わずか78日-仲恭天皇陵-

2013-02-16 12:28:19 | 歴史あるトコ-京都

承久3(1221)年、後鳥羽上皇は鎌倉幕府に対して挙兵。

 

平清盛、源頼朝、そして鎌倉幕府と、武士が中心の時代。

この頃、鎌倉幕府は源頼朝の直系は途絶え、

執権・北条氏が幕府を動かしていました。

後鳥羽上皇は朝廷の権力を回復させるために、

頼朝の次男・実朝が暗殺され、源氏将軍が途絶えたのを好機とし、

幕府討伐の為、挙兵します。

しかし上皇軍はわずか1ヶ月で鎮圧され、

後鳥羽上皇は隠岐、

順徳上皇は佐渡、

土御門上皇は土佐の配流されました。

 

これが承久の乱のあらましです。




この乱の犠牲者ともいえるのが、

第85代 仲恭天皇です。


承久の乱に参戦するため、第84代順徳天皇は4歳の第一皇子に譲位します。

しかし即位式を挙げる事もなく、承久の乱後、廃位。

在位はわずか78日。

廃位後、母方の九条邸で暮らしていたため、九条廃帝とよばれ、

明治まで歴代天皇には加えられていませんでした。

 

わずか17歳で崩御。

どこに埋葬されたか不明ですが、

宮内庁は京都府伏見区に「九條陵」を指定しています。

 

東福寺の近くの小高い丘の上にあります。

この辺りは九条家ゆかりの地。

円墳を整備し、陵墓にしたようです。

 

 

 

 

一度、行ってみて

京都市伏見区 仲恭天皇 九條陵



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