私が「洗礼を受けたい」と主人に話したとき、「俺を折伏しょうと思うな」ひとこと釘を刺して許してくれた。主人を説き伏せるような、そんな賢いことができる私ではないので素直にうなずいた。
それから30年後のお正月に、主人は仕舞い込んでいた洗礼の申込書を探し出しかしこまって記入していた。
私は一切関与していなかった。いや、暮れにちょっとした喧嘩をしていたのだ。主人の不信仰な一言に私が切れて・・。
30年間主人の救いを祈りつつ、みことばに信頼して待っていた。
もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。(ローマ8:25)
主がすべての事を通して祝福を見せてくださる中で、いつの間にか主人も偶像を拝むことを嫌うようになり・・、いつの間にか事があれば祈るようになって、いつの間にかいつも祈るようになって、朝ごとに一緒にみことばを読むようになって行った。
しかし、主人がようやく教会に通うようになった頃に、私は主人を置いて教会を出た。
そのことを、私は主人を捨てた(主に在って)と思っていたけれど、今日みことばから私たちはあの時も一緒に居たのだと気づかされた。一心同体なのだから捨てることなどできないのだ。
主人にも教会を出る理由を話さなかったが、不思議なことに私は一度も責められなかった。そのことを問い詰められることもなかった。
本当なら、「主人が片身の狭いを思いをする」と考えるべきであったが、その時はすべてを主に丸投げして走り出していたから・・。
でも、私はひとりで走っていたのではなく、主人も一緒に居てくれたのだ。一緒だったから主人はつまづくこともなく、私をそのまま受け止めてくれたのだ。
遠くに通っていた私が夜戻ると、「電話したら迎に行ったのに・・。腹減ってやろ、早う食べ」いつも同じことを言ってくれた。時には駅に車を止めて待っていてくれた。
私は教会を出て7年後に、主に示されるままに元の教会に戻った。通わなくなっていた主人もいつの間にか一緒に通うようになった。その頃の日曜礼拝は、宝物のように楽しい時間だった。往復の時間を一緒に過ごすことはとても楽しい時間だった。
主人は洗礼準備の学びにひとりで教会に通い出した。悪性リンパ腫と肝臓癌の宣告を受けて、医大に通うようになり、体は日毎に弱っていったけれど・・誰もそのことに気づかないほど守られていた。
しかし、学びから帰って「今日は、話しが長ごうなって疲れた・・」と言うこともあり、私は洗礼が先延ばしになっていることに内心ハラハラしながらも、主に信頼して待っていた。
やっと7月に洗礼の日が決まった時、大川での洗礼ということに愕然とした。主人は「今日下見をして来た」と言ったが、河原を歩くことさえ疲れただろうと身の縮む思いだったから・・。
流れの中での洗礼には「もし、何かあったらどうしよう・・」と、思わず主人に言ってしまった。
「介添えしてくれるから大丈夫。」その言葉も心許なく思えた。
ただ、主に「すべてを備えて、安全に導いてください」と祈り続けた。それでも夜も眠れない日が続いていたが、台風が来て大川は増水したことで、主が完全に備えてくださったこと深く感謝した。
洗礼式の日、雨空が一転して雲間から燦々と陽は降り注ぎ、洗礼槽から出た主人を光で包んでくださった。
それから三ヶ月後、「もうええ。ありがとう。」と何度も繰り返した後、
先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。
主人は先に、イエスさまの御許に召された。
私の手の中で・・その瞬間が何時だったのかわからないほど静かに・・。
創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。
それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。
こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。
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