大樹町のあたりではまだ小降りだった雨。
その後なおも車は走った。襟裳岬を目指して。
進むにつれ、雨の量が増えてきた。雨の音は、はっきりしてきた。
やがて車は海沿いの道に出た。
すると、雨が激しくなってきた。車の窓をうちつけるように。
ワイパーが必死に、窓の雨をかきわける。
海は荒れていた。高波がおしよせてきていた。
そのあたりではいつも波が荒いのかどうはわからない。
これから襟裳に向かうというのに、この雨はなんだ?弱まるどころか、どんどん強くなるばかり。私は絶望的な気持ちになった。
襟裳に着く頃は、雨はさらに強くなっていそうだ。
あたりは濃い霧がたちこめ、視界も悪くなっていった。
やがて・・・車は襟裳に着いた。
そこには広めの駐車場があり、それなりに大きな土産物屋もあった。
そのそばには、「風の館」の看板が。襟裳岬の観光用の施設だ。
↑ 襟裳岬に到着。襟裳岬の駐車場と、お土産屋。中では食事もできる。ツアー客、多し。
↑ 襟裳岬の駐車場に着くと、まず目に入ったのがこの看板。観光スポット「風の館」では、襟裳の強風体験や、大型画面でのミニ映画上映、そして襟裳岬の先端部分の室内展望所があったりする。
↑ ここから「風の館」に入っていくのだ。カーブを描く石垣の道が、粋。
車が停まり、私は車の外に出た。ものすごい風だ。雨が風によって、かなりのパワーで人や建物や車にうちつけている。
ちょっと外に出ただけで、水浸しになりそうだった。
私を降ろしたタクシーは、一目散に帰っていった。広尾、帯広方面に。
気持ち、取り残されたような気分であった。
うちつける風雨、あたりを覆い隠す濃霧。私はいたたまれず、お土産屋の中に入った。
そういえば、昼飯をまだ食べていなかったので、かねてから下調べしてあった「えりもラーメン」を注文。
↑ えりもラーメン。海鮮の具、野菜などが乗っていた。海鮮・野菜ラーメンという感じ。味は、醤油、味噌、塩の中から選べるが、私が選んだのは醤油味。
強い風雨の中にもかかわらず、店の中はそこそこ混んでいた。
私がえりもラーメンを食べ始める頃、バスによる団体ツアーの客がどんどん入ってきた。
皆、外にいられないのだ。
店内では、エンドレスで、あの「襟裳岬」の歌が流れていた。
おなじみの森進一バージョンはもちろん、吉田拓郎のセルフカバーバージョン。
そして、聴きなれない、女性歌手のカバーバージョン、男性歌手のカバーバージョンも流れていた。
さて、えりもラーメンを食べた後、私はまたしても途方にくれた。今日、この後どうしよう。
せっかく襟裳岬に来たと言うのに・・。
とりあえず、観光施設である「風の館」に入ってみた。
↑ 風の館、内部のルート。くねっと曲がっていた。RPGに出てきそうなダンジョンにも似て。
すると、襟裳の風を体験できるコーナーがあり、興味ついでに体感してみることにしたのだが、襟裳の風を再現したその風力たるや、すさまじい。
呼吸ができないくらいだった。
なんでも襟裳岬は「風極の地」と呼ばれているぐらい、風の強い場所らしい。
↑ 風極の地、襟裳の強風を体感できるコーナー。あの丸い穴から、強烈な風が再現されて出てくる。近づくと、あまりの強風で息ができないくらい。目も開けてられないぐらいでもある。
その後館内の階段をあがり、外に出てみた。そこは岬の高台になっている場所で、晴れていれば襟裳岬の突端と、襟裳を取り囲む海も見れるであろう場所だ。
だが、濃霧と、打ちつけるような風のため、視界が効かない。
↑ 「風極の地 襟裳岬」の看板。まさに強風の地。 「風極の地」にしろ「風の館」にしろ、小説や歌のタイトルにもなりそうな響き。
いくつかの看板の写真をかろうじて写真に収め、私は館内に戻った。
そして館内を少し歩いていたら、展望室に出た。
そこは、一面ガラス張りになっており、一応室内なので雨や風の影響は受けない。
ガラス張りの向うには、襟裳岬の突端が見えた。雨や霧でだいぶぼやけてはいたが。
この角度から見る襟裳岬は、けっこう定番のアングルであろう。この風景はこれまでに何度も私は写真集などで見てきている。
↑ 襟裳岬の定番の眺め。有名な風景。あの突端の部分まで行きたい・・・。岬の突端の先に、海には岩礁が続いている。
しばしその風景を見た後、「風の館」から襟裳岬の突端に続く道に出てみた。あわよくば襟裳の突端に行きたいと思って。
だが、外に出た瞬間、あきらめた。この風雨じゃ、とてもじゃないが、やはり無理。
幸い、この日私は襟裳岬に宿をとっていた。
なので、せめて・・・この日は無理でも、翌日の午前中に望みを託そうと思った。
とりあえず雨さえ降っていなければ、傘も必要ないし。
そうしたら、たとえ霧が濃かろうと、風が吹き荒れようと、襟裳岬の突端まで行ってみよう。
神様、なんとか明日の朝、せめて雨だけでもやむようにしてください・・と思いながら、私は「風の館」を出た。
そして、再び土産物屋に行き、使い捨てっぽい「カッパ」を買った。
襟裳の強風の中では、傘など意味がない。たとえさしても、強風であっという間に骨が折れてしまうこと必至。
となると、風雨よけとしては、カッパしかない。
で、土産物屋でカッパを着こみ、決死の思いで私は外にでた。
この日の宿は、土産物屋のすぐそばにある。とりあえず、宿までの辛抱だ。たとえ雨や風が強くても。
そう思い、すぐそばの視界さえきかなくなっているほどの濃霧と、うちつける風雨の中、私は宿に向かって歩きだした。トボトボ歩きたい心境だったが、一刻も早く宿に着きたかったため、スタスタと歩を進めていった。ひたすら。無言で。
↑ 御覧の通りの濃霧。この時点で、すでに視界がきかない。この後、この霧はますます濃くなっていった。
↑ 濃霧の中であったが、それでも歩いていかねばならなかった。仕方がない。 濃霧の道を歩くのは、気が重かった。
カッパは頭から足の膝あたりまでは覆ってくれてたが、膝から下は、Gパンに雨が容赦なく染み込んでくる。
ずぶぬれだ。
だが、濃い霧に隠された道路を私は必死に歩いた。歩き続けた。
ずぶ濡れで冷たいひざ下。カッパで覆われて暑い上半身。そんな2色の体調で、ただ進む。
かなり歩いたはずだ。
だが・・・
おかしい。
宿はすぐ近くにあるはずなのだが、いっこうに到着しない。
視界はまずます遮られ、岬の高台となって続く地形に、道路はひたすら続く。まっすぐ。
どれぐらい歩いただろう。おかしい。こんははずはない。
遭難する時って、こんな感じなんだろうな・・・と私は思った。
どうやら、これは・・道に迷ってしまっているのだ。
そう思い・・私は意を決したように携帯を取り出し、宿に電話をかけた。
宿の主人は、私の現在地を聞いてくるが、いかんせん濃霧と風雨で遮られ、あたりの様子が説明できない。
霧で白一色の世界で、強風にあおられた大雨が私を襲っていた。
今思えば、この時の私の歩いている道の写真でも撮っておけばよかったかな・・とも思うが、体験中にはとてもじゃないが、そんな余裕はなかった。
まあ、写真を撮ったとしても、濃霧で白1色の写真になったではあろうが・・。
ともあれ、道は一本道を歩いてきたはず。
現在地を説明できない私は、とりあえず今来た道を引き返すことにした。
そうすれば、さっきの土産物屋に戻るはず。
電話で、宿の主人に、とりあえず今来た道を引き返し、土産物屋に戻ることを私は伝えた。
すると、宿の主人は、土産物屋まで車を出して迎えにきてくれるという。
それまでに相当歩いたはずなので、土産物屋に戻るのにはけっこう時間がかかりそうだ。
でも、戻るしかない。
そう思い、疲労の極地ではあったが、ずぶ濡れになって道を戻っていたら・・後のほうから車が一台通りがかった。
すると、ひたすら歩いている私の横に停車し、運転手のおじさんが窓をあけ、「だんぞうさんですか?」と聞いてきた。
そう、それは宿の主人であった。
宿の主人は、私をさがして、襟裳岬近辺の道を、あこちち巡って私を探してくれていたようだった。
かくして、私は・・救われた。
もう、言葉を発する元気もなかった。
足の膝から下は、もとよりずぶ濡れだったが、カッパで覆われて暑いはずの上半身は、汗を吸ったシャツで冷え、あたりの冷気もあいまって、上半身の体温も奪われて、全体的に私は全身「冷えきった」状態であった。
宿に着いてみれば、やはり宿は襟裳の土産屋からはすぐだった。
どうやら、私は濃霧のために視界がきかず、間違った道を進んでいたのだった。
もしあのまま進んでいたら、永遠に宿には着かなかったはずだ。
私は・・・襟裳岬の高台の道で・・・視界がきかない濃霧と、うちつける風雨で体温を奪われ・・・晴れていれば難しくない岬道で・・遭難しかけていたのだ・・・。
なんてこった。襟裳岬で遭難しかけるとは・・・とほほ。
宿に着いてみたら、宿の女将さんは私の衰弱した様子を見て、「大丈夫ですか?宿帳を書けますか?」と聞いてきた。
きっとその時の私の状態は、まとも立っていられなくて、しかも言葉も発せられないような状態に見られたのだろう。
ずぶ濡れの衣類を宿に預け、ボイラー室で乾かしてもらうことにして、私は宿に無事に着いたことに安堵しつつ、部屋で休んだ。
翌日、せめて雨だけでもやむことを願いながら。
それにしても・・・どこかの山ならともかく、襟裳岬で遭難しかける奴なんて、そうはいないだろうなあ・・。ボソッ。
・・・・・と思いきや!
話によると、名曲「襟裳岬」の作詞家である岡本おさみさんも、 襟裳岬を訪れた時に遭難しかけたらしい。
で、やっと民家を見つけて、暖かいお茶を出されて、命が繋がったそうな。
それもきっかけになって、あの歌が生まれたのだとしたら・・・私も岡本さんと似たような体験をしたことになる・・・。
歌曲「襟裳岬」がきっかけになって襟裳岬を訪れた私にとっては、現地で岡本さんと共通の体験をしたことになるとは、ちょっと嬉しいような、怖いような。
ただ、岡本さんが襟裳を訪れたのは真冬だったそうだから、きっと私以上に危険な状況だったことだろう。
それもまた、あの曲のパワーに繋がったのかもしれない。
それにしても・・視界がきかないということは、怖い。痛感。
ともあれ、翌日の天気は?
つづく。 (←重々しく、もったいぶった感じで)
↑ やっと着いた、この日の宿。着いてしまえば、襟裳岬の駐車場からはすぐだったのだが・・。犬がお出迎えしてくれていた。
だんぞうさんが訪れた季節が真冬の襟裳なら、この時以上に過酷でしたね。
そもそも「真冬の襟裳岬」など、観光客は1人もいないでしょう。
真夏でさえ、極北の地は、本当に大変だということを、だんぞうさんの体験で痛感しました(;゜0゜)
実際に踏破した「襟裳岬」と、歌だけで知っている「襟裳岬」は、天と地ほど、魅力も全く違うでしょうね(*´∀`)ノ
やっとの思いでたどり着いた宿では、ストーブをつけてました。7月だというのに。
体が冷えきってたのでストーブはありがたかったです。
苦労しただけに、たどり着けた喜びは大きかったですけどね。
襟裳岬の歌詞がどういう経緯で出来上がったのかは、気になります。
そして、だんぞうさんと同じく遭難されたのですよ(〇>_<)
やっと家を見つけて入った民家で、温かいお茶を出されて、命が助かったエピソードが残っています。
私も、大好きな歌の舞台は行ってみたいですね。
なお、「岬と灯台」、私が最も愛する風景です♪v(*'-^*)^☆
岡本さんが襟裳を訪れたのは真冬でしたか。
そりゃ、私以上に大変だったことでしょう。
それこそ命にかかわる状況だったのではないでしょうか。
私が行ったのは夏でしたが、濃霧と風雨のせいで、体は冷え切っていました。
もしそれが真冬だったら、このブログが更新されることは、以後はなかったかもしれません。
管理者不在になって。
それにしても、鮎川さんはビートルズだけでなく、そういう逸話にもお詳しいのですね。
岬と灯台・・・絵になりますよね!
ぜひ書きくわえたい逸話でしたので。
ありがとうございました。