石ころ

わたしは門です②(ヨハネの福音書10章)

 

わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。(11)

 

良い牧者であるイエスは、神の最上の計画を持って地に来てくださった。
罪の報いである滅びの死から贖い出し、神の子として生かすために、すべての人の罪を負って十字架に死に、三日目に墓からよみがえり、神の計画を成し遂げて御父の許に昇られた。

イエス・キリストのこの御わざを信じる者を、神の家族として迎え入れ永遠を共にしてくださるためである。

 

牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。
彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。(12~13)

 

自分のものではない羊のために狼と戦って命を危険にさらす者は無く、雇い人は羊を支配して危険があれが逃げ去るのである。彼らは狼が来ないかと見張っているのは羊のためではなく、自分を守るためである。

牧者が羊たちのことを心にかけていない時、群れの数を数えてはいても個々のいのちには無関心である。

 

わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。(14)

 

イエスは一人ひとりの日々の思い煩いを知っておられ、そのいのちに私たちが気付くことも無いほどの価値を与えて、御声であるみことばをかけて悪いものから守っていて下さる。

 

羊が牧者の声に親しんでいるなら、聞き覚えの無い狼の声から逃げることが出来る。そのように主に留まってみことばを聴き続けている者を滅ぼすものは何も無い。彼らは主に知られていて、語り掛ける声を知っており、親しい関係が出来ているからである。

 

ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。(15)

 

なんと言うことであろう・・御父と御子の信頼関係と同じと言われる。御父と御子の信頼関係を経験することが出来るのは、それがみことばの約束だからである。

その時、神の子の生き方を知らない私たちは、助け主なる聖霊に神の家族である日々を切に求めるのである。

 

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。(マタイ6:33)

 

ご真実な主がキリスト者一人ひとりのうちに今住んでいてくださる。この親しさはどれほどであろうか。みことばの約束に安息するのは聖霊の導きに拠る確信であり、自分がどのようであるかではなく、ただ神の良きご計画とイエスの御わざに拠ることである。

 

わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、わたしは導かなければなりません。その羊たちはわたしの声に聞き従います。そして、一つの群れ、一人の牧者となるのです。(16)

 

囲いに属さない羊である異邦人も神に覚えられており、イエスは「導かなければなりません」と言っておられる。この羊は「わたしの声に聞き従う」とある。そう、異邦人の特徴は主の御声に聴き従うことにあった。

御声に聞き従わなければ異邦人の存在は神の益にはならず、まったく神を知らずに滅びゆく者となる。
異邦人をも神は導いて、神の選びの民と一つの群れ一人の牧者イエスのものとなるのである。

 

わたしが再びいのちを得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。(17)

 

イエスは御父のみこころを成し遂げて神の栄光を現された。それによって、イエスを信じる者はみな、イエスの贖いの死を通り、イエスの復活と共に新しく生まれたいのちをたまわっている。

 

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)

 

御父は御子を「わたしの愛する子」と言われ、その愛は永遠に変わることはない。イエスは御父に従順して、創造主なる神の愛を私たちに教えて下さり、聴き従うことの祝福を私たちの救いによって世に現された。

 

だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」(18)

 

イエスは死に至るまで、それも十字架の死に至るまでの従順によって、世に神の権威を現わされた。
アダムに入った死を打ち破って復活による新しいいのちを与え、死ぬべき者を滅びの死から解放して永遠を生かす権威である。
十字架で神の義と神の愛を完全に成就した御子イエスは、父なる神の権威を天にも地にも明らかにしたのである。

 

死はいよいよイエスの勝利を現すものとなり、今、地に在る命も主に信頼する時、みこころを行うために生きる力が備えられている。

 

人は死の恐怖に拠って支配され、不自由な制限の中で死に怯えながら生きている。しかし、イエスの死によって復活による永遠のいのちを備えてくださったことで、すべての人を支配する呪いの死からイエスを信じる者を解放したのである。また、これから信じる者を生かし続けるのだ。終わりの日が来るまでは・・。


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