1.パッサウ (Passau)
パッサウはバイエルン州に属し、ドイツの最東端にあってオーストリア、チェコと国境を接し、
ドナウ河がイン川とイルツ川に、この地で合流することから「3河川の街」とも呼ばれている。
蛇足ではあるが、日本で「3河川の街」といえば、私がかつて働いていた地区の岐阜県にもあった。
(長良川、木曽川、揖斐川)ちょっと、懐かしい気もしないでもない。
ここまでドナウ河はドナウ・エシンゲンの源流より678 km ドイツ国内を流れたことになる。
写真の左側からドナウ河、右側からイン川が流れ込む。
<ロケーション>
1-1. オーバーハウス要塞 (Veste Oberhaus)
ドナウ河沿いを歩いてくると街のランドマーク的存在で、1219年に当時のパッサウ領主
司教ウルリッヒ2世によって築城された要塞が対岸の丘の上にその雄姿をみせる。
オーバーハウスとは「上の要塞」を意味し、丘を下った所にニーダーハウス「下の要塞」
を意味する建物も、ほゞ同時期に築城された。
この要塞は1802年にバイエルン王国が所有する物となるがフランスのナポレオン軍と
同盟を結んでいた関係でナポレオン軍の中継基地として対オーストリア前線要塞として
使われていた時期もある。
1-2. 旧市庁舎 (Alters rathause)
ドナウ河沿いにもうひとつ目を引く建物が旧市庁舎である。
パッサウはローマ帝国の1地方都市であったが、739年に司教座が置かれパッサウ司教のもと
街の発展が始まった。 1602年と1680年の大火災でゴシック様式の建築物の大半を失い、
現在の町並みはその後に再建されたものである。 現在の人口は約5万人である。
この街はイン川とドナウ河の増水により幾たびも洪水に見舞われてきた。
市庁舎の入り口横の壁に、洪水の年と水没高さを示している。(ユニーク)
1-3. 船着き場
ハンガリー船籍の船を見つけると、ついつい懐かしさを感じてしまう。
1-4. 旧市街
二つの鐘楼のある建物が聖ステファン大聖堂(現存の物は1668~1693年にバロックで再建)
尖塔の建物は聖パウロ教会(現存の物は1667~1668年にバロック様式で再建された)
2.リンツ (Linz)
ドナウ河もここまで来ると対岸同士で視認不可距離となるほどの川幅となる。
向かうは下流で、向こうに見える近代的な橋は高速A7道路が走る Vöest brücke である。
遊覧船も何百人を収容できる大型船になる。背の高いビルはレントス美術館、写真左端
の背の低い大きな平らな建物はブルックナーハウス(コンサートホール)である。
上流を眺めるとリンツ城博物館(写真中央)と新大聖堂の尖塔が目に飛び込む。
上下いずれの写真も街の中心を貫くニーベルンゲン橋の上からの眺望である。
<市街地マップ>
人口約19万人は、ウィーン、グラーツに次ぐオーストリア第3の都市である。
2-1. ハウプト広場 (Hauptplatz)
ニーベルンゲン橋のほとりにある街の中心、広場の真ん中に三位一体の柱が立っている。
2-2. 旧大聖堂 (Alter Dom)
ハウプト広場の片隅にあって大聖堂と呼ぶには小粒で地味、本来の名称は
イグナティウス教会と呼ばれており、バロック様式で1678年に建てられた。
旧大聖堂の身廊部
2-3. 州庁舎とミノリーテン教会
ハウプト広場をちょっと右に曲がった所にあるのが州庁舎 (Landhaus) である。
1568年にルネサンス様式で建てられた。 オリジナルはミノリーテン修道院であった。
軒を連ねているのがミノリーテン教会 (Minoritenkirche)
1752~1758年にロココ様式の教会として建てられ、長い間イエズス会の教会であったが
現在はオーストリア政府の施設として使われている。
2-4. カルメリタ教会 (Karmeliterkirche)
リンツのカルメル会の修道院として1671年に設立され、その跡地に現存の教会が
1690~1726年にバロック様式で建てられた。
2-5. 新大聖堂 (Neuei Dom)
別名で聖マリア大聖堂とも呼ばれ、ネオゴシック様式で1924年に完成した。 塔の高さ
134mはウィーンのシュテファン寺院に次ぐオーストリア第2位でその差は2m低いだけ
であるという。 東側から見た大聖堂
北側面 南側面
祭壇部
祭壇部と反対の入口(オルガン)側
側廊の副祭壇
これにて「ドナウ河岸歩き(4)パッサウとリンツ」は、お終いです。
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