
さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。(ルカ4:1~2)
新共同訳を読んで「荒れ野の中を“霊”によって引き回され・・」この記述に衝撃を受けた。しかし、イエス様が経験してくださったことにより、私たちはどのような時にも心強い。勝利してくださった方が居てくださるのだ。
聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(ルカ3:22)
イエス様の場合は水のバプテスマと聖霊のバプテスマは同時だったのだ。イエス様はすべてに人と同じ手順を踏んでくださったから、私たちはイエス様をすべてにモデルにすることができる。
聖霊に満ちて帰ってこられたイエス様を待っていたのは荒野と悪魔だった。それも40日間も引き回され誘惑を受けられた。
すべてが終わって空腹を感じられたときに、みことばを用いた誘惑が待っていたのだ。
聖霊のバプテスマさえ受ければすべてokではなく、みことばさえ知って居ればすべてokでもない。定められた日数を経て経験を積んだようでも、悪魔の誘惑はさらに続くのだ。
イエス様は、悪魔がささやくみことばを聖霊によって読み解かれた。
そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。(ルカ4:3~4)
イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。(ヨハネ4:32)
まさに、イエス様の本当の食べ物は「御父のみこころ」、御父が捨てられたときイエス様の命は尽きた。イエス様は御父によってこの地上を生きて居られた。
そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。
だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」(ルカ4:6~8)
確かに朽ち行く地上のものを願うなら悪魔を礼拝するが早いだろう。主が準備してくださるものは永遠の天の国なのだから・・。
イエス様は「あなたの神」と言われた。一人ひとりの「我が主、我が神」を拝み、主だけに仕えることこそ聖さである。
その時、一人ひとりを名で呼んで、主となってくださるのである。
そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。
というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』
また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。(ルカ4:9~12)
イエス様は教えてくださった。私たちは悪魔に何も証明する必要はない。それは聖霊がしてくださることである。それは罠である。
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。(ローマ8:15~16)