
友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。
だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。(ルカ12:4~5)
あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。(ルカ12:26)
永遠のいのちを準備していてくださる主は、死さえも「ごく小さな事」と言われる。真実な神様が「悩むな」といわれるときは、悩まなくてもよい保証が必ずある。世で生きるための必要でさえも・・。
ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ12:29~32)
主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。(ルカ12:37)
主の下されるもてなしは御父と御子と聖霊の交わりであり、そこで準備されてあるものはみことばの宴会である。「さあ、豊かに飲んで、満腹になるまで食べなさい」と言われる。
しかし、
主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。(ルカ12:47)
だから、今日
あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。(ルカ12:57)
何が正しいのかを教えるのは聖霊であるから、それを無視することこそ冒涜。
人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。(ルカ12:10)