タイムスリップという概念は、今ではアニメやコミックやドラマ、映画などではよく使われる。
いわゆる、生きる時代の違う人間が、時空の狭間に入るなり落ちるなりして、全然違う時代に現れる現象だ。
現実にはありえない現象だとは思う。
でも、フィクションのネタとしては面白い。
私自身タイムスリップネタは好きなので、このブログではこれまでにタイムスリップネタは取り上げてきている。
今回もまたタイムスリップネタを書いてみたい。
昨今の作品に多いタイムスリップのパターンとしては、現代人が過去の世界に行ったり、過去の人間が現代に現れたりするパターンが、よく使われる。
現代人が過去の時代に現れる物語の場合、タイムスリップした過去の時代で遭遇する人物としてよく登場するのが織田信長と坂本龍馬。
例えば「JIN」では現代人が幕末の時代に行って、坂本龍馬と交流を持った。
「信長のシェフ」では、現代人が戦国時代に行って、織田信長に仕えることになった。
きっとこの他にもあるはず。
それは・・現代人が最も会ってみたい「歴史上の人物」が信長と龍馬であるからなのだろう。
実際、テレビなどのバラエティで、「歴史上人物人気ランキング」を統計する時、信長と龍馬が事実上の2トップである。
3位以下を大きく引き離して、信長と龍馬が双璧の人気を誇る。
この人気が、タイムスリップものに反映されていると言えるのだろう。
私とて、確かに信長と龍馬には会ってみたい。
少なくても、本人を見てみたいとは思う。
龍馬は写真が残されているし、信長に関しては西洋人が描いた写実的な信長の肖像画が残されている。写真かと見まがうほどの写実的な信長像だ。
なので、顔に関しては、2人ともある程度の想像はつく。
だが、実際に会ってみないとわからない部分は、肖像画や写真では「想像」するしかない。
例えば声とか、本人が醸し出す雰囲気など。
我々が持つ龍馬や信長のイメージは、あくまでも映画やドラマやコミックなどで「作られたイメージ」である。だが実際の彼らがそのイメージ通りとは限らないのだ。
だからこそ、実際にはどうだったのか・・・とか、未来人が勝手に作り上げたイメージとどう違っているかなどを知りたい。
私がタイムスリップものを読んでよく思うことは、タイムスリップした現代人が幕末や戦国時代に行って、そんな簡単に龍馬や信長に会えるものだろうか・・・ということ。
交流したり、家臣になったりできるものだろうか。
彼らにとっては未来人である現代人は、相当胡散臭く見えるはずだ。
警戒もされるはずだ。
だいいち、そんなにうまく、彼らに遭遇できるものだろうか。
その辺は疑問ではある。
龍馬や信長は、それぞれの時代で有名人であり、重要人物であったはずだし、現代で例えれば有名な政治家や財界の大物クラスの大物だったはず。
そんな人に、胡散臭い「未来人」が簡単に会えるだろうか。
そんな疑問はある。
ただ、その未来人が、未来のアイテムや知識や能力を持っていれば、確かにチャンスはあるだろう。
噂を聞きつけた信長や龍馬が、本人サイドから「会ってみたい」とオファーしてくる可能性はある。信長も龍馬も共に「新しモノ好き」だったから、なおさら。
そしてそれは、なにも信長や龍馬に限らないであろう。
その時代の他の有名人や有力者も興味を持つはずだ。
一般人も、その噂を知れば、会いたがる人はけっこういるであろう。
考えてもみてほしい。もし我々が住む21世紀の時代に、未来人が現れて、我々の持ってない未来道具を持ってたり、これからの歴史の流れを知ってたら、会ってみたいと思うのではないか。
それは信長や龍馬などの過去の歴史上人物とて同じだろう。
だが、一般人だと、未来人と会うための「つて」が中々ないのではないかと思う。
だが、有力者や有名人だと、仮に「つて」がなくても、強引に会おうとすることができる。
家臣に探させたり、命令したり(その場合、断ったり失敗したら、君主によっては暗殺者をおくってくるかもしれない)。秀吉とか豪商なら、金を積んで会おうとするかもしれない。
だが、有力者に知られるということは、その時代の一般人にもかなり知られていることになる。
その一般人の中には悪だくみをしている人もいるだろうし、へたしたら危機感を持ってる人もいるかもしれない。
そうなると、その未来人は命を狙われる可能性もある。
こんなふうに考えると、仮に信長や龍馬の時代にタイムスリップしても、無事に信長や龍馬に会えるかどうかは、けっこう微妙な気はする。
でもまあ、そんなことを考えたらきりがないし、つまらなくもなるので、タイムスリップものでは、割とすんなり・・というか、ある意味手っ取り早く(?)龍馬や信長に無事に会えることにして、物語を進めている。
物語だからそれでいいが、現実的には・・信長や龍馬の時代にタイムスリップしたとしても、当人に無事にあえるかどうかは・・・やはり疑問ではある。
もっとも・・
仮に会えたとしても・・その辺の歴史的な人物だと、敵も多いし、取り巻きも多いし、まわりに事件も多い。
ということは、うかつに親しくなると、タイムスリップした未来人はそれらの人物と関わることで、事件に巻き込まれる可能性は高いし、へたしたら未来人自身も敵視されてもおかしくない。
そう考えると、タイムスリップして、スリップした時代で歴史上の人物に関わるのは、危険ではあると思う。
無名な民間人の中に紛れ込み、、未来の知識をあまりひけらかさないほうが無難な気はする。
ひけらかしてしまったら、噂となって広まってしまうだろうからね。
タイムスリップして・・一般民間人の中に紛れ、平凡な人生を送るほうが長生きのコツかもしれない・・・なんて思ったりする。
まあ、そうなると、物語としては、ちっとも面白くはないよね(笑)。
だって・・例えば幕末にスリップした「仁」の南方仁先生が、幕末の時代では医者としては活動せず(医者として活動したら、その未来知識・技術で目立って仕方ない)に、ソバ屋の主人として生きていったり、戦国時代にスリップした「信長のシェフ」の主人公ケンが戦国時代で料理人として活動せずに飛脚として生きていったりしたら・・。
つまり、未来世界での医者としての知識・技術や、料理人としての知識・技術を、過去の世界で活かさなかったら・・。
ただの一般人になってしまう(笑)。
その場合、物語的には、タイムスリップした主人公が、過去の時代で、いつ未来の知識や道具を解禁するかで、話を引っ張るんだろうなあ(笑)。
だが、私がここで書きたかったのは、それらの主人公が結局、未来の知識や道具をひけらかさないで一生を終える場合だ。
まあ・・少なくても、波乱万丈の物語にはならないよね(笑)。
漫画、小説、ドラマ、映画などで描かれるような内容にはなりそうもない。
タイムスリップというものは、常識的にはありえない出来事だと思うが、もしも本当にそんな現象があって、実際に未来人や過去人が現代に来てる場合、上記のような平凡な生き方を心がけているとしたら・・案外タイムスリップはありえたりしてね(笑)。
そして、その生き方は、案外賢い生き方なのかもしれない。
長生きするという意味では。
まずは織田信長が昭和50年代の東京にタイムスリップ。人を斬りまくる。追いかける刑事。信長を守る若者。
面白そうですね。
現代の法律下では、銃刀法違反に問われそうですし、警察に追われるでしょうね。ただ、信長か鉄砲隊の部隊を従えてたら、日本の内乱になることでしょう。
今、大河ドラマで話題になっている源義経。頼朝に殺されずに中国に逃れてその後成吉思汗になったと言う説が昔流行りました。
タイムスリップしてそれを確認したいと思った人もいたでしょうね
今で言う都市伝説みたいなものだったのかもしれません。当時の人々にとっては。
エルビスやレノンが実はまだ生きてる・・・という都市伝説があったように。
織田信長、真田幸村、西郷隆盛・・・etc.
そういう歴史関係の本も出版されました。
悲しい事にエルビスとレノンが生きてるのはあり得ないですね・・・
僕は都市伝説はほのぼのとしたものが好きです。橋田壽賀子脚本の「おんな太閤記」や「おしん」に出演したガッツ石松が女優の赤木春恵に向かって「橋田先生。はじめまして」と挨拶をしたとか
信長などが今も生きてたら・・・600歳くらいになってしまうのかも(笑)。
ほとんど妖怪ですなあ。
エルビスやレノンがもし生きてたら、そのまま庶民のままでい続けるなんて難しいでしょうね。
周りもほうっておかないでしょうし。
都市伝説は、最近どんどんエスカレートしていってる気はします。
ただ、いたずらにあまりに不安をあおりすぎるものはまずいんじゃないかとも思えます。
そこでひねくれ者の私は考えてしまうのですよ。
歴史って「勝者」の記録として伝わる事がほとんどですよね。つまり、歴史を学んでいたとしても、それが事実ではないって場合もあるって事。人物像にしても後世に伝わるものとは全く違うなんて事もあるかも知れませんね。
だからこそ自由に発想できるタイムスリップものが面白いのかも知れません。
歴史学者なみに詳しい場合もあります。
例えば本能寺の変や関ケ原合戦や、大阪の陣みたいな大きな事件ならおおまかなことは知ってたとしても、教科書には乗ってないような、さほど大きくなくて、1地方のローカルな事件の場合は、普通の人はさほど詳しくないはず。
でもスリップした人はよく知ってたりします。
ちょっと不自然なくらいに(笑)。
まあ、それをツッコミはじめたら、物語を展開させづらいのでしょうね。