しめっぽい話題が続いてしまいますが
父の事を書いたので母の事も・・・
私は母も癌で亡くしています。
母は癌だと分かった時にすでに手遅れでした。
後半年と言われ
手術もしたのですが
治すための手術ではなく
少しの間でも好きなものが食べられるように
というその為の手術でした。
母が末期癌と聞かされて
ショックで泣いてばかりいた時
ダンナが言ってくれた言葉があります。
その言葉だけで私は一生この人に頭が上がらないな
と思っています。
(勿論そんなことはダンナには絶対言ってませんが・・・)
「助かる方法がないかネットで調べて
いいと思うものは何でも買ってやれ。
いくらお金がかかってもいい。
命より高いものなんかないぞ。」
自分の親でもないのに
私の親なのに
ダンナはそう言ってくれました。
そして本当にかなりのお金を母にかけてくれました。
結果的に母は助かりませんでした。
当然といえば当然の結果です。
すでに体中に癌が転移していたのですから・・・
でもその当時、私が調べた中で
これが良いと思ったものをいくつか飲ませたせいか
それともそれは全く関係なかったのか分かりませんが
転移していた肺の癌が消え
抗がん剤の副作用が全くなくて病院の方を驚かせ
半年といわれた余命が1年に伸び
おかげで長女の高校合格を一緒に喜ぶことができました。
でもちょうどその頃から癌は骨に転移してしまいました。
母は激しい痛みに耐えかねて入院しました。
父の苦しむ様子を見てきた私たちは
母に同じ思いをさせたくありませんでした。
特別怖がりの痛がりの母です。
父のように強くはありません。
モルヒネの量が多くなると母はずっと眠ったまです。
少ないと痛がります。
私たちは痛くない方を選択しました。
その結果、母はいつもうつらうつらして
起きているのか寝ているのか分からない状態でした。
でも痛い痛いと苦しむ様子を見るよりはましでした。
母にはそれでもできるだけの事をしてあげられた
という思いがあります。
父の時と違って病院の対応もすごく親切で
担当の先生も看護師の方もみんなとても優しかったです。
最後に病院から母を連れて帰る時も
たくさんの方が見送って下さったのですが
その中でまだ看護師になりたての若い看護師さんが
ワンワン泣きじゃくっていた姿。
私はすごく嬉しかったです。
同じように悲しんでくれてありがとう
そう言いたかったです。
母がいなくなった寂しさは
日を追うごとに増してきました。
今こうやって書いていて思ったのですが
長女が少しのことでじきに私に電話してくるように
私もいつも母に電話をしていました。
長女は私と同じだったんですね。
母が亡くなった後も
何かあったら母に電話をかけようとしてしまう私がいました。
悩みや愚痴は友達にも言えます。
でも逆に嬉しい事は
他人に話せば自慢になってしまいます。
でも母なら一緒に喜んでくれます。
なので嬉しい事があるたびに
母が生きていたらなあ・・・といつも思います。
父も母も今の時代にしては早すぎる死でした。
もっと長生きして孫達の成長を見て欲しかった
という思いは勿論あります。
でも父と母は本当に仲の良い夫婦でした。
どちらももう一度結婚するとしても同じ相手と結婚する
と抜け抜けと言っていたくらいです。
だから時間は短かったけれど
幸せな人生だったと思うのです。
父が亡くなる少し前に母が言いました。
「私たち、何も残せなかったけど
子供達が二人とも良い子に育ってくれた。
それが一番の幸せやなあってお父さんと話したんや」
決してできの良い子供ではないけれど
そう思ってもらえたって事は
少しは親孝行できたんですよね。
母が生きている時はいつも
実家できれいに咲いたお花を植木鉢ごともらって帰り
枯れたらそのままお返しするという
横着極まりなかった私も
今は自分でお花を育てています。
これは今朝咲いた朝顔です。
猫の好きだった母。
お花の好きだった母。
口うるさかった母。
せっかちだった母。
心配性だった母。
私もまるっきり同じになっちゃったよ、お母さん。