(Mon)
【産経ニュース】より抜粋。
東日本大震災での自衛隊による被災者支援活動は「最後の砦」である。
隊員はその重みを感じながら黙々と働くが、
肉体的、精神的疲労は日ごとに増す。
身内に犠牲が出てもわが身を顧みず、被災地にとどまる隊員も多い。
実績を声高に誇ることもなく、黙して語らぬ隊員の思いと労苦を
隊員同士のメールや写真から検証した。
(半沢尚久、《》はメールの文面、写真は陸上自衛隊提供)
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温かい食事は被災者に。自身は冷たい缶詰の食事をする隊員
■被災者支援が第一
《自宅が全壊、家族も行方不明という隊員が普通に働いている。
かけてあげる言葉がみつからない》
身内に被害が出た隊員も被災者支援を続ける。
《被災地に来て12日目。風呂はまだ1回しか入れていない》
《毎日、乾パンや缶メシと水だけ》
炊き出しで温かい汁ものの食事を被災者に提供しても隊員が口にするのは
冷たいものばかりだ。
写真は岩手県山田町でわずかな休憩時間に狭いトラックの中で膝詰めになり、
冷えたままの缶詰の食料を口に運ぶ隊員を写す。
22カ所で入浴支援も行っているが、汗と泥にまみれた隊員は入浴もままならない。
「わが身は顧みず、何ごとも被災者第一」の方針を貫く。
兵たんや偵察といった自衛隊ならではのノウハウを生かし、役割も増している。
集積所によっては滞りがちだった物資輸送の効率化に向け、
自治体や運送会社を束ねるシステムを立ち上げた。
孤立地域のニーズをきめ細かく把握する「御用聞き任務」も始めた。
《被災者の心細さを考えたら…。がんばる》
■米軍支援も引き出す
宮城県多賀城市の多賀城駐屯地では整然と並んだ陸自車両のタイヤが水に埋まった。
車体には「災害派遣」の垂れ幕。地震発生を受け、出動しようと矢先を
津波にのまれたのだ。
いかに迅速に出動態勢をとるか。そんな訓練が徹底されている証しでもある。
大規模支援を買って出た米軍を鼓舞させたのも、そんな自衛隊員の姿だった。
《米軍は初めは様子見だったが、自衛隊が命をかけて任務を遂行するさまを見て
本気になった》
東京電力福島第1原子力発電所では被曝の恐怖に臆することもない。
17日からの放水活動の口火を切ったのも自衛隊だった。
直後に米軍が放射能被害管理などを専門とする部隊約450人の派遣準備に入ったと
表明したのは、米側が自衛隊の「本気度」を確信したからだといわれる。
ある隊員からこんなメールが届いた。
《自衛隊にしかできないなら、危険を冒してでも黙々とやる》
《国民を守る最後の砦。それが、われわれの思いだ》
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