古今東西、町の成り立ちと発展には、シルクロードの街道沿いに栄えた前例を引き合いに出す
までもなく、いち(市)が重要なファクターであったことは言うに及ばないことだが、ブダペスト
にはそのような場所が何処にあったのだろうか、探してみることにした。
ブダペストの街の発展に寄与した市(いち)というものは、国王が与える特権によって開設され
ており、規制と開催日を定めた13世紀中頃にベラ四世がペシュト市に与えた特許状が始まりで
あった。...蛇足ながら織田信長がそれに似た楽市楽座を、当時の鎖国状態に近い希薄な情報量の
世の中で実践したという先見性には改めて驚愕してしまう。
1.13~15世紀にペシュトに存在した市場
① 干し草市場
街が市壁に囲まれる以前は市教区教会前の広場にあった。 Mar. 03 2019
市壁が出来た(1255年)後、現在のカールヴィン広場に移された...市内に干し草や藁を
入れることを嫌った為。 Nov. 09 2019
国立博物館前に市(いち)は移された。
<当時の市場>
<13~15世紀のペシュト市街地図>
② 小麦市場
市教区教会の隣なりにあった市庁舎前の広場に市(いち)は開催されていたが、エルジェー
ベト橋を建設する為に、市庁舎を取り壊した(1890年代)。
因って、現在は全く跡形もない。
Aug. 29 2018
③ 家畜市場
ハッキリした場所は明確ではないが、13世紀半ばにフランシスコ教会の裏手にあったらしい。
家畜市場も後年、市壁の外に移された。 Aug. 17 2019
④ 荷揚げ市場
現在、くさり橋の対面に建っているフォーシーズンズホテルの辺りに荷揚げ市場があった。
この場所はフォーシーズンズホテルがブダペスト市から2001年に買収したが、その前は
ロンドンの生命保険会社グレシャムが1906年にアールヌーボー様式で建てた宮殿があった。
第2次世界大戦後はソ連赤軍が住居として使っていた。
グレシャム宮殿の前は、1827年に新古典派建築で建てられたナーコー家の邸宅であったので
それ以前は、平地で荷揚げ市場が開かれていたと推定される。
Nov. 09 2019
⑤ 木材市場
国会議事堂の建設が始まったのが1885年(完成は1904年)であるので、それ以前は
前述の荷揚げ市場と同時期に、この辺に木材市場があったようだ。 Nov. 09 2019
⑥ 石炭市場
ペシュト市壁のすぐ外のデアーク広場の中にあって、ドナウ川の舟橋から市壁に沿って
石炭を運んで商売が行われていた。 後にこの地にはルター派の教会が1799年から建築が
始められ1811年から宗教活動が開始されるまで市場は続いた。 Nov. 09 2019
⑦ 新市場
石炭市場は姿を消し、それに隣接する形で18世紀後半に、現在のエルジェーベト広場に
ヨーロッパで最も大きな市場が登場した。 この場所はヴァーツィ門の外にあった墓地で、
エルジェーベト広場と呼ばれるようになったのは1856年以降であり、それ以前は新広場
(Uj-tér) 又は新市場 (Uj-vásár) と呼ばれていた。 Nov. 09 2019
<当時の新市場>
2.ブダにあった中世の市場
<15世紀のブダ市のロケーション>
⑧ 日常市場(現在のマーチャーシュ教会横の三位一体像辺り)
三位一体広場と呼ばれるようになったのは19世紀からで、それ以前は「市(いち)広場」
と呼ばれていた。 May 06 2018
⑨ 土曜市広場
ウィーン門横にあるカピストラーン広場の中に市(いち)が開かれていた。
公文書館前にある公園 May 06 2018
⑩ 聖ジェルジ市場
ケーブルカーで登った所にある聖ジェルジ公園に市(いち)は建てられていた。
当時は聖ジェルジ教会がここにあった。
Nov. 09 2019
<参考文献>
写真以外のイラストマップ、古い画像は、南塚信吾氏著「ブダペスト史」(2007発刊)
より拝借致しました。
これにて「ブダペストの市(いち)」は、お終いです。
本ブログをご拝読下さり、ありがとうございました。