承久3(1221)年、後鳥羽上皇は鎌倉幕府に対して挙兵。
平清盛、源頼朝、そして鎌倉幕府と、武士が中心の時代。
この頃、鎌倉幕府は源頼朝の直系は途絶え、
執権・北条氏が幕府を動かしていました。
後鳥羽上皇は朝廷の権力を回復させるために、
頼朝の次男・実朝が暗殺され、源氏将軍が途絶えたのを好機とし、
幕府討伐の為、挙兵します。
しかし上皇軍はわずか1ヶ月で鎮圧され、
後鳥羽上皇は隠岐、
順徳上皇は佐渡、
土御門上皇は土佐の配流されました。
これが承久の乱のあらましです。
この乱の犠牲者ともいえるのが、
第85代 仲恭天皇です。
承久の乱に参戦するため、第84代順徳天皇は4歳の第一皇子に譲位します。
しかし即位式を挙げる事もなく、承久の乱後、廃位。
在位はわずか78日。
廃位後、母方の九条邸で暮らしていたため、九条廃帝とよばれ、
明治まで歴代天皇には加えられていませんでした。
わずか17歳で崩御。
どこに埋葬されたか不明ですが、
宮内庁は京都府伏見区に「九條陵」を指定しています。
東福寺の近くの小高い丘の上にあります。
この辺りは九条家ゆかりの地。
円墳を整備し、陵墓にしたようです。
一度、行ってみて
京都市伏見区 仲恭天皇 九條陵