清水山から阿弥陀ヶ峰・東福寺に至る山麓一帯は
かつては鳥辺野と呼ばれ、
風葬の地、死者の地でした。
関白・藤原道隆の長女として生まれ、
数14歳で、3歳年下の一條天皇のもとに入内した藤原定子。
この時代、「三后」といわれる天皇の嫡妻に与えられる地位は、
太皇太后は3代前の朱雀天皇の正妻・昌子内親王、
皇太后は一條天皇の生 . . . 本文を読む
1268年、わずか8ヶ月で立太子し、
1274年に8歳で、父帝から譲位され即位した
第91代 後宇多天皇
在位中に「文永・弘安の役」・・・つまり元寇が起こりますが、
治天の君は父・亀山上皇でした。
後深草上皇が自分の血統が皇位を継げないのを不満に思っていました。
後深草上皇は幕府の斡旋をえて、1287年に伏見天皇(第92代)に譲位。
後 . . . 本文を読む
景勝地・京都嵐山
台風18号の川の氾濫で、多くの店舗が被害を受けました。
そんなことがあったのか・・・と思えるくらいの復旧ぶりです。
しかし所どころに、その痕は残ってました。
前回、天竜寺にある後嵯峨天皇・亀山天皇陵(→こちらから)をご紹介しましたが、
その火葬塚が西側の山にあります。
火葬塚・・・・その名の通り、遺体を . . . 本文を読む
鎌倉時代、承久3年(1221年)に、
後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げてます。
承久の乱です。
敗れた朝廷側の後鳥羽上皇は隠岐島に、
順徳上皇は佐渡島に、
直接関係しなかった土御門上皇は、自ら望んで土佐国(後に阿波国)へ配流されました。
即位していた順徳上皇の皇子・仲恭天皇はわずか78日で廃位させられ、
後鳥羽上皇につながる血統を排除し、
安徳天皇の弟の子 . . . 本文を読む
京都府南丹市
道路を走っていると、朱の剥げた楼門を発見!!
真言宗御室派 鴫尾山九品寺 址
810年、空海によって創建されました。
その後、白河天皇のよって伽藍が造営され、
白河天皇の皇子・仁和寺の三世門跡・覚行法親王が入寺。
しかし兵火で何度も焼失。
衰退していきました。
この寺にあった不動明王像と十一面観音像は、海を渡り、
ニュ . . . 本文を読む
京都市上京区にある北野天満宮。
学問の神様としても知られている「菅原道真」を祭神としている神社で、
福岡の太宰府天満宮と共に、全国の天神信仰の中心地です。
道路沿いの鳥居から参道が長く伸びてます。
3つ目の鳥居をくぐると楼門が姿を現します。
思ったより広い!!
楼 . . . 本文を読む
第89代の兄・後深草天皇の子孫を「持明院統」、
第90代の弟・亀山天皇の子孫を「大覚寺統」といい、
この後、皇室が2つに分裂。
持明院統が北朝(京都)、大覚寺統が南朝(吉野)となり、
天皇が2人いる時代、南北朝時代に突入します。
(詳しい内容は、また別の機会に・・・・)
その南朝3代(歴代98代)天皇が長慶天皇です。
対北朝の対し、強硬路線をとっていた . . . 本文を読む
安積親王(あさかしんのう)は、
聖武天皇の第ニ皇子として生まれました。
生誕と同じ年、前年に生まれた異母兄・基皇子が夭折し、
聖武天皇唯一の男子となりました。
しかし皇太子に立ったのは、異母姉・阿倍内親王。
安積親王の母が県犬養広刀自であるのに対し、
阿倍内親王の母が、藤原不比等の娘・光明皇后だったためです。
744年、恭仁京で17 . . . 本文を読む
京都市西京区
国道9号のすぐ側にある「天皇の杜古墳」
「天皇」とついてますが・・・・・
残念ながら天皇陵ではありません!
築造は古墳時代前半の4世紀頃。
京都にしては珍しく、かなり古い時代の前方後円墳です。
元々、地元では第55代 文徳天皇の陵墓と思われていたらしく、
「天皇」の名前が残ったってことです。
この辺りの地名も . . . 本文を読む
1221年、承久の乱で、鎌倉幕府討伐に後鳥羽上皇が敗れ、流罪となり、
仲恭天皇は廃位されます。
(仲恭天皇→こちらから)
すると治天の君(=政務の実権を持つ者)が不在となりました。
鎌倉幕府は「後鳥羽上皇の子孫の皇位継承は認めない」とする方針を決定しましたが、
第80代 高倉天皇の第二皇子・守貞親王(出家して行助入道親王)の三男・茂仁王しか、
出家していない皇族は残っていませ . . . 本文を読む
京都市東山区の泉涌寺の裏山に
第121代 孝明天皇の陵墓 後月輪東山陵と、
皇后 英照皇太后の後月輪東北陵があります。
この日、この泉涌寺一帯に点在する宮内庁管理の陵墓を散策。
で、7年ぶりに再訪!
孝明天皇については以前の記事でUP(→こちらから)してますが、
今回、面白い物を、面白い事を発見したので、検証です。
泉涌寺の横に参道が伸び . . . 本文を読む
京都市東山区の御陵
月輪陵・後月輪陵
たくさんの石塔が並んでいました。
☆;:*:;☆;:*チア(●´Д`●)ワセ;:*☆;:*:;☆;
25陵・5灰塚・9墓あるといいますが、
どれが、どなたのものか、さっぱり。
ワカリマ━─━((乂(д― )三( ―д)乂))━─━セン
一応、石柱が建っているのですが・・・・
塀は高いし、広いし、遠いし・・・・・( . . . 本文を読む
京都市東山区にある泉涌寺は「御寺」と呼ばれ、
鎌倉・江戸時代の歴代天皇の陵墓がある皇室の菩提寺です。
(前回の記事→こちらから)
いろいろなサイトを確認すると、
どうやら中を覗ける場所があるらしい!
ということで、7年ぶりの再訪!!
月輪陵・後月輪陵の拝所です。
門の前に立つ制札は、他の陵墓の倍ほど長く、
字が細かい!
. . . 本文を読む
京都市東山区
泉涌寺の側に、宮墓地があります。
Google Earthでなんか、土饅頭がボコボコ!
気になって行ってみました!
「宮墓地」とは皇族の墓の集合したものです。
皇族や貴族が住職を務めた門跡寺院のある皇族の集合墓地や、
●●宮家の墓地などをさします。
ここにあるのは「賀陽宮墓地 久邇宮墓地」です。
7つの円墳があります。
被葬者は・・・・
後伏見 . . . 本文を読む
京都市東山区、
真言宗の寺院・泉涌寺があります。
ここは「御寺」と呼ばれています。
鎌倉・江戸時代の歴代天皇の陵墓があり、
皇室の菩提寺です。
前回、ご紹介した孝明天皇と英照皇太后の陵墓も、
この泉涌寺の東側の裏山にあります。
なので後月輪東山陵(孝明天皇陵)、
後月輪東北陵(英照皇太后陵)というわけです。
(→諡をもつ最後の天皇-孝明天皇陵-)&n . . . 本文を読む