天皇が崩御すると、おくられる号を「諡(おくりな)」といいます。
明治以降は、元号=天皇の名称になりました。
この諡を最後におくられたのが、幕末の第121代 孝明天皇です。
仁孝天皇の第四皇子として生まれ、実母は典侍の藤原雅子(新待賢門院)。
養母は女御の藤原祺子(新朔平門院)。
徳川家に降下した和宮親子内親王の異母兄になります。
慶応2年(1866年)12月25日崩御。
葬儀は泉涌寺で仏式で営まれ、
泉涌寺裏山の後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしやまのみささぎ)に葬られました。
文久の修陵事業で活躍した山陵奉行・戸田忠至が、仏式葬の石塔から古式に改めらたとの事。
なので後月輪東山陵は円墳を模しているそうです。
英照皇太后は、孝明天皇の女御・九条尚忠の娘・九条夙子。
中山 慶子の生んだ第二皇子・祐宮睦仁親王(明治天皇)を実子とし、
孝明天皇崩御後、皇太后に冊立。
東京遷都で、赤坂御用地に移りますが、明治30年(1897年)1月11日、崩御しました。
孝明天皇は幕末の動乱を生き、
古来から続いていた諡をおくられた最後の天皇です。
一度、行ってみて
京都市東山区 後月輪東山陵