Miyuki Museumブログ

主に絵画創作の発表や販売、作品展のお知らせについて綴っています
Miyuki Museumのひとりごと

つむじ風のスープ

2024-12-23 | 読書・言の葉

12/13に発売された森博嗣氏の「つむじ風のスープ」。
毎年、年末に発行される森氏のエッセイ本✨
お正月に読むのが楽しみです😊

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来年2月に地元で開催予定の絵画サークル展。
ただ今、小さな作品を創作中です🎨

中部ローマン展の作品も並行して描き始めました🎨
ガンバります🍀

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単位と合わせて使う接続語

2022-11-23 | 読書・言の葉

昨日(11/22)の新聞で興味深かった記事を抜粋📖😊


私、 最大はテラ、最小はナノまでしか知らなかったので💦
そうなんだ!って思って💡✨

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リユース

2022-05-31 | 読書・言の葉
5月は爽やかな季節なので断捨離月間にして頑張っていました🍀

お人形類はお代金を支払い供養していただけて
キレイな絵本やおもちゃはリユースしてくれる場所があったので、家族に相談してから
箱詰めし発送しました。
到着連絡のメールによりますと
【国内外で商品を必要とされている方々にワクチンと共に、
お渡ししています。ありがとうございました!】とのこと。
また使っていただけるとありがたいです🍀

昔の大きな鯉のぼりは感謝を込めてお別れし
鯉のぼり祭りのある市へ寄付しました。
再び、その場所で泳ぐ姿を観られたらありがたいです🎏 

※過去写真
お祝いしてくれた先人の
温かなお心遣い
感謝の念に堪えません

2022/4/27の新聞記事で拝読した「断捨離」考の
やましたひでこ氏と反対派の五木寛之氏、
お二方どちらの文章にも共感いたしました。
毎日jpより抜粋してご紹介🍀

【やましたひでこ「捨てて」人生を楽しむ】
 私たちはモノの不足が自分を損なうことは知っているが、
過剰がもたらす不幸にはなかなか気づかない。
世の中にはモノだけでなく情報や人間関係があふれている。
人はそうした過剰をもてあまし、過剰にふりまわされる。
断捨離は過剰を見極めて手放し、身軽になる取捨選択の行為だ。
それは自分の価値観を問い直し、新たな人生を創造していく作業でもある。

【五木寛之「捨てない」にこだわり】
世はまた「断捨離」ブームらしい。
モノに執着せず、さっぱりと捨ててシンプルに暮らす。潔いと思う。
雑多なモノがある暮らしは、今やネガティブに語られがちだ。
でも、僕は「捨てない」ことにこだわってきた。
「捨てるな」とは言わない。だが捨てない暮らしや生き方も面白いよ、と提案したいのだ。
どれひとつとっても、それを手に入れた時の人生の風景、記憶が宿っている。僕は「依代(よりしろ)」と呼んでいる。
喫茶店のコースター、バーのマッチ、万年筆、何でもいい。
あのバーには誰と行った、あんな曲が流れていた、その時こんな話をしたっけ。
そんなモノをきっかけに、長らく思い出すことのなかった過去の記憶がよみがえる経験は、誰しもあるのではないか。
だから依代は多いほうがよい。
それらに囲まれ、それぞれに宿る記憶や人々を思い起こし、回想する。
実に温かく、豊潤な時間である。過去の回想は後ろ向きだと思われるかもしれないが、そうではない。
思い出すことで心が生き生きし、明日への活力になる。
前に進むためには、後ろを振り返ることが必要だ。
「人生100年時代」の後半は、そんな豊かな記憶を味わい、楽しんで生きる「黄金の時代」だと思う。

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新聞記事と本より

2022-01-26 | 読書・言の葉
(Wed)
1月初旬の新聞記事より
印象深かったものを抜粋し
引用いたしますpencil
………………・・………・・………………
(2022/1/7)
【昭和1桁世代の弔い合戦 
インタビュー 宗教学者・山折哲雄】(聞き手・小国綾子)


宗教学者、山折哲雄さん(90)は一昨年、肺炎で入院した際、
「延命治療も手術も一切お断り」と医師に告げたという。
すんでのところで生を得た今、
これからの人生を「昭和1桁世代の弔い合戦」と位置づけ、
言葉の陰影と複眼的な物の見方をこの国に取り戻そうと語る。
卒寿の碩学にその真意を聞いた。

【複眼的価値観消え、社会を覆う二元論】
――新しい年にどう臨みますか。

私たち昭和1桁は、中途半端な形で戦争を体験した世代です。
特攻隊など大きな犠牲を払った世代より下ですが、
勤労奉仕にかり出される形で戦争と関わった。
敗戦を迎えた時、私は旧制中学2年。
終戦詔勅を聞いた時、全身で解放感を覚えました。
だからこそ戦後、「民主主義少年」へと一気に変貌しました。

昭和1桁とは、戦争と平和の両方を経験した最後の世代なのです。
明治初年の新国家建設を体験した少年のように。
福沢諭吉の言う「恰も一身にして二生を経るが如く」です。
貧乏で腹をすかせ、見渡せば焼け野原。
でも新しいことに何でも挑戦できた。
だから絶望したことはありませんでした。

しかし、高度成長が終わり、今や日本が数々の困難に直面している。
貧困や格差の問題が深刻になり、若者までが閉塞感や絶望感を
抱える時代となってしまった。

――「弔い合戦」の標的は何ですか。

まずは言葉。
言葉の持つ陰影や含意が失われ、
あるいは削り取られ、一面的に
用いられているように思えてなりません。

例えば「癒やし」という言葉。
平成に入って安易な使い方が増えました。
何が何から救われるのか、主体・客体を曖昧にしたままで、
インスタントに「癒やし」を求め、何でもかんでも
「癒やしの〇〇」ともてはやす。
そんな「癒やし」はむしろ「卑しい」。

「寄り添う」もそう。
弱者に寄り添う、障害者に寄り添う……。
それ自体は大切なこと。
しかし「寄り添う」と口にすることで問題をスルーし、
具体的な行動を取らずに済む便利な言葉になっていないでしょうか。

東日本大震災後に多用された「絆」もそう。
すべてをスルーさせる「あいさつ語」のようになっている。
他方、「向き合う」という言葉が使われなくなっているようで気になります。

言葉には陰影やさまざまな含意があります。
例えば「絆」は人のつながりを示す一方、
人々を縛るくびきの意味もある。
言葉が一面的に用いられる風潮の中で、
人間の存在も、一面的に扱われているように感じます。
(略)

最後にお話ししたいのは「無」についてです。
日本人が「無宗教」という時、それは特定の宗教や宗派を
信じていないということに過ぎません。
むしろ「無の宗教」であると言えます。
宗教心は普遍的なもので、多くの人が心の底で持っている。
いや、宗教心を大事にする人ほど
特定の宗教を信用しないようなところが日本人にはあるのです。
(略)
無常、無我、無一物、無尽蔵……。
日本人は「無」という言葉が大好きです。
選挙事務所で「無」と一文字だけ書かれた書の額縁を見たこともある。
「無」とは日本人の日常感覚と深く結びついた言葉なのです。

………………・・………・・………………
いろいろハッとさせられます!

山折氏の
『例えば「絆」は人のつながりを示す一方、
人々を縛るくびきの意味もある。』で浮かんだのが
お正月に読了した森博嗣氏のエッセイ本
「追憶のコヨーテ」の100編の中の85。
部分だけ引用しますpencil

『たとえば、今の人たちは、スマホの中のアプリを
断捨離した方が良いだろう。
また、交友関係も断捨離を考えよう。
「つながる」ことで太り過ぎている。』と。

なるほど、とlight

『カードも減らした方が良いし、
ポイントやクーポンも太りすぎ。
写真も、撮りすぎ保存しすぎ、アップしすぎ。
溜め込んで得をしたつもりでも、
太っているのと同じで、
病気になりやすい体質を作っているのかもしれない。
維持しないといけないというプレッシャが
ストレスになるからだ。
(略)
インプットもアウトプットも、
やめられなくなるとバランスが崩れて、
最後は病気になる。』

気付きをいただきましたyellow1


※お正月に読了の本symbol3
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陰ながら応援

2021-05-05 | 読書・言の葉
(Wed)
A嬢が描いたコミックス3巻までを書店とネットで購入note
創作、粛々と頑張っている様子に感動clover



検索してみると
『続き早く読みたい』『絵が好み』など
感想書いてくれているファンの方がいてくれて
ありがたいな~と感慨深くyellow23

ペンネームは内密に、と
お願いされているため
紹介できないのは残念ですけれど
多くの皆様に喜んでいただけますように、との
気持ちでいっぱいsymbol3

陰ながら応援yellow1

*******

隣町の書店では
上部に大好きなエヴァ本が!symbol3
そして上から三段目にA嬢のコミックスが
並べられていて
なんてありがたいの~って思ってanimal1


※スタンプで加工して失礼します💧


futaba futaba futaba futaba futaba

昨年、秋のこと……
『A嬢の夢を見た、会いたいんやな~』と
呟いた身内。
伝言すると、週刊連載で多忙の中
A嬢は、とんぼ返りで会いに来てくれた。
〇も、容態を知り早めに駆けつけてくれた。
(※緊急事態宣言が出ていないとき)

労り、思いやりを持てるヒトに
育ってくれたことが何よりも嬉しく思った。
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