撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

バラトン湖をスケッチ(1)

2019-12-18 00:58:04 | 海外生活

 「今年こそは」「ゞ」と60年来の夢(悲願)であった絵を描くこと、歩んできた人生で縁が

なかったと云えば、そのような気もするが、本当に好きだったならばそのチャンスはきっと引き

寄せた筈とも思う。 もうこの歳になっては遅すぎるような気もするが、生業にする訳でもなし、

人生100年時代の最後の手習いと考えてみようかなんて思った次第で、これからの撮り旅の

Another option に加えてみようかと試してみた。

まず、最初の第1歩としては、小生の愛するバラトン湖とその周辺をスケッチ。

 

 ● バラトンアカラッチョ (Balatonakarattya)の有料ビーチ

 シーズンオフ(9月~5月)は無料解放され、屋台もレストランも店じまい、滅多に人もいない

自分だけの Only-one の散歩コースを発見することは間違いない。

 

 湖畔だけでなく、付近には四季を通じた魅力ある自然、とりわけ冬景色が気に入っている。

何処も暖かくなったら、弁当と飲み物持参で筆を握ってみたい風景ばかり。

その為には30分ほどで仕上げる力が必要だろう(厳しいターゲットだ 

                                  Dec. 16 2007

 

                                   Feb. 01 2009

 

 今日のビーチは風強し、波高し、                    Dec. 17 2019

 

 スケッチの元となった写真                        Dec.15 2018

 

 ● シオーフォク (Siófok) 湖畔の並木道

 兎に角、大きな樹を被った真っすぐな並木道が大好きな人間。

 

 

 春には ....                                                                              Apr. 25 2018

 

 晩夏には ......                                                                     Sep. 29 2019

 

 秋には ......                                                                  Oct. 13 2018

  

 

 冬には ......                                                                       Jan. 05 2019

  

 

 今年は .....  (Dec. 08 2019)  スケッチの元となった写真(Dec. 13 2018)

   

 

<ロケーション>

 

     

       これにて「バラトン湖をスケッチ(1)」は、お終いです。

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セルビアからの帰路(2)ケチケメートの街

2019-12-13 18:31:15 | 海外生活

副題;ドナウ河岸歩き(17)

前章に引き続き.....

2.ケチケメート (Kecskemét)

  ハンガリー語では山羊(ヤギ)という意味で市の旗や市章でも山羊の絵が使われているが、

 市や町の名前にそのまま使われるのは、非常に珍しいことである。 明確なイワレは不明である。

        

       市旗                市章

  昔、教会を中心とした2~300人規模の7つの村がこの辺りに点在していたが、ハンガリー国王

 ラヨシュ1世(1342~1382年在位)によって町としての特権が与えられ、1368年に一つの町に

 合併し、交易の中心として栄え、そして市となって発展した。

 オスマン帝国の支配下では、市はブダに居た総統パシャに直接、税金を支払っていた為、パシャ

 からの庇護を受け、市には郊外から人も多く集まるようになり、ハンガリーの中央部で一番の

 大きな都市に成長した。 現在は人口が約11万人で全国第8位の都市である。

 カップ麺の大手、日清食品も2017年に工場進出して、スーパーの商品棚に定位置を確保している。

 

<ロケーション>

 

<ケチケメートの市街地マップ>

  

 

① 市庁舎 (város ház)

  1892~1896年に市庁舎建築の巨匠、レヒネル・エデンの初期の作品として建てられた。

 生憎の改修中で一部しか垣間見ることが出来なかった。 

                      以下、写真はすべてOct. 12 2019 に撮影

   ジョルナイの陶器瓦は市庁舎の定番のようだ。

 

 市庁舎側面

 

 正面ファサードの上方にあるカリヨンの鐘も閉鎖、仕方がないのでSNS画像を拝借。

 

② 大教会 (Nagy tempolom)

 1774~1806年にバロック様式で建てられたカトリック教会。 ここも又、改修中。

  

 

 自由広場 (Szabadság tér) からの大教会

 

③ コシュート広場 (Kossuth tér)

 

  コシュート・ラヨシュ像の向こうにはカルヴァン派教会

 

  右手を挙げたコシュートの像は、1848年の独立戦争(革命)の拠点となった街の市庁舎

 前に立つのが常識的になっているようだ。

 

④ カルヴァン派教会 (Református tempolom)

 1680~1684年に創建され、17世紀終りにバロック様式で再建された。

 

 

⑤ フランシスコ会聖ミクローシュ教会 (Szt. Miklós templom)

 街で最も古い教会で14世紀初めに創建され、17世紀終りに再建された。

 

  カルヴァン派教会とのコラボ。  右の建物はコダーイ音楽研究所(日本人留学生も多い)

   

 

 聖ミクローシュ教会の内陣

 

⑥ ツィフラ宮殿 (Cifra palota) 

  1902年にアールヌーボー様式で建てられた、ハンガリーの有名な画家たちの絵を展示して

 いるギャラリー。

 手前の自由広場 (Szabadság tér) で咲き誇るペチュニアと八重ムクゲの花たち。

 

⑦ アートサイエンス・ハウス (Tudomány és Technika háza)

  ユダヤ教のシナゴーグとして建てられた物だが、第二次世界大戦でのユダヤ人の激減で

 現在は文化ホールとして使われている。

 

 

⑧ ルーテル教会 (Evangélikus templom)

 1863年にロマネスク様式で建立。

 

 

⑨ カトナ・ヨージェフ劇場 (Katona József theater)

 折衷様式の劇場(1896建立)と、手前に1740年に蔓延したペスト撲滅祈願の三位一体柱。

 

    これにて「セルビアからの帰路(2)ケチケメートの街」は、お終いです。

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セルビアからの帰路(1)セゲドの街

2019-12-11 12:55:56 | 海外生活

副題;ドナウ河岸歩き(16)

 10月11日にベオグラードからの帰路は、往路と異なる道を辿り、ノヴィサド (Novisad)からは

ドナウ川と別れる為、帰路については記載を割愛しようと考えていた。 しかし、帰路はドナウ

に替わりティサ川に沿うわけであるが、ティサ川はドナウの最も大きな支流(全長997Km)でも

あり、次回のドナウ川を下る旅の経路の一つとしては取り上げるべき経路であろう。

帰路で立ち寄った訪問地は、セゲド (Szeged)ケチケメート (Kecskemét) である。

この二つの街はセルビア方面に向かうM5(高速道路)の主要都市であり、ハンガリーの中でもとり

わけ美しい人気のある街である。

3年前まで小生が歩んだ「ハンガリーの教会巡り」(既に193箇所まで終了)には、ここは古刹と

いうほど古くはないという理由で外していたが、機会があれば何度でも歩きたい最も好きな街でも

あった。

  夕日に沈むティサは下流でドナウ川との交わりを目指す。       Oct. 11 2019 

   

<ロケーション>

 

  やはり予想通り国境検問所にて4時間の待ち、原因はセルビア側から国境を越えて不法入国

 しようとするシリア、イラク、ソマリア等からの難民への監視の強化である。

 国境の村ルスケ (Röszke) に設置されたフェンス(2017 Mar. 02)...SNS Net からの画像拝借

 

 閉鎖された国境の線路(2015 Sep. 15)

 

 入国を拒否された臨時難民キャンプでの難民たち(2015 Sep. 17)

 ルスケ (Röszke)の国境検問所を閉鎖した2017年3月以降、難民はどうなっているか判ら

ないが国境付近の監視が強化されていることは明らかである。 2018年の他の国境(M6,M7)

付近を走るパトカーの頻繁さより推定される。

ポリティカルな事に疎い小生には難民受け入れに反対も賛成も表明する能力を持ち合わせて

いないが、どちらの言い分にも納得出来るものがある。 いち早く難民発生の根本原因を解決

することが先決なのだろう。

この国境での時間の浪費のため、セゲドでもう一泊する機会を得たのである。

 

1.セゲド (Szeged)

  セゲドは古代からイリュリア人→ケルト人→ローマ帝国→フン族の侵入→ハンガリー建国→

 オスマン帝国の支配という中世の歴史は近隣の街とほゞ同様である。 ハンガリー建国以来

 国王の直轄地となり都市特権を与えられ、塩の集積地として繁栄して来た。

 そして1848~1849年のハンガリー独立運動時に臨時政府が設置されたり、第一次世界大戦後

 はフランス、セルビアの占領地、1930年代のホルティ・ミクローシュの反革命(ナチスに反旗)

 の拠点、1944~1945年に反ドイツ解放基地、第二次世界大戦後にはソ連が街に駐屯したりで

 ハンガリーの近代史の中ではブダペストと共に、最も激動した都市の一つでもあった。

<セゲドの市街地マップ>       セゲドの人口約16万人(全国で第4位)

 

❶ セーチェニ広場 (Széchenyi tér)

 緑豊かな広場内には、多くの彫像が飾られ市民の憩いの場になっている。  Oct. 12 2019

  ↑ 国王ベーラ4世(1235~1270年在位)の騎馬像 

  ↓ 聖イシュトヴァン(1001~1038年在位)と妻ギゼラの像

 

❷ 市庁舎 (City hall)

  特産ジョルナイの陶器瓦で飾った市庁舎が広場を引き立たせ、毎週土曜日には新婚カップル

  が登録に現れる最高の演出場所。                  Oct. 12 2019

 ネオバロック様式で1728年に建てられ、1879年の大洪水後に改築、1883年に完成。

 

❸ クラウザール広場 (Klausál tér)

 2004年のヨーロッパ素敵な広場大賞を獲得した場所で、多くの観光客、市民が集う。

                                   May 05 2014

 

                                                                                                       Oct. 12 2019

 

❺ レウク宮殿 (Reök palota)

  建物は1907年にハンガリーの新しいアートとして建てられた。

 建物の至る所に睡蓮(水仙?)をあしらったデザインが世界の芸術家たちに称賛された。

 オリジナルは住宅用の家であったが、2007年からセゲドの市文化財となっている。

                                  May 05 2014 撮影

  

 マンホールの蓋にも睡蓮(水仙)をあしらう熱の入れよう。

 

 

❻ ドゥコニチ広場 (Dugonics tér)

 セゲド大学が噴水に面しており、革命時の市民のミーティング・スポットになって来た。

                                                                                                Oct. 12 2019

 

❿ 誓約教会 (Fogadalmi templom)

  セゲドのランドマークである誓約教会は、1930年10月にロマネスク、ゴシック様式と東

 ビザンチン様式を混合した形で建てられた。 1879年の大洪水の後に再建されたもの。

  両サイドの二本の塔の高さは共に93m 。

 内部は2016年以降、大改築中                    Oct. 12 2019

 

 9040本のパイプを使ったオルガンは、ミラノドームのオルガンに次ぐヨーロッパ第2の大きさ

   Oct. 12 2019

 

⓫ 聖デメトリウス塔 (Szt. Dömötör torony) 

 別の地にあったものを1925年に、ここに移築した物で、13世紀に造られた物と推定。

 一階と二階は歴史博物館として公開されている。

  Oct. 12 2019

 

⓬ ドーム広場 (Dóm tér)

 ドーム広場の周囲回廊に飾られたセゲドの英雄たちの彫像。                 Oct. 12 2019

 

⓯ セルビア正教会 (Serbian Orthodox Church)

 1778年にバロック様式で建立。               1999年のフィルムカメラ

 

⓱ 教育文化会館 (Közművelődési palota)

  中にモーラ・フェレンツ博物館が併設されており、1896年にネオクラシック様式で建立。

 19~20世紀のハンガリー出身のアーティストの作品を展示。    1999年フィルムカメラ


⓴ 国立劇場 (Szeged National Theatre) 

 劇場は1883年にオープン、ネオバロック様式で内部共に造られている。  1999年フィルムカメラ


33.お薦め郷土料理(川魚料理)

 何と言っても、セゲドの自慢料理はハラスレーだろう。            Oct. 11 2019

 

 向こうはティサ川上流で、ウクライナのカルパチア山脈の山中が源流である。


    これにて「セルビアからの帰路(1)セゲドの街」は、お終いです。

    本ブログへのご訪問、有難うございました。





初雪とクルマ事情(2)

2019-12-06 23:26:24 | 海外生活

 初雪後、バラトン湖周辺は一気に氷点下を彷徨う天候に突入。       Dec. 04 2019

 

 霜に覆われた真っ白な世界                                                               Dec. 04 2019

 

 葡萄畑も凍える、今年の湖の氷結は早くなりそうだ            Dec. 05 2019

 

さて前章に引き継き、.....   文字がヤケクソに多くなりそう、退屈したら写真だけ見て下さい。

                                                     以下の画像はすべて Dec. 02 2019 に撮影したもの。

2.車検事情

  日本では車検制度があるということはご周知の通りで、その時期になると十数万円も掛かる

 ので、いつも頭を痛めていた記憶がある。 そしてその必要性について疑問が湧くのは自分だ

 けだろうか。 その費用の内訳を見ると、本来の検査分は1~2割位で、あとは税金を含めた

 いわゆる諸経費というやつである。

 あれは車検でなく車権(権利)を買わされているんじゃないのかと思いたくなる。

 税金なんか毎年別にしっかり取られているし、重量税なんてものが車検に入ってくるのって?

 .... この辺の事はいろいろ行政と業界で過去に物議が醸されたように記憶しているが.....


 本当に診て(検査)くれたの? と疑いたくなったことありませんでした? 車検から戻って

 来ると直ぐに何処かしら調子が悪くなって、車検に出す前の方が良かったと経験した人も多い

 のではないだろうか。

 古いオーナーさんなら知っている筈、ラジエータからの水漏れ、バッテリー上がりでクルマを

 押してエンジンを掛けたなんてことを。

 でも最近のクルマ部品って良くなりましたよ、走行距離10万キロまではメンテナンスフリー

 が実力ですから、過去の不具合なんて無くなりました。 日本の旧態依然とした車検制度も

 見直す時期に来ているのではないでしょうか。

 安倍さんだって、古い日本国憲法は時代に合わないって言っているようだし。


 ● 米国では車検制度はなく、毎年1回税金を払う時に排ガステストが義務付けられていましたが

 その費用も15ドル程度でした。 でもデメリットも当然あって、道路にはマフラーが転がって

 いたり、マフラーをブラブラさせて走る車の後ろに付いた時には、よくハラハラさせられた。

  

 ● メキシコなどは悪路が多いのでもっと酷く、タイヤ丸ごとやゴムの破片などが転がっている

 のをよく見掛けた。 どうやって帰ったのかと要らぬ心配をさせられたものだ。

 最も驚いたのはトラックの荷台に、人を載せてもよいという凄まじい法規が罷り通る車社会

 (南米)だから車検制度など無かったと思う。 要は車検は自己責任の裁量なのだろう。

 暖かい国だから、荷台の上でも寒くはないとは思うけど落っこちないかと心配ばかり。

 

 ● ハンガリーも車検制度はないが、毎年1回のディーラ保障というものがあって、保障という

 からタダかと思ったら、保証の方であってディーラでは点検マニュアルに従ったメンテナンス

 (部品交換等)で4万円位掛かります。 街の点検専門店 (Auto-Clubなんて所)でやって

 貰うと半分位の費用で済む。

 この点検というものは義務付けられている訳ではないが、車を手放す時にこれをやっているか、

 いないかで大きく価値が変わってくるので実施している人は多いと思う。

 

<カローラ>

  昭和の時代には、ずうっとトップの売り上げを誇った永遠の人気車も、2018年の統計では

 8位まで順位を下げていた。 近年の覚えられないほどの車種の多さによる喰い合いで、

 メーカーにとっては一向に腹が痛まない施策ではある。(プラットフォームの共通化という

 新生産方式を採用する方が有効らしい)

 ↑  Corolla 114LE;     直4-1.2L tubo,  6速マニュアル, 前輪駆動, 予想価格 6.2M Ft.

 1.8 Hybrid 122LE; 直4ー1.8L NT +  AC synchro motor (163nm)           7.3MFt.   

 

3.中古車事情

  車検を義務付けられていても、日本の場合は3回の車検を受けた後のクルマの査定価格は

 ゼロに近くなり、廃車にしようものなら逆に廃却代で札を貼って出さなければならなくなる。

 だったらディーラで新車に買い替えた方が有利というシステムになっているのが日本のビジ 

 ネス・モデルのようだ。

 下取りされたクルマはロシアや東南アジア市場に持って行くと、両方の国でWin-Winになる。

 なぜならハンガリーでもそうであるが中古車が高く売れる(値が落ちないのである)ので、

 先ほどのクルマの点検を受けていたという証明があった方が有利ということになる。

 

  逆にクルマ社会の西ドイツは日本と同じような中古車事情である為、15年ほど前までは

 ドイツで中古車を買ってハンガリーに持ち込むという事が流行ったが、今は法が改正されて

 メリットはなくなったと聞く。 じゃということで名義をドイツの友人にしてハンガリーで

 使うということも考えられる訳である。 多分、メキシコの中古車市場もクルマ社会の米国

 との陸続きで同様な中古車事情であるような気がする。

 

<C-HR>

 日本市場では、SUV(多目的車)部門ではトップ人気である。全体の売り上げでは12位。

 C-HR Hybrid;直4-1.8L NT engine + AC synchro moter (163Nm) 前輪駆動、8.5MFt.

 

4.車両盗難事情

  国が陸続きであるということはいろんな事が起こり得るが、クルマの盗難については最たる

 ものであろう。 日本は皆無という訳ではないが泥棒さんにとっては非常に難しい筈である。

 ヨーロッパではクルマ盗難は昔から珍しいことではなかった。(車上荒らしは別ものとして)

 昔、小生も自動車部品メーカーの技術者として盗難防止システムを考案する機会があったが、

 盗難防止装置と云っても、簡単なものではハンドルをロックする物とか、いろいろあるのだが、

 小生の場合は燃料をカットしてエンジンを掛からないようにする分野であった。

 しかし、このバトルは「イタチごっこ」で、どの手法でも最終的には泥棒さんに軍配が上がる

 結果に終わることが多かった。

 

 ● 次に示す事例は、小生が実際に経験したことで、かなりの部分で信憑性があると思う。

 小生はブダペストで会社から貸与されていたクルマを盗まれてしまった。そして警察で盗難届

 を書いている時に係官から聞いた話では、高級車(ベンツ、BMW、アウディ等)は組織ぐるみ

 (点検修理店、国境職員、泥棒団)でやっているので、国外に車を持ち出された場合は見つかる

 ことはないと、唯一の望みは燃料をハンガリー国内で給油する際にガソリンスタンドに設置して

 あるカメラに写っている可能性であるが、国外脱出までの燃料がタンク内に残っていれば、

 万事休するで100%捕まえることは出来ないと自信顔で言われたが、「本当に検挙する気がある

 のかなあ」とブダペストの警務パフォーマンスを疑いたくなった。

 高価で人気のある車を持つ場合は盗難保険に入るべきだと思う。 盗難保険自体があるなんて

 日本人には驚きだし、欧米人にとっては日本に地震保険があることを驚くと同じ感覚だろう、

 頻繁に起こり得るということにおいては。

 

 ● 米国、メキシコでは車の盗難については耳にしなかったが、むしろメキシコでは車より命の方

 を注意すべきだろう。 日本企業の進出の多い街では、車より日本人の持つおカネが狙われる

 ケースが結構あった。

 

<ヤリス (Yaris)>

  日本市場での呼び名はヴィッツで、2018年の日本市場での販売台数では9位だった。

 ↑  Yaris Hybrid; 直4-1.5L + AC synchro motor (110Nm)、前輪駆動、予想価格 5MFt

  ↓ Yaris 1.5 111LE ; 直4-1.5L NT、6速Manual shift、前輪駆動、4MFt (フォリント) 

 

<GRスープラ>

 年金生活者には最も手の届かない、似つかわしくないクルマで、このブログを閉めよう。

  直6-3.0L 直噴DOHC+Turbo engine  レーシングコンセプトカー、予想価格 18MFt

 

 昭和、平成を生き抜いてきた時代遅れの爺さんエンジニアです。 現在と違って来ている

 点もあるかも知れませんが、或る時点の、或る地域での切り口であるとご理解ください。

    

    これにて「初雪とクルマ事情(2)」は、お終いです。

    本ブログへのご訪問、有難うございました。


初雪とクルマ事情(1)

2019-12-06 04:31:42 | 海外生活

 今年の初雪は12月2日であった。 例年通りなのかな? 去年の11月19日の初雪は早過ぎ

だったのかも知れない。 今年の霜月は雨模様の日が続いたので全般的には暖冬だったのだろう。

多少の前後はあるがクリスマス前に一度、白銀のヴェールを被るのが、ここブダペスト界隈の近年

の恒例的気象傾向である。     ....以下、写真はすべてDec. 02 2019に撮影したもの

 

 自宅前の通り(9:00 a.m.)

 

  樹の枝に頑張って残っていた林檎も、あと6個になってしまった。

 

  先週の金曜日(11月29日)にM7(高速道路)90Km出口に新しいジャンクションが開通し

 ブダペストとバラトン湖がまた一層近くなった。 もはや通勤圏と言っても過言ではないかも

 知れない。                         SNS-Net の画像を拝借 

  降雪の中、予約をしていたクルマの定期点検でブダペストのカーディーラーまで行くのに、

 出来立てのジャンクションを初めて通ることになった。

 

 トヨタディーラとしてはハンガリーで最も大きいと云われている所。

  

 ここでトヨタのクルマやディーラを宣伝しようという気はサラサラなく、時たま今乗っている

クルマがこのディーラで3年前に購入したというだけの話である。

その前はライバル社の車を使っていた。 現役時代は当然ながら日本では系列会社の車が常識、

海外ではメインの取引先のクルマを会社から貸与された。 日本車はむしろ避けられていた。

厳しいクルマ戦争で、日本人が日本車では敵地で反感を煽るという考えが会社にはあったようだ。

実際、1987年に戦場と云われていたデトロイト(米国)に最初に赴任した時、TVで映し出された

米人労働者がつるはしで日本車を叩き壊すCMを見たら、現地では日本車を乗る気がしなくなった。

 

 車社会に長いこと帰属していた関係で、多くの関連会社とクルマに付き合って来たものだ。、

かつて赴任していた3つの国(米国、メキシコ、ハンガリー)でのクルマ事情について、日本と

比較しながら考える時間が、車の点検が終わるまで十分にあったので、書いてみたくなった。

 

 下書きをしていたら、自分の気にいらない悪い癖が出てしまい、文字が多過ぎてしまったので

息抜きという意味合いで、文章の途中にデモ車の画像を挿入し、2回に分けて投稿したいと思う。


<レクサス>

  この車は1989年に、あの日米自動車戦争がたけなわの時期に米国市場に、日本市場に先駆け

 投入されたのであった(日本は2005年)。    「Experience Amaging」なるスローガンで 

 メルセデス・ベンツ、BMWなどの西ドイツ製の高級車を対抗ターゲットに機能性と安全性を

 徹底的に追及した高品質の、まさに社運をかけた世界制覇を託した車両であった。 

 当時はあくまでも米国に入ってくるドイツ製高級車がターゲットあったため、アメリカへの

 風当たりも順風に変ったのかも知れない。

 1989年はあのベルリンの壁が崩壊した年であり、あれから30年、世界制覇は達成できたのか?

 1989年は又、小生の米国での赴任2年目の年であり、トヨタのグループ各社を巻き込んだ品質

 向上活動(市場不具合情報の収集と潰し込み)が盛んに展開されていたことが思い出される。

 ● ES300h;直4-2.5L int-Tubo engine + AC synch moter (202Nm)  前輪駆動 

        AC synch moter は交流同期モータでハイブリッド用。予想価格15MFt.

 

 ● RC300h;エンジンは上記と同じ+ AC synch moter (202Nm) 後輪駆動, 予想価格15MFt.

 

 ● LC500;V8-5.0L int-Tubo engine 、10速 Automatic、後輪駆動、33MFt.(フォリント)

  型式に -h が付いたハイブリッド車の展示が圧倒的に多い中で、珍しい従来型車両。

 

 一番見たかった電気自動車は一台も無かった。 街中ではナンバープレートが薄緑色なので

結構、路上では見受けるが日本への特注かも知れない。 店頭に並び出すのは何年先だろう。

トヨタの当面の戦略は、ハイブリッド車で勝負ということを何かの書籍で読んだことがある。

いずれにしても、充電スタンド、サービス体制等のインフラが整備されるまでは、まだ、まだ

先のような気がする。    (ヨーロッパ、中国メーカーはハイブリッド車で出遅れた為、

電気自動車優先方針のようだが、このクルマ戦争には当面、目が離せないだろう)

 

1.自動車道路事情

 冒頭に触れた道路事情であるが、高速道路級の道(中央分離帯で対抗しない道路)がどの位

 整備されているかで、国の豊かさの一つのバロメーターになるように思う。

 

 ● さすがアメリカは凄い、日本の高速道路級の道が無料の一般道としてどこまでも行ける。

 有料道路と言ったら、橋などを渡る時にコインを投げ入れるようなお賽銭感覚である。

 日本のような高い料金を払っていたら、ましてや広い国なので幾らになることやら。

 次に忘れてならないのがドイツで、ご存じのアウトバーンでスピードは無制限でタダ。

 

 ● メキシコの道路事情は、高速道路も少ないけど穴ポコだらけの道には参ってしまう。

 一年で数回パンクの修理またはタイヤの廃却を覚悟しなければならなかった。 

 兎に角、幹線道路にはタイヤサービス店が多く、移動タイヤ修理屋には驚いたものだ。

 電話一本で駆けつけてくれる。

 

 ● ハンガリーは東欧一の高速道路保有国である。 高速道路料金も15,000円ほど払えば

 年間何回でも利用できる(最近、改訂され1高速道路あたり、2,000円ほどになったが、

 自分の行動範囲だけ買えば良いので、トータルとして安くなったことになる。)

 

 最近のクルマには、価格を抑える為に使用頻度の少なくなったスペアタイヤがなくなったのが

標準仕様になっており、道路事情の悪い国へ行く時は要注意である。 タイヤの側面破損では

簡易パンク修理剤(標準仕様に替わりに入った)では賄い切れない恐れがある。

 

<プリウス>

  予想外にハイブリッド車の先駆車のプリウスは2階の展示場の片隅に一台だけ。

 参考に日本での売れ行き状況を調べてみたら、2018年乗用車部門の売り上げ台数は第3位

 と堅調を続けている平成のスター車であるが、ここハンガリーでは展示車種数、場所から

 SUV C-HR に押され気味のような状況であった。

 直4-1.8L non-Tubo engine + AC Sychro Motor(163Nm)、前輪駆動、8M Ft. 

 

 

         つづく!

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