石ころ

2021年のために教わった言葉


心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。(マタイ5:1)

 

息子の通読箇所を通して分かち合っていた。
私は「心の貧しい」という意味を、「キリスト以外に計画や望みを持っていないこと」と話したら、彼は聖書注解書を出して来て調べた。

 

私は歴史的なことや地図的に見ることがあっても、あまり用いない本であったがそこには、
「自分の霊的な貧しさを知っている人」と書かれていると教えてくれた。
霊的な傲慢への警告であると心が震え、新年の備えとして聴いた。

天の御国をたまわるのは、ただ、霊の貧しさを知る者たちであった!

 

皆様には、穏やかな新年でありますように。霊、魂、おからだが守られますように。
拙いブログを見ていてくださいまして、何時も励ましを頂きありがとうございました。
深く感謝いたします。


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コメント一覧

ムベ
電気屋さんコメント感謝します。
本当にお久しぶりです。見ていてくださったことがとても嬉しいです。
お返事が遅くなって申し訳ありません。
お話したいことがいっぱいあって、今日のブログ記事にしました。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
電気屋
大変ご無沙汰しております。
随分前にこの箇所の新改訳のことばを私がSNSで書いた時に
Drルークさんから「心ではなく原文では”霊”の貧しい者」と指摘され
私が「では”心が貧しい”と”霊が貧しい”のではどの様な違いがありますか?」
と尋ねた事がありました。(もちろん彼はスルーでしたが)


また先日ある方がSNSで

「人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」
‭‭ミカ書‬ ‭6:8‬ ‭

公義(ミシュパート)とは、
神のみことば(トーラー)にかなった正しい行動をすること、

いつくしみ(ヘセド)を愛するとは、
神の契約をしっかりと握りしめること、

へりくだるとは、
人前で謙遜にふるまうことではなく、
主の前に貧しさ弱さを認めること、

神と共に歩む(ヤーラク)とは、
神との関わりを自分の意思で選び取ること、


と掲載されていました。
私も一時期かなりの種類の翻訳聖書や注解書などを集めておりましたが
自分の霊の貧しさを主の前でとことん認めない傲慢な者はパンくずさえ頂こうともしない

へりくだったつもりで注解書などは小馬鹿にしている自分がおりましたが
むべさんのブログから息子さんが読まれた注解書に書かれた言葉から教えていただけるとは
まことに今の自分を知る上でも、ありがたい事でございます。

どうぞまたよろしくお願いいたします。
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