花の香りが嫌だとつぶやいていると・・、百合たちは、昨日お水を変えてあげたばかりなのに色を変えて枯れてしまった。まるで傷ついたかのように・・、
可哀想なことをしたと、慌てて残りの花を取って花瓶に生け直した。
私は主人の死の悲しみを、花にぶつけて八つ当たりしていたのかも知れない・・。たとえそれが肉体の滅びに過ぎなくても、やり場のないほど傷つくものなんだ・・。
霊の喜びと別れの苦痛は同じ重さを持っていた。私は世にある別れから目を背けようとして藻掻いたけれど、それも事実で、これもまた事実なのだ。
主人が死の淵にあった時の苦痛、激しく脈打つような腸を私の手に感じて必死に祈った。「癒してください。そうでなければ早く召してください」と・・、だから苦痛が去って、息が細くなってからの時間には、むしろ心からホッとして感謝のお祈りをした。
それがこの世での別れが間近なことは十分承知の上で・・。
もう二度と苦しむことがなくなった故に、主人との別れを喜んだことなのだけれど・・。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。
ヨブ記にこうあり、ヨブの信仰は真実だけれど、そもそも造り主なる神さまは、人を死ぬ者として造っていないことに改めて気付かされた。ご自身に似たものとして、永遠のいのちを楽しむ者として造ってくださっていた。
でも、アダムの不用意で不従順な罪の故に、人は自らの死を刈り取ることになってしまった。
イエス様はラザロの死に涙を流された。人の死の痛みを知っていてくださった。
死は生き残った者の心にも大きな傷を残す。死はどのような死であっても美しいものではなく、罪の報いというおぞましい悲劇だから・・。
死者は人生を突然断ち切られ、生き残る者は絆を断たれ、家族を失い世に取り残されてしまう・・。
人となられたイエス様は、今もその悲しみを知っていてくださる。可哀想に思って、涙を流すほどに近しくいて下さるのだけれど・・。
医院に睡眠薬をもらいに行き、久しぶりに何時ものコースを黙々と歩いた。これでも頑張ろうとしているのだ。普通の日を勝ち取ろうと・・。
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