(Fri)
洋画サークル、先月の新年会で先生がお話してくれたこと。
八木 義徳著の「文章教室」を紹介してくれました
本の説明文をネットで調べると
『古今の名文を鑑賞しつつ最後の「文士」が伝授する小説(文章)作法の極意。』と
あります。
川端康成の「雪国」や志賀直哉の「城の崎にて」を抜粋し
著者が解説をするという形の本です。
川端康成「雪国」の書き出しの文章
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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。」
この「夜の底が白くなった。」という表現に著者である八木氏は、
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「もし当時の私が文章にしろといわれたら
『夜の空は暗かったが、地面は雪明かりでほの白かった。』となり
これでは単なる説明にすぎない」と。
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「『夜の底が白くなった。』という文章は、字数にしてわずか九字である。
しかもこの九字の文章によって、深い雪の積もった夜、という情景が
あざやかに、しかも生き生きと感じられる。
これは説明ではない、表現である」と。
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それで先生が、これらを絵画に置き換えて考えてみるとよいですね、と
説明してくれました。
「小説作法の極意」を「デッサンの極意」と捉えられる、と。
「心に見えるものが描けるように」。
川端康成「雪国」の中の表現より
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「裸の天の河は夜の大地を素肌で巻こうとして、直ぐそこに降りて来ている。
恐ろしい艶めかしさだ。」
八木 義徳氏曰く、
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「これは明らかに川端康成という作家独白の感受性以外の何ものでもない。
まさしく天と地の抱擁である。しかも性的な抱擁である。
川端文学の持つエロティシズムである。」と。
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ここに出てきたエロティシズムという言葉、
先生は『生命感』と訳されました。
他、備忘録
志賀直哉「城の崎にて」についての八木 義徳氏論を抜粋。
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「小説家である以上、それは現実に即した具体的な言葉をもって、
いわばナマの姿で描かれなければならぬ。」
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「この感じをあたえることのできない文章は、
いわば死んだ文章である。
死んだ文章をいくら積み重ねても、それは生きた小説にはならない。
生きた小説をつくるためには、まず文章そのものが
生きていなければならない。」
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これらも画家に置き換えて考えてみる。
夏目漱石「草枕」についての八木 義徳氏論を抜粋。
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「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかく人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生れて、画が出来る。」
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「夏目漱石『草枕』の書き出しである。
知的で、論理的で、しかも分析的な文章である。
(略)わずか九十九字の中にピタリと納めている。
しかも口調がいい。リズムがある。」
陶芸家・河井寛次郎の詩文集についての八木 義徳氏論を抜粋。
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「どんなものでも思いのままに、曲げたり伸ばしたり縮めたりして、
しかも第二の生命をつくることが出来る此処は場所なのだ。
此処ではあらゆるものが現実の世界に居た時の姿とはおよそ別な形に
作り直され、新しい生命を附与される。」
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「これは必ずしも陶芸だけの世界とは限るまい。
絵画の世界もそうだろう。
音楽もそうだろう。
そして文学の世界もそうだろう。
すべて芸術の創造といわれるものは、
現実の世界を作り直し、それに新しい生命をあたえることなのだ。」