石ころ

使徒の働き⑭ (9章)

 

食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。
そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。(19~20)

 

パウロは新しく生まれたいのちによって、キリストのあがないを証している。
キリストによって新しく生まれた者は、以前の重荷を何一つ負っていない。それは、神が思い出さないと言われたからである。

 

わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。(イザヤ4:25)

 

この事の否定は、キリストが十字架で罪を完了された事実の否定となる。なぜなら、新しく生まれさせてくださったキリストに信頼することなく、未だ墓の中に留まていることだからである。

 

これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。」
しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。(21~22)

 

新しく生まれたパウロは、キリストに造られたいのちを生きる。それは十字架の贖いを証することである。
数日の間、パウロに必要だったのは体の回復だけである。語る言葉はキリストの経験によって、彼のうちに溢れていた。

 

聖霊によらなければ、このように臆面もなく方向転換する生き方ができない。こういう事を面の皮が厚いというが、主はもっと堅くされる。

「わたしはあなたの額を、火打石よりも堅い金剛石(ダイヤモンド)のようにする。」(エゼキエル3:9)

 

多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、
その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。(23~24)

 

パウロの命は狙われ続けるが、その命は神によって備えられたものであり、彼に対する神の計画が完了するまでは決して死ぬことはない。


またその時は、それが如何なる死に様であろうとも、「良くやった良い忠実なしもべよ」との御声を聞く時である。
キリストのうちに在る命は皆そうである。


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