ピラトは、イエスを十字架につけろと叫ぶ群衆に言った「自分たちで始末するがよい」
人は罪の及ぼす結果から逃げるものである。
ただひとり、人となられたイエス・キリストだけが、すべての人の罪を真っ正面から捉え、その御身に負って、一つも残さず十字架に解決をしてくださった。
だから誰であれ、御側に出てすがる者に、決して背を向けなさらず、完全な赦しを準備して待っていて下さる。
だから罪の結果の確かな相談相手は、決して逃げなさらないイエスさまだけ。信頼して静まって待つなら、誰でも「わたしもあなたを罪に定めない。」と言うイエスさまのお言葉を聞くことができる。
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ピラトは、「真理とは何ですか」とイエスに問うた。真理についてこの方に問うほどに相応しいことはないのだから、素晴らしい質問をしたのだけれど、彼はイエスのことばを待たずに、群衆の所に行ってイエスのことを相談した。
その結果は後に引けなくなって、無実を承知の上で十字架刑に渡すという役割を果たすことになってしまった。
イエスさまに質問をした時、イエスさまに相談をしたり、願い事をしたときは返事をじっと待たなければ何も得られない。
実に、この世では、待つことは時機を失したとの嘲りを免れないけれど、その覚悟がなければ何も得られない。
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神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。(イザヤ30:15)