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汗だくになって真実な奉仕をされる姉妹と働いて、感動することがある。
「彼女をマルタと言うのは違うな・・」そんなことを考えていて、ふっとペトロの姑を思い出した。とても短い記述だけれど私の大好きな箇所・・。
それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。
イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。(マタイ8:14~15)
彼女は何の躊躇もなく、イエスさまをすぐにもてなしている。
熱病を患ってすぐに立ち働くことは驚きだったけれど、その反応の素直さが心に染みた。
彼女の奉仕は、マルタの奉仕とどう違うのだろう・・。
彼女はイエスさまに触れら、すべてはイエスさまから出ていた・・。そう、イエスさまの愛を受けて、力を受けて、奉仕が始まっていた。順序が大切なのだ!
人が愛を込めて働こうとしても、無い所から絞りだそうとするようなもので、やがては疲れてしまう。マルタのように・・。
どれほど働いても良い。でもイエスさまから出発しないと、人には出来ないことなのだ。
しっかり主に繋がって行えば疲れることはなく、愛も力も知恵も泉のようにわき出してくるのだろう・・。
そうして共に働く人にも、そのイエスさまを分かち合うことができるだろう。
ペテロの姑の料理は美味しかっただろう・・。イエスさまは喜ばれただろうなぁ・・。
私もこのような奉仕が出来たらいいなぁ・・。