京都に行く際、よく使う道。
亀岡から京都市内につづく国道9号線。
途中のある老ノ坂に、確か史跡かなにかあった気が・・・・
という、うろ覚えの状態のまま、行ってみました。
着いた先にあったのは・・・・
首塚大明神!
ヒェ━━(.;゜;;∀;゜:,)(.;゜;;∀;゜:,)(.;゜;;∀;゜:,)━━エェエ!!!
慌てて、携帯のマップで確かめると、確かに「首塚」!
いろいろな史跡や、「墓」とみんなに言われる古墳など、
平気で行きますが・・・・「首塚」って・・・ンー・・・σ(‐ェ‐´◎)
時代にもよるけど・・・・と悩んだあげく、行ってまえ!!
階段が木の根って、好きだなー。
社殿は小さく、その横にある石碑で、「首塚」の首の主がわかりました。
酒呑童子
丹波国を本拠地としていた鬼の頭領で、
スサノオに敗れた八岐大蛇が、近江に移り、子をなした。
その子が酒呑童子とも言われています。
諸説あり、「鬼」とも、「山賊」とも言われていますが・・・・
さて石碑には・・・・・
平安時代初期。(西暦八百年頃)丹波の国大江山に本拠を構えた酒呑童子が、
京の都へ出て金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので、人々の心に大きな不安を与えていた。
天子(天皇)は源頼光等四天王に命じ酒呑童子とその一族を征伐するよう命じられた。
源頼光等は大江山の千丈ヶ嶽に分け入り、苦心の後、酒呑童子とその一族を征伐し、
酒呑童子の首級を証拠に京の都へ帰る途中、この老の坂で休憩したが、
道端の子安の地蔵尊が「鬼の首のような不浄なものは天子様のおられる都へ持ち行くことはならん」と云はれたが、
相模の国の足柄山で熊と相撲をとったという力持ちの坂田金時が、
証拠の品だから都へ持って行くと言って酒呑童子の首を持ち上げようと力んだが、
ここまで持ってきた首が 急に持ち上がらなくなった。
そこで一行は止むを得ずこの場所に首を埋めて首塚をつくったと伝えられている。
酒呑童子が源頼光に首を切られるとき、今までの罪を悔い、
これからは首から上に病をもつ人々を助けたい、
と言い残したと伝えられ首塚大明神は首より上の病気に霊験があらたかである。
慢性頭痛にも効くかな?っと、お参りしました。
ニヤ( ̄ー+ ̄☆)
鳥居の横にある杉の木は落雷を受けたようで、
縦に真っ黒の裂け目を持ちながら、しっかり立っていました。
エッ!?(゜Д`;ノ)ノ<スゴスゴスゴスゴォォオオオ!!
どうやら、ここは円墳のようです。
この円墳に首が埋まっているかは、定かではありません。
後日談・・・・ネットでは心霊で有名らしい・・・・(●0Д0ノ)ノマジヵョッ!!
一度、行ってみて
京都府西京区 首塚大明神