2.キニズイ城 (Kinizi vár)
バラトン湖周辺に城の形として残る2つ目の古城である。(訪問日 02 Dec. 2017)
14世紀末から15世紀の初めに、アルパート時代のアーコシ (Ákos)族の族長ヴァジョーニ家に
よって造られた。 その後、部族は消滅し、1472年に国王マーチャシー1世よりキニズイ・
パール家がこの領地を任された。 キニズイ・パール家は以下の3つの偉業を残し、20年間
この地に繁栄をもたらした。
1.キニズイ城の拡張整備
2.既存の教会をゴシック様式で再建し、聖イシュトヴァン教会を設立(1482年)
3.聖ミハーリィ (Mihály)修道院を建立(1483年)
最終的には、1663年にトルコ軍の攻撃により破壊され、現在の物は1954~1960年に発掘・復元。
<ロケーション>
当時の城模型と見取り図
入場門(東門)と守備隊詰所
内部
外堀は普段は貯水・排水溝として使い、敵の侵入に際しては水を張って防御することが可能。
5層の住居塔; 断面10x12mの四角形、高さ25m、壁厚2~2.5m(底部)
1階部は牢獄
上階は城主の住居
礼拝堂内部には、キニズイ・パールの墓石(棺)が展示。
塔の屋上から礼拝堂・ホール・住居跡を見下ろす。
塔の屋上からべスプレーム (Beszprém、北東方角)を望む。
南の方角はナージ・ヴァジョーニ (Nagyvázony)の村の中心を望む。 人口1800人
<補足>
聖イシュトヴァン教会;オリジナルの教会は11世紀に既にあり、その基礎の上に現存の教会を再建。
正門の上に石像・彫刻が数点残っており、(他の石像は、HP「バラトン遍路の旅」に記載)
教会内部の保存状態も良く必見の価値あり。
聖ミハーリィ (Mihály)修道院; 当時を再現した模型と現状
現在は壁の一部と基礎しか残っていない。(1543年にトルコ軍によって破壊された)
(写真上のみ、30 Jun. 2007 撮影品)
これにて、「バラトンそぞろ歩き 古城(2)」は、お終いです。
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