「あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。」(ルカ19:21)
このような主人(神)のイメージを生み出すものは何だろう・・と思った。
そうして、新訳の今キリストに対してさえも、このようなイメージを持っているのではないかと思わせられることがある。
そうなるのは、具体的な神の御わざを個人的には知らず、キリストに対して救いを喜ぶ、霊的な交わりの経験もないままに、厳しい取り立て・・「救いに相応しく・・」というような、圧迫を受けて来たからではないのか・・。
しかし、それを要求しているのは人であって、決して神でもキリストでもない。なぜなら、主は私たちのまだ知らないときに、すでに十字架においてすべての不足を満たしてくださったのだから、主は何も要求してはおられない。
なぜなら、十字架上でイエスが救いを「完了」して下さっているのだから、それに付け加えるものなど何もない。
主を悲しませるものはこのようなイメージなのである。それは、十字架の恵みによる救いを否定することなのだから・・。
人は、何をするために救われたのではなく、ただ、救い主を知るために救われたのである。知った人はその恵みを告白したくてキリストを伝えるのであり、感謝が溢れて礼拝するのである。
誰から強いられてではなく、ただ、キリスト・イエスに感動しているのだから・・。
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。(エペソ1:17)
コメント一覧
ムベ
イチゴ
ムベ
イチゴ
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事