女帝の先駆け-飯豊天皇陵-

2013-02-20 12:10:37 | 歴史あるトコ-奈良

日本の女帝といえば、

第33代 推古天皇 (欽明天皇皇女 敏達天皇皇后)

第35代 皇極天皇 (敏達天皇曾孫 舒明天皇皇后

第37代 斉明天皇 (皇極天皇 重祚)

第41代 持統天皇 (天智天皇皇女 天武天皇皇后)

第43代 元明天皇 (天智天皇皇女 草壁皇子妃)

第44代 元明天皇 (元明天皇皇女 独身)

第46代 孝謙天皇 (聖武天皇皇女 独身)

第48代 称徳天皇 (孝謙天皇 重祚)

              ・・・・・・・・・・・・・・ここまでが奈良時代

ここから江戸時代・・・・・・・・・・・・・・・・

第109代 明正天皇 (後水尾天皇皇女 独身)

第117代 後桜町天皇 (桜町天皇皇女 独身)

 

8名10代の女性天皇がいました。

重祚=一度、退位した天皇が再び即位すること

これは歴史上、確認できている女帝です。

女性天皇は「中継ぎ」である場合がほとんどです。

息子、孫、弟が成人するまでの・・・。

 

その他にも、神功皇后(第14代仲哀天皇皇后)や、

邪馬台国の卑弥呼を挙げる方もいるでしょう。

そしてもう一人、飯豊皇女がいます。

 

飯豊皇女(いいとよのひめみこ)

5世紀末頃の人物で、

第17代履中天皇皇女とも、孫とも言われています。

第22代清寧天皇崩御後、

次代の顕宗天皇即位までの間(日本書紀では10ヶ月)、

一時的に政務を執ったとされています。


即位したのか、しないのか、わかりませんが、

宮内庁は「飯豊天皇」として、即位していない天皇の扱いで、

奈良県葛城市にある北花内大塚古墳(全長90mの前方後円墳)を、

葛城埴口丘陵(かずらきのはにくちのおかのみささぎ)として比定しています。



推古天皇が即位する際、「飯豊皇女の前例がある」と

聖徳太子にいわれたとか・・・・・。


近年の立ち入り調査で、本来はもう少し小さい前方後円墳だったようです。

江戸末期に、大掛かりな補陵で、

立派にしてしまったんですね・・・。

ε-(・Д・`*)ハァ



 


一度、行ってみて

奈良県葛城市 飯豊天皇陵


 



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