朝鮮戦争後の北朝鮮の人口は1500万人ほど、だから、この9万数千人が、いかに貴重な労働力だったかが分かる。
ニッポンは高度経済成長前で、まだ貧しい時代、そのため、
「こちらに来れば リンゴが食べられます」
それにつられて海を渡った者がいたらしい、また、希望すれば、
「大学に入れます」
働きながら、夜学に通っている若者には、たまらない魅力だ、さらに町工場を止めて、工作機械を船に積んだ人もいた、これらが、ウソであることが判明する、そうそう、自動車を持っていった人がいる、これで商売でもしようとしたのか、キタチョーセンのおえらいさんが、
「いいおクルマですね」
この言葉には、おそろしいワナがあった。