もしあなたの同胞が落ちぶれて、あなたのもとで暮らしが立たなくなったなら、彼をあなたのところに在住している寄留者のように扶養し、あなたのもとで生活できるようにしなさい。
彼から利息も利益も得てはならない。あなたの神を恐れよ。同胞があなたのもとで生活できるようにしなさい。(35~36)
同胞とは神が愛する民であり、そのことを覚えて接する関係にある。豊かであるか、貧しいか、ということによって価値を量ることをせず、役に立つか、そうではないか、によって態度を変えることもない。ただ、神が愛しておられる人として助け、主に在る尊厳をもって接することは、神の民に相応しい姿であろう。
これは、教会の在り様でもある。そのとき主がどれほどに喜んで祝福し、愛するための必要を、溢れるばかりに満たしてくださることであろう。
わたしはあなたがたの神、主である。わたしは、あなたがたにカナンの地を与えてあなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出したのである。
もし、あなたのもとにいるあなたの兄弟が落ちぶれて、あなたに身売りしても、彼を奴隷として仕えさせてはならない。(38~39)
主はいのちの創造主であり、すべてを備えて生かす方である。この方によって生きる者は、主が愛される人を愛し、神のものである命を助け守る者である。
キリストによって救われた者は、誰の奴隷であってもならない。その人はキリストの奴隷であるからである。十字架の愛によって買い取られたキリストのものである。
また、その人は何の奴隷にもなってはならない。霊も魂も体もキリストのものだからである。
彼はあなたのもとでは雇い人か居留者のようでなければならず、ヨベルの年まであなたのもとで仕える。
こうして彼とその子らはあなたのもとから出て行き、自分の一族のもと、自分の先祖の所有地に帰る。(40~41)
彼らは奴隷ではなく、自分の意志によって主人に仕えて働く者であり、神が与える自由を持っている。主は奴隷にさえも、造り主なる神への恐れを持って、支配するようにと命じられている。
主人たちよ。あなたがたは、自分たちも天に主人を持つ者だと知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。(コロサイ4:1)
この世で安住の場を持たない人であっても、主に在る者は、何時までも貧しさの中を彷徨う必要はなく、神が準備してくださった地に帰ることが出来る。創り主なる神の御許で永遠を喜ぶ時があるのだ。キリストを告白してたまわる恵みである。
彼はあなたのもとでは雇い人か居留者のようでなければならず、ヨベルの年まであなたのもとで仕える。
こうして彼とその子らはあなたのもとから出て行き、自分の一族のもと、自分の先祖の所有地に帰る。(40~41)
神は、アダムの背きによって入りすべての子孫に及んだ罪を、御子によって赦す計画を備えて、私たちに罪科からの脱出の道を備えてくださった。誰も神に通用する完全な贖いを、自力で行うことは出来ないからである。
永遠の御国で主に造られたことをほめたたえ、主と共に在る幸いを何よりも喜び、主の創造を味わい楽しむように、キリスト者を救ってくださったのである。
そう、それはキリスト信仰によって、すでに私たちのものであることを知っている。神はご真実だからである。
彼らは、わたしがエジプトの地から導き出した、わたしのしもべである。奴隷の身分として売られてはならない。(42)
不信仰の中で、神は人類が犯す罪を憎まれるが、人を慈しむ御愛は少しも変わらず、罪の結果である死に対して、キリストに拠って勝利を取ってくださり、神とともに生きるための、永遠のいのちを準備してくださった。
それはご自分が造られたものを、永久までも変わずに愛しておられるからである。
私たちは真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自身を否むことができないからである。」(Ⅱテモテ2:23)