GJ 研究所 

AIの時代が来ている ヒトが取り残されている これはいい世界なか 中国とアメリカの独走を阻止できるのか

北鮮帰還事業の日本人妻 2

2015-06-23 15:52:32 | 日記
           
 朝鮮戦争後の北朝鮮の人口は1500万人ほど、だから、この9万数千人が、いかに貴重な労働力だったかが分かる。

 ニッポンは高度経済成長前で、まだ貧しい時代、そのため、
 「こちらに来れば リンゴが食べられます」
 それにつられて海を渡った者がいたらしい、また、希望すれば、
 「大学に入れます」

 働きながら、夜学に通っている若者には、たまらない魅力だ、さらに町工場を止めて、工作機械を船に積んだ人もいた、これらが、ウソであることが判明する、そうそう、自動車を持っていった人がいる、これで商売でもしようとしたのか、キタチョーセンのおえらいさんが、
 「いいおクルマですね」

 この言葉には、おそろしいワナがあった。

北朝鮮帰還事業の構造 下

2015-06-19 04:28:19 | 日記
        
 第一次帰還船の前年の1958年の時点で、日本で生活していた半島の人々の8万1千人が生活保護を受給しており、これは、全体の13.3%で、日本人の受給者1,8%の7倍以上、また、犯罪率は日本人の6倍以上と言われていた。

 ニッポンの新聞は、こぞってこの運動を支援し、
 「なんと言っても『完全就職・生活保障』」
 「完全就職」とはすごい、アメリカやEUの各国でも、失業率に一喜一憂している、完全の就職とは、とても言えない、うらやましいかぎりだ、それでも、
 「将来の希望の少ない日本の生活に愛想をつかしながらも、二度ともどれぬ日本を去って、未知の故国に渡るフンギリをつきかねていた」

 1960年2月26日の朝日新聞は、第一次の帰還船について、
 「帰る人たちに対する歓迎ぶりや、完備した受け入れ態勢、目覚ましい復興ぶりなどが報道され」
 「報道した」のは、だれだろうね、
 「さらに『明るい日々の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還に踏み切ったようだ」

 向こうに渡った人の手紙が重要な役割を果たしたのだが、これにはカラクリがあった、だから、多くの人々は、まんまと相手の術中に落ちたのだ、それに、一役買ったのが、彼ら・新聞社の連中ということになる。

北朝鮮帰還事業の構造 中

2015-06-16 01:43:46 | 日記
 
 一連の流れがある、まず、1945年に大戦が終了したが、その5年後に朝鮮戦争が起こる、
  1、1950-1953 朝鮮戦争     
  2、1957-1958 ナベ底景気  
  3、1959ー1984 帰還運動
  4、1955-1973 高度経済成長   

 1の朝鮮戦争で大変な好景気になったが、その反動もあり、その4年後はナベ底のフケイキ、帰還事業の背景にには、当時の日本の貧しい生活があった。

 ところが4の高度経済成長、年平均10%以上の経済成長で、たちまちイタリア・フランス・イギリス、さらに西ドイツを抜き去り、世界第2位の経済大国になる、帰還事業は、その前の時代を舞台にしており、途中でニッポンの経済状況は激変するのだが、この運動そのもは、なおも継続したことになる。

 1959年12月14日に、第一次帰還船が出航しているが、当時の日本は前年までのなべ底不況に苦しんでおり、一方、北朝鮮は計画経済が順調な成果をあげており「千里馬運動」が注目されていた、少なくとも、そのように宣伝されていた。

 だから、まんまと彼らの術中に、はまってしまったのだ。

北朝鮮帰還事業の構造 上

2015-06-12 10:55:00 | 日記
       
 1959年から1984年までに、9万数千人の人々が、北朝鮮に渡ったのだが、これには、さまざまの問題があった、北朝鮮はいい国だとはやしたてたニッポンのマスコミの無責任さ、だから、彼らは、このケースに触れたがらない。

 なにしろ「地上の楽園」とまで記した新聞があったくらいだ、
 「新潟から船に乗れば エスカレーター式に『完全就職・生活保障』の理想社会に到着できる」
 これを書いたのは、朝日新聞ではなく、他の新聞だった。

 日本の新聞、このトラウマを克服できていないのかもしれない、もちろん、その現実は、タイヘンなもので、9万数千人のうち、どのくらいの人々が生き残れたか、なかには、その年の冬を越せなかった者もいたようだ。

貨幣博物館から見た日本人 7

2015-06-09 08:26:53 | 日記
        
 ケータイの声が聞こえる、
 「2億円の取り引きを成立させたんだ ぐふぐふ」
 
 中年のサラリーマンだ、ちょっぴり仕事ができるんだろう、だんだんと声が大きくなる、
 「ムスメがピアノのハッピョー会を ひらくんだ 」

 青白い顔がテレテラと光る、得意のゼッチョーなのか、アカの他人にもおすそわけをしてやろうというのか、だんだんと声が大きくなる、もうわがもの顔だ、カフェには10数人がいたのだが、みなうつむいている、
 「だかーら マツイク・マツイク ニョーボーがマツイクにこっちゃってねー ファファファ」

 弱弱しいオトコだが、カフェの客が黙っているので図にのって、わめきたてる、しかたない、
 「いいかげんにしてくれませんか」

 コップの水をかけようと思ったが、かろうじてこらえる、その時、ひょいと部屋を見渡した、案の定、みんな、知らーんカオ、
 「やっぱりな」

 大体、このパターンだ、振りあげたコブシをどうしようか、とりあえずアタマでも掻いておこうか。