に浮かぶのは・・・・
私はそれが好きだ。
私はそれが嫌いだ。
私はそうしたい。
私はそうしたくはない。
もしくは、
私はなぜだかわからないけれど、理由はなく理屈抜きでそれに惹かれる。
私はなぜだかそれがとても気になる。
私にとって、どうしてもそれが必要に思われてならない。
魂の声は青で書いた下位3つのような気持ちとして湧き上がってくるという特徴があります。
一方、ピンクで書いた気持ちは、自我の言葉です。
なお、人間の精神性の成長は年齢的に段階を経ていかなければ正常に発達はしませんので、物心ついた頃から思春期にかけて自我がピークに達します。
その後は、他者との関わりの中で自我を表現しながら社会と上手に関わる方法を学び、そのように段階を経て年齢を重ねていくうちに、強すぎる自己主張の角がそぎ落とされ丸みを帯び、次第に真我に目覚めていくという経過を経ます。まさに人として円熟していくのです。
しかし、人としての精神的発達の過程で強いトラウマやインナーチャイルドが形成されてしまった場合、自我の確立が正常になされず、感情的レベルで大きな問題を抱える事になってしまいます。
トラウマやインナーチャイルドの大きい人は、精神的に人格的に、感情体の僕と化してしまっていますので、先ほど書きました自我の言葉しか湧き上がってこない場合がほとんどですし、良心から発せられる言葉が体に流れていても、最終的には自我の言葉に従ってしまう傾向があります。
感情体の僕となっている事は、当の本人や周りも分かりません。インナーチャイルドやトラウマのセラピストにしか理解できない事なのです。
感情体の僕となっている人の特徴としては、生き方の全てに喜怒哀楽の感情が関わっているという事です。
物事の判断基準が、好きか嫌いか、やりたいか、やりたくないか、しかないのです。
その理由として、私はそれを選ぶと楽しいか、嬉しいか、悲しいか、怒りを覚えるか、しかないのです。
毎度毎度、感情に左右されて物事を判断していると、同じような出来事が繰り返し起こってきます。
感情的な判断をベースに構築された生活習慣が慢性病の真の原因であることさえあるのです。
このように自らの感情にいつも振り回されている方は、自らが、感情の僕と化してしまっている事に客観的に気付かないかぎり、好き嫌い、したいしたくない、だけで物事を判断するという負のサイクルから抜け出し、魂の良心の声に従って生きるという事はとても難しい事の様に思うのです。
私達は、感情の僕に成り下がってはならず、感情を僕として、つまり豊かな人生に彩を添える便利なツールとして喜怒哀楽を上手に管理し扱っていかなければならないのです。
*機能重視、健康重視、合理性、利便性しか考えるのではなく、時には好き嫌いも程よく入りれながら、心地よい衣食住の環境を整えていく事が現実的に実現可能な理想像です。
感情の僕と化してしまった人に意見を言うものなら、逆切れされてしまうだけです。
すぐに感情の導線に火がつきます。
喜怒哀楽のどの感情に火がつくかは、トラウマやインナーチャイルドの種類によって違います。
ですが、人其々傾向が違うだけであり、すぐに怒る人、すぐに悲しんで泣き出す人、すぐに悲観して被害妄想に陥る人、すぐに悲観して罪悪感に陥る人・・・・・と、千差万別ではあっても、感情的な表現が強くなされるという共通点があるのです。
*トラウマになった出来事や、インナーチャイルドが形成された当時のショックが強すぎると、感情の欠落が起こり、精神レベルでの麻痺に陥る場合もあります。この場合、無表情、無感情という特徴がでてくる場合もあります。
この様な方々が、真我に目覚め、本来の自分らしさで輝いて生きる様になるには、自らが気づいていくしか方法はありません。
自我の強さを心底思い知らされ強い自己嫌悪を覚える様な何かの出来事などを通して気付くていくか、もしくは、偶然(に思える)のセラピストとの出会いによって、自分を客観視できる機会に恵まれるという事があるかもしれません。
私は、このブログの記事をお読みくださっている方々の全てが感情の僕となり身動きできない状態にあるとは思っていませんが、中には、そんな状態にある方もいらっしゃるかもしれないと思っています。心当たりのある方にとって、何らかの気づきを齎す事ができたらなら幸いに思います。
勿論、トラウマやインナーチャイルドの癒しはホメオパシーの得意とする分野でもありますので、ご縁を感じられたなら、お近くのセンターの相談会を体験してみる事も一つの方法だと思います。
いずれにせよ、生きている全ての人が成長の途中にあり、大きな愛に向かって生きているものなのです
お知らせ
自然体の幸せ地球人『フェリスライフコーチ』&
『ホリスティックヘルスプロデューサー』井元希です
地球と地球人の健康と自然体な生き方をサポートしています
・・・皆さまがいつも温かな幸せにつつまれますように・・・
体も心も魂も「人生の全てのレベル」で健康になる近道
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