永遠のいのちはイエスを信じた者が、十字架のあがないによりすべての罪をきよめられて神の子とされ、肉体の死を経て、あるいは携挙により、神に召されて新天新地で生きるいのちである。
新天新地に死や病はなく、完全な霊のからだは永遠を生きる。
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。(Ⅰコリント15:44)
これらを教える聖霊に拠って今神と平和を経験しなければ、隠れるべき夜も影もない、光りの中の永遠を待ち望むことは出来ない。
神が待っていてくださるゴールの、永遠のいのちを目指すのでなければ、どんなに働いてもその信仰生活は迷走しているのである。
見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。(黙21:3~4)