Miyuki Museumブログ

主に絵画創作の発表や販売、作品展のお知らせについて綴っています
Miyuki Museumのひとりごと

裁縫箱とミシン

2017-06-17 | 日常
(Sat)
先日、久しぶりにミシンをyellow1
ミシンの調子がわるいのか糸調整が上手くできませんでした。
そのため手縫いで。



これは友人から随分昔にプレゼントして頂いた裁縫箱symbol4
キットで作った、と教えてくれました。
和紙の柄がステキなこと、それぞれの可愛い収納スペース、
どの場所へでも簡単に持ち運べて裁縫できること、
とても重宝し、お気に入りですclover



当時、自分が使用していた裁縫箱はこちら。
今は布地やプリント生地入れとなっています。
昭和レトロな雰囲気。これも味があるかなyellow1

…と話が戻り、手縫いしたあと、ミシンの修理に没頭しておりました。
結局、判明したことは、以前使ったとき、ミシン針をデニム用に換えていたこと。
ミシン針をもとの薄い布用に交換し、油を注すと直りました~light

社会人になったとき、初めて買った電化製品がミシンでした。
ブラザーのピンクのミシンで今も使用しておりますclover

先日、ブラザー工業のこんなコラムを拝読しました。
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毎日jp(2017/6/4)より引用ですpencil

【ブラザー工業 長男と四男、力合わせて】

 ミシンや複合機などの製造を手がけるブラザー工業。 
実は社名が「シスター工業」になっていた可能性もあった。

 同社のルーツは、名古屋市で安井兼吉氏が
外国製ミシンの修理業を始めた1908年にさかのぼる。
その後、兼吉氏の長男、正義氏が家業を引き継ぎ、
四男の実一氏とともに「安井ミシン兄弟商会」を運営。
「ミシンを国産化し、輸出産業にする」という大志を抱いた。
 正義氏が主に経営を、実一氏が技術開発を担い、
28年に麦わら帽子製造用ミシンの販売を開始。
32年には家庭用ミシンの国産化にこぎつけた。

 安井兄弟は当初、自社製ミシンの商標を「シスター」にするつもりだった。
当時、主流だった米国の「シンガー」社製と語呂が似ていて、
主な使い手の女性たちが親しみやすい名前にしたいと考えたからだ。
「SISTER」と記したシールも用意したが、
別の会社が既に商標登録していたことが判明。
結局、「兄弟で力を合わせた」ことを表す「ブラザー」に落ち着いた。

 47年に中国・上海へミシンを販売し、念願だった海外輸出を実現した。
ミシンで培ったモーター技術などを生かし、
事業の多角化も推進。62年には社名を現在の「ブラザー工業」にした。
 
 兄弟は90~91年、80歳超で相次いで亡くなった。
タイプライター、プリンター、ファクス、通信カラオケ。
時代の変化に合わせて進化を続ける同社は来年、
創業110周年を迎える。【大野友嘉子】



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ブラザーがシスターになっていた可能性もってところが微笑ましく、
今後の転機に繋がっていく歴史など考えさせられましたanimal1
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