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聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり・・
イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。(ルカ4:1.14)
イエスさまはすべてのことを聖霊に満ちて行われた。まして私たちが自分の力で神のご計画を行えるわけがないのである。
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、 主の恵みの年を告げ知らせるために。」(ルカ4:18~19)
世の初めからあった御父のご計画を、聖霊の力を通して今、イエスさまが世に現してくださった御救いである。
イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。(ルカ4:21~22)
はっきりとご自身を現されたとき、見える所で「知っている」と言う者が現れ、彼らはイエスさまを殺そうとする。みことばを抹殺しようとするのだ。肉は必ず霊に逆らう。
人が知っていると言うときその言葉がそのままその人に実現する。大工の子と知ってるというなら救いはなく、神のキリストと信じる者には、みことばの救いが実現するのだ。
イエスは立ち上がって会堂を出て、シモンの家に入られた。すると、シモンのしゅうとめが、ひどい熱で苦しんでいた。人々は彼女のためにイエスにお願いした。
イエスがその枕もとに来て、熱をしかりつけられると、熱がひき、彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。(ルカ4:38~39)
神のキリストを経験した者は即座にみことばに仕えるようになる。神の力がその人に留まるからである。
朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。(ルカ4:42)
今、キリスト者は寝ても覚めても主と共にいる。聖霊は私たちが内に蓄えたみことばを、時に相応しく語り続けてくださる。もう私たちは決して孤児にされることはないのだ。
今の、この日々は本当にどれほど貴重な時間であろう・・。
私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(Ⅱコリント6:1~2)