父が子のために殺されてはならない。子が父のために殺されてはならない。人が殺されるのは自分の罪過のゆえでなければならない。(16)
親が子の責任を負って命をとられることはなく、子が親のために死ぬことも無いのだ。この定めによって罪の報いが家族にまで及ぶことがなく、子孫は神の守りの中に生かされるのである。
復讐が繰り返されることはなく、先祖の罪科によって戦争が繰り返されることさえ防ぐ。神に赦され互いに赦すことによって、共に生きるように定められたのである。
神は罪を受け入れることができない聖なるお方であるが、罪を憎んでも人を憎まず、罪の故に限りある命となり滅びゆく人類を憐れまれた。それゆえ、御子をキリストとして遣わし、罪の完全な贖いを計画してくださったのである。
キリストを信じた者の罪は神には完全に解決されてあり、肉体の死を経ても霊は神の御許に帰り、新しい霊のからだをたまわり主と永遠を生きる者としてくださった。
この事実は、この世のすべての理不尽や不平等を補って余りあることで、それゆえにキリスト者は復讐を望むことはなく、主の裁きに委ねて平安をたまわるのである。
しかし三代四代にまで及ぶ罪がある。それは創造主を主とせず、戒めに従わず忌むべき偶像に身を任せる罪である。神の愛を拒絶して怒りを買い、彼らの中には子の命まで偶像に捧げることがあったのだ。
創造主に対する信仰は家族のみならず、後々の子孫のいのちをも左右することになるのである。
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし(申5:9)
親の不信仰を子が引き継いではならない。子等はキリストを信じるなら救われる。子はその子孫のための救いを主に願うことが出来るので、ひとりの人が主を知ることは家族の永遠の祝福に繋がるのだ。
寄留者や孤児の権利を侵してはならない。やもめの衣服を質に取ってはならない。
あなたがエジプトで奴隷であったこと、そしてあなたの神、主が、そこからあなたを贖い出されたことを覚えていなければならない。それゆえ私はあなたに、このことをせよと命じる。(17~18)
エジプトで奴隷となったのは、イスラエルの不信仰から発したことであるが、随所に彼らが奴隷であった経験を思い出させて、他国民を思いやるように命じられている。それは神の格別な祝福に在る者が、高慢になることがないためである。
これらの戒めは、イスラエルを愛する神の計画が永遠に変わることは無く、キリストの贖いが彼らに成就するための備えである。
──あなたの神は仰せられる──
わたしはほんの少しの間、あなたを見捨てたが、大いなるあわれみをもって、あなたを集める。
怒りがあふれて、少しの間、わたしは、顔をあなたから隠したが、永遠の真実の愛をもって、あなたをあわれむ。──あなたを贖う方、主は言われる。(イザヤ54:7~8)