
天地創造の神様は、命令に背いて罪を犯したアダムの子孫である人類を滅びから救おうと計画され、神のひとり子イエスさまをキリストとして世に遣わされました。
罪の無いイエス・キリストに人類のすべての罪を負わせ、十字架で死刑とすることを計画されました。
死刑はすべての罪を解決しますから、イエスさまの十字架刑によるあがないによって、人は神様の前に罪の無い者となりました。
このことを信じるのがキリスト信仰です。
信じない人の罪は残ります。神様の愛による御子の犠牲を受け入れないからです。罪の赦しを拒絶している人には神様の怒りと悲しみが残るのです。
愛する御子によるいのちがけの愛が拒絶された神様の怒りによって、その人は天国に行く事はできず滅びることになるのです。
まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。(マルコ10:15)
神様にとって、御子の血に拠って救われたキリスト者は「わたしの目にはあなたは高価で尊い」のです。それは神様の喜びだからです。
それは学問や行いによることではなく、ただ、キリストのあがないを信じる信仰によって「正しい者」とされるのです。
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ3:23~24)
ですから、先にキリスト者として救われた私たちは、自分の努力や善行によって救われたのではないので、まだキリストの救いを頂いてない人々に対して申し訳ないと思っているのです。日々、神様からの祝福を知るほどに・・その思いは募ります。
パウロもこう言っています。
私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。
ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。(ローマ1:14~15)