父の葬儀から2日目に入って、ようやく落ち着いてきました。
23日の卒業を祝う会は40名以上の参加者がありました。2次会は20名以上の参加があり大盛況でした。特にお母さん方の盛り上がりは予想外でした二次会が終わったのが午後11時半ごろ。私は最後まで見送りをしました。
その後は1人で行きつけの店に行って、妻から迎えに来てもらいました。その直後、母から電話がかかってきて、父が入院している病院に直行しました。そこで父の最期を看取りました。祝う会の二次会が終わってから2時間後のことです。
午後4時から始まった祝う会ではかなり飲んだのですが、不思議と悪酔いしませんでした。事前に母から父の状況を聞いていたので、もしかしたらと覚悟していました。
午前3時頃に葬儀屋から葬儀関係の手続きの説明を受けました。私がスーツ姿で病院や葬儀場にいたので、仕事帰りだと思っていたそうです。早朝から市役所やお寺に行ったりしました。喪主として何かと手続きがあるものです
ここ数か月は週末だけでなく平日でも、学校行事や引越しなどの予定が入っていましたが、父の葬儀は何の用事にも影響しませんでした。父は卒業を祝う会が終わるのを待っていてくれたような気がしてなりません
私は葬儀場で線香を立てたりなど、1人で夜通し父に付き添っていました。1人でも寂しいとは思いませんでした。むしろ人目を気にせずに、これまでの父のことを思い出せてよかったです
父は中学校を卒業してから45年間勤務して、退職後も10年間個人で仕事を続けるほど仕事一筋でした。手先が器用な父でした。私は父のような真似はできせん。
父が中学校しか卒業していないのは、長男として家族や下の兄弟を支えるために早く仕事を始めたのです。さらに、祖父が寝たきりになるのが早かったので、父は若い頃から一家の柱として家族を支えてきました。
植木が趣味で、家の前に植木を手入れして並べ、玄関前にも花を綺麗に飾っていました。冬の前にはそがきをしていました。マメな父でした。
アユ釣りによく出かけていました。釣りだけでなく、家で網を編んでいました。幼い頃からアユの塩焼きやみそ田楽をよく食べたものです。さらに、山菜取りにもよく出かけて、たけのこ汁、ワラビやアイコなど山菜のおしたしをよく食べさせてくれました。
父の兄弟が里帰りした時に、都会ではなかなか食べられない山菜料理などを喜んで食べていたのを思い出します
普段の父は仕事に行ったり、山や川に行ったり植木の手入れや畑作業などで、家でゴロゴロしている姿をあまり見たことがありません。それなのに私はソファーで寝込んでスマホゲームをしたり、飲んでばかりのだらしない親です
私は父から支えてもらい過ぎたのか、本当に不器用で何もできません。これまで父が家族にしてくれたことを、私は子供達に何1つしてあげられません
ほんの少しでも父を見習って、子供達の夢が叶うように支えていけたらと思います