
復讐のためだけならこの終わり方は最善である。目的は果たしたのであり、彼は銀行にはもう何の未練もないだろうから・・、しかし、家族のために出世を望んでいたのなら、土下座は愚かな要求である。
なぜなら、彼に土下座をさせられたのは大和田常務だけではなく、頭取を始め、大和田のやり方を尊敬していた銀行という組織なのだから・・。
そもそも組織に入って、その色に染まらない者がそこで出世したところで、自分自身が分裂状態となり、精神的にも肉体的にも病気になってしまうだろ・・。
彼の妻が「ここまでやったのだから、お父さんも喜んでいる」という台詞があったけれど・・。
私なら、息子が私の復讐のために人生を消費して喜ぶことは決してない。むしろ、子どもに恨みを知らせてしまったことを悔やむだろう。自身の恨みは自身で持って死んで終わりである。
聖書は怒ることも認めているけれど、イエスさまも怒ることがあったから・・。
しかし、何時までも怒っていることは許されていない。
復讐は神にお任せで、敵のために祈る者である。本心は脇に置いて・・。
そこにある救いの大きさは感動である。信じる者にとって、主はご真実であり、倍返しであがなってくださるお方であるから・・。
しかし、もし半沢の出世でめでたいと終わっていたら、つまらない漫画のままだった。
終わりは妙にリアルだったので、「時間を損した・・」なんて気持ちにはならなかった。珍しく息子(彼は滅多にテレビドラマは見ない)と共に楽しませて貰った・・。
続き?それってなんだろう・・。