京都市伏見区にある深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)。
別名「深草十二帝陵」とも呼ばれています。
第89代後深草天皇、第92代伏見天皇、第93代後伏見天皇、
北朝第4代後光厳天皇、北朝第5代後円融天皇、第100代(北朝6代)後小松天皇、
第101代称光天皇、第103代後土御門天皇、第104代後柏原天皇、
第105代後奈良天皇、第106代正親町天皇、第107代後陽成天皇
初代伏見宮の栄仁親王(北朝第3代崇光天皇の皇子)を合葬した陵墓です。
なので深草12帝陵といわれるのです。
後深草天皇から始まる「持明院統」の御陵でもあります。
兄・後深草天皇の子孫が「持明院統」、弟・亀山天皇の子孫を「大覚寺統」といい、
この後、南北朝時代に突入するわけです。
(この話はまた今度・・・・)
鎌倉時代、安楽行院という寺院が創建され、
その法華堂に12人の天皇の遺骨が納骨されました。
その後、応仁の乱で荒廃。
明治時代に御陵として整備されました。
この頃になると皇室も財政難で、天皇毎に陵墓は、
難しくなってきたのではないかと思われます。
陵墓巡りで、これだけの天皇の名があると、
ちょっと得した気分になります。
゜☆+ラッキ─(。・∀・)人(・∀・。)─ッッッ+.☆゜
一度、行ってみて
京都市伏見区 深草北陵