わが岩なる主が ほめたたえられますように。
戦(たたかい)のために私の手を
戦(いくさ)のために私の指を鍛えられる方が。(詩篇144:1)
主の御用に身を差し出すときに主が強めてくださる。それらが主のたたかいために、いくさのために必要なので主が鍛えてくださる。あらゆる弱さに在れど・・。
弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ。(イザヤ35:3)
「しっかりさせよ。」とは,弱さを抱える困難の中で聞く言葉である。「平安だ」と言うと次々とやっかいな問題が現れて「これでもか」と脅される。「喜んでいる」と言うと気落ちすることや思い煩が次々と起こる。
みことばを発することは戦さだから、必ず敵の火矢が飛んでくる。でも、少しも恐れることは無いのは、万軍の主が共におられて鍛えてくださっているからである。
みことばをいよいよ高く掲げて主を喜びほめたたえ、砦なるキリストに身を避けて声を上げる。この何の良い所も無い者、この弱さの中に、主が完全に働かれることを経験するためである。
今は、指先から発信される情報戦において用いられる武器があることを知る。昔「ペンは剣より強し」という言葉を聞いて心を揺さぶられた。
それは神より発した言葉の力に在る。主を喜ぶ喜びを沈黙することは御霊を消すことである。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
御霊を消してはいけません。(Ⅰテサロニケ5:16~19)
滅びることの無い永遠のいのちをたまわった者が、どうして歓喜せずにいられるだろう。どうしてその身の幸いを叫ばずにいられるだろう。