前回に引き続き、この戦いで最も激戦区であったバラトン湖~ヴェレンツェ湖間の残りの戦線を
辿ってみる。 (以下の写真は特記以外、Aug. 28 & 30 2019 に撮影)
<ロケーション>
4.オゾラ (Ozora) 村
オゾラには、オスマントルコ軍と戦った古い城があるような山間に位置している為、今回
の戦線からは離れていた。 よって村の破壊もなく城と教会は無傷で残った。
村の中心部 (真ん中にはコウノトリの巣が)
教会(左)と城(右)は1410年代に建立された(当時のイラスト)
1740年代にバロック様式で再建された、改革派教会と隣なりの城。
5.ツェツェ (Cece) の村
ツェツェの付近から平原(プスタ)が開けており、ドイツ軍はこの辺の突破を図ったと
推定される。 国道61号線がツェツェ村(人口2,800人)に向かう幹線道路は真っすぐ。
● ツェツェ村の教会
1.ローマカトリック教会 (Cece Szent kerest templom)
2.改革派教会 (Cece Református templom)
1789年に建立
<当時の戦場懐古写真> 写真は「バラトン湖の戦い」 大日本絵画出版より拝借
6.カーロズ (káloz) 村
この辺りは湿地帯で小さい湖(池)も多く、当然フラットな地形である。
冬場には川も凍り付くだろう。 カーロズ 村の人口は2,300人。
● カーロズ (Káloz) 村の教会
1.ローマカトリック教会(1743年の建立) 2.改革派教会
7.シャールケレストール (Sárkereszstúr) 村
村の人口は約2,500人で、90%がハンガリー人で、カトリック教徒は60%、改革派教徒13%
● シャールケレストール (Sárkeresztúr) の教会
ローマカトリック教会 (Római katolikus templom) ....18世紀に建てられた
8.シャーロシュド (Sárosd) 村
遮る林も森も無ければ、窪みも無し、夏は灼熱、冬は吹きっさらし。 人口は約3,200人。
● シャーロシュド (Sárosd) 村の教会
ローマカトリック教会 (Rónai katolikus templom) .... 1824~1827年に建立
9.ヴェレンツェ湖 (Velence-tó) 付近
湖は首都ブダペストから最も近い(約50 km) 避暑湖である。 周辺の町、村を加えた人口は
約6,000人である。 南岸の町ガールドニィ (Gárdony) までをバラトン湖の戦いと呼んでいる。
<当時の戦場懐古写真>
◆ 献花
旅の途中で見つけた草花を儚く散った若者たちに捧げよう。
(♪ 花束を君に贈ろう~ ...Youtubeでも聴きながら読んで頂けると平和への喜びが一入かと)
●エニイング (Enying)三位一体教会の境内より Aug. 27 2019
色鮮やかなユウセンギク
アガパンサス(上)とマリーゴールド(下)
まだ残っていたネムの花
● カーロズ (Káloz) 付近の河原より
ヨシ(上)と野に咲くアザミ(たむらそうかも?)
リンドウ
これにて「春の目覚め作戦」バラトンの戦い(2)は、お終いです。
本ブログへのご参加、ありがとうございました。
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