ガス室の前では、さまざまのドラマがくりひろげられる、5歳ぐらいの男の子が、ひとり遊びをはじめる、そのかわいらしさ愛らしさ、ユダヤ人もドイツ人もじっと見入ってしまった、悪魔だってほほえむだろう、母親は必死のまなざしで、
「この子だけは この子だけは おたすけください」
ある老人は、
「いったい どれだけ殺せば気がすむんじゃ」
ガス室の窓ガラス越しに手帳を広げ、
「このアパートの隠し部屋に 三人がかくれている」
よっぽど嫌っていたんだろう。
アウシュビッツの収容所の所長のルドルフ・ヘスは克明な記録を残している、彼は、処刑される前に書き記したようだ、これは、違ったレポートだが、青酸ガスの一種・チクロンBは空気より重いため、最初は下にたまり、徐々に上に立ちのぼる、そこで、人々は、1センチでも上に行こうと人を踏み台にした、病人や老人を土台にして、その上にオトコたちが、さらに、その上には屈強なマッチョが、固くからみあった死体をはがすために、
「ドイツ人たちは 先端の曲がった鉄の棒を発明した」
こちらのレポートは大戦末期でチクロンBの質が劣化していたか量が少なかったのかもしれない、当初のすさまじいシーンは、記憶を吹き飛ばすような衝撃だったという発言が残されている、イスラエルのユダヤ人は、これを強調したいのだろうが、彼らが、今やっていることは、同じようなことだという国際世論が高まっている。
彼らは、第二次大戦をアッピールすることで、彼らが被害者であり、彼らに正当性があることを主張する、だから、いつまでも、そのことを繰り返しているのだろう、だが、それが、変わろうとしている、今回のコトが、これほど世界の人々にさらされてしまったら、何を言っても通用しないのではあるまいか。