石ころ

弱さに寄り添いつつ計画を成就する神(出エジプト29章)

 

 神は初めにモーセだけ選ばれていた。しかし、彼が口下手を恐れて従うことができなかったことで、兄のアロンを加えられた。

 

今、行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える。」
すると彼は言った。「ああ、わが主よ、どうかほかの人を遣わしてください。」

すると、主の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう言われた。「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼が雄弁であることをよく知っている。見よ、彼はあなたに会いに出て来ている。あなたに会えば、心から喜ぶだろう。(4:12~14)

 

造り主に向かって「・・なので出来ません」ということは、「あなたの備えが不足している」ということであり、神を責める言葉である。神は怒りを燃やされたが、忍耐のうちにモーセの弱さにも寄り添ってご計画を行わせられる。

 

もし、主に命じられて「私はきよくないので出来ません」というなら、キリストの十字架を貶めることになる。キリストのあがないを否定することになるからである。神はご真実であるから、信頼する者にはどんなことでも出来るのである。

 

彼に語り、彼の口にことばを置け。わたしはあなたの口とともにあり、また彼の口とともにあって、あなたがたがなすべきことを教える。
彼があなたに代わって民に語る。彼があなたにとって口となり、あなたは彼にとって神の代わりとなる。(4:15~16)

 

 人の弱さに同情してくださる方は、モーセの助けとしてアロンを準備してくださった。モーセは神と語り、アロンは聞いた言葉を人に語る者として計画を導かれた。神は選んだ者を捨てることなく共に居て、ご計画を成し遂げさせてくださるのである。

 

わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせる。(44)

 

アロンは人と神を繋ぐ祭司として選ばれ名誉な出世である。しかし、アロンは神に選ばれたモーセを補う者として用いられるのであり、アロンに価値があるわけでもなく、信仰によるのでもない。アロンは神が準備された祭司の装束によって祭司となるのだ。

 

キリスト者も神備えによって罪をきよめられて、創造主なる神に仕える祭司とされた。宮として霊のうちに住んでくださりすべてに満ち満ちている者である。すべては神の憐みと恵みのゆえである。

 

わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、彼らの神となる。
彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らのただ中に住むために、彼らをエジプトの地から導き出したことを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。(45~46)

 

イスラエルは、主を礼拝する者としてエジプトを導き出されたのであり、このことが神の目的であって、初めにファラオに言われた言葉の実現である。

 

「イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。わたしはあなたに言う。わたしの子を去らせて、彼らがわたしに仕えるようにせよ。」(4:22~23)

 

神の言葉はすべてそのとおりに成る。神は人の弱さをご存じであり、共に歩んで弱さのうちに働いてくださり弱さからの脱出の道も備えてくださる。

 

 イエスは見える神の形であり、イエスによって神を見ることが出来る。よみがえられたイエスは気落ちしてエルサレムを去る弟子と共に歩んで、聖書を解き明かして励まされた。

 

二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」(ルカ24:32)

 

今も私たちにみことばを解き明かして力づけ、世の一日一日をも共に歩んでくださっている。成長を導いて良きご計画を成し遂げさせてくださる。


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