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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

襟裳岬で、あわや遭難?(襟裳&帯広・旅行記2)

2017年08月23日 | 

大樹町のあたりではまだ小降りだった雨。

その後なおも車は走った。襟裳岬を目指して。

進むにつれ、雨の量が増えてきた。雨の音は、はっきりしてきた。

 

やがて車は海沿いの道に出た。

すると、雨が激しくなってきた。車の窓をうちつけるように。

ワイパーが必死に、窓の雨をかきわける。

海は荒れていた。高波がおしよせてきていた。

そのあたりではいつも波が荒いのかどうはわからない。

 

これから襟裳に向かうというのに、この雨はなんだ?弱まるどころか、どんどん強くなるばかり。私は絶望的な気持ちになった。

 

襟裳に着く頃は、雨はさらに強くなっていそうだ。

あたりは濃い霧がたちこめ、視界も悪くなっていった。

 

やがて・・・車は襟裳に着いた。

そこには広めの駐車場があり、それなりに大きな土産物屋もあった。

そのそばには、「風の館」の看板が。襟裳岬の観光用の施設だ。

 ↑ 襟裳岬に到着。襟裳岬の駐車場と、お土産屋。中では食事もできる。ツアー客、多し。

 

↑ 襟裳岬の駐車場に着くと、まず目に入ったのがこの看板。観光スポット「風の館」では、襟裳の強風体験や、大型画面でのミニ映画上映、そして襟裳岬の先端部分の室内展望所があったりする。

 

 

 

 

 ↑ ここから「風の館」に入っていくのだ。カーブを描く石垣の道が、粋。

 

車が停まり、私は車の外に出た。ものすごい風だ。雨が風によって、かなりのパワーで人や建物や車にうちつけている。

ちょっと外に出ただけで、水浸しになりそうだった。

私を降ろしたタクシーは、一目散に帰っていった。広尾、帯広方面に。

気持ち、取り残されたような気分であった。

 

うちつける風雨、あたりを覆い隠す濃霧。私はいたたまれず、お土産屋の中に入った。

そういえば、昼飯をまだ食べていなかったので、かねてから下調べしてあった「えりもラーメン」を注文。

 

↑ えりもラーメン。海鮮の具、野菜などが乗っていた。海鮮・野菜ラーメンという感じ。味は、醤油、味噌、塩の中から選べるが、私が選んだのは醤油味。 

 

強い風雨の中にもかかわらず、店の中はそこそこ混んでいた。

私がえりもラーメンを食べ始める頃、バスによる団体ツアーの客がどんどん入ってきた。

皆、外にいられないのだ。

 

店内では、エンドレスで、あの「襟裳岬」の歌が流れていた。

おなじみの森進一バージョンはもちろん、吉田拓郎のセルフカバーバージョン。

そして、聴きなれない、女性歌手のカバーバージョン、男性歌手のカバーバージョンも流れていた。

 

さて、えりもラーメンを食べた後、私はまたしても途方にくれた。今日、この後どうしよう。

せっかく襟裳岬に来たと言うのに・・。

とりあえず、観光施設である「風の館」に入ってみた。

 ↑ 風の館、内部のルート。くねっと曲がっていた。RPGに出てきそうなダンジョンにも似て。

 

すると、襟裳の風を体験できるコーナーがあり、興味ついでに体感してみることにしたのだが、襟裳の風を再現したその風力たるや、すさまじい。

呼吸ができないくらいだった。

なんでも襟裳岬は「風極の地」と呼ばれているぐらい、風の強い場所らしい。

 

 ↑ 風極の地、襟裳の強風を体感できるコーナー。あの丸い穴から、強烈な風が再現されて出てくる。近づくと、あまりの強風で息ができないくらい。目も開けてられないぐらいでもある。

 

その後館内の階段をあがり、外に出てみた。そこは岬の高台になっている場所で、晴れていれば襟裳岬の突端と、襟裳を取り囲む海も見れるであろう場所だ。

だが、濃霧と、打ちつけるような風のため、視界が効かない。

 

 ↑ 「風極の地  襟裳岬」の看板。まさに強風の地。 「風極の地」にしろ「風の館」にしろ、小説や歌のタイトルにもなりそうな響き。

 

 

いくつかの看板の写真をかろうじて写真に収め、私は館内に戻った。

そして館内を少し歩いていたら、展望室に出た。

そこは、一面ガラス張りになっており、一応室内なので雨や風の影響は受けない。

ガラス張りの向うには、襟裳岬の突端が見えた。雨や霧でだいぶぼやけてはいたが。

 

この角度から見る襟裳岬は、けっこう定番のアングルであろう。この風景はこれまでに何度も私は写真集などで見てきている。

 

 

 ↑ 襟裳岬の定番の眺め。有名な風景。あの突端の部分まで行きたい・・・。岬の突端の先に、海には岩礁が続いている。

 

しばしその風景を見た後、「風の館」から襟裳岬の突端に続く道に出てみた。あわよくば襟裳の突端に行きたいと思って。

だが、外に出た瞬間、あきらめた。この風雨じゃ、とてもじゃないが、やはり無理。

 

幸い、この日私は襟裳岬に宿をとっていた。

なので、せめて・・・この日は無理でも、翌日の午前中に望みを託そうと思った。

とりあえず雨さえ降っていなければ、傘も必要ないし。

そうしたら、たとえ霧が濃かろうと、風が吹き荒れようと、襟裳岬の突端まで行ってみよう。

神様、なんとか明日の朝、せめて雨だけでもやむようにしてください・・と思いながら、私は「風の館」を出た。

そして、再び土産物屋に行き、使い捨てっぽい「カッパ」を買った。

襟裳の強風の中では、傘など意味がない。たとえさしても、強風であっという間に骨が折れてしまうこと必至。

となると、風雨よけとしては、カッパしかない。

 

で、土産物屋でカッパを着こみ、決死の思いで私は外にでた。

この日の宿は、土産物屋のすぐそばにある。とりあえず、宿までの辛抱だ。たとえ雨や風が強くても。

そう思い、すぐそばの視界さえきかなくなっているほどの濃霧と、うちつける風雨の中、私は宿に向かって歩きだした。トボトボ歩きたい心境だったが、一刻も早く宿に着きたかったため、スタスタと歩を進めていった。ひたすら。無言で。

 

 ↑ 御覧の通りの濃霧。この時点で、すでに視界がきかない。この後、この霧はますます濃くなっていった。

 

↑ 濃霧の中であったが、それでも歩いていかねばならなかった。仕方がない。 濃霧の道を歩くのは、気が重かった。

 

カッパは頭から足の膝あたりまでは覆ってくれてたが、膝から下は、Gパンに雨が容赦なく染み込んでくる。

ずぶぬれだ。

 

だが、濃い霧に隠された道路を私は必死に歩いた。歩き続けた。

 

ずぶ濡れで冷たいひざ下。カッパで覆われて暑い上半身。そんな2色の体調で、ただ進む。

かなり歩いたはずだ。

 

 

だが・・・

 

おかしい。

 

宿はすぐ近くにあるはずなのだが、いっこうに到着しない。

視界はまずます遮られ、岬の高台となって続く地形に、道路はひたすら続く。まっすぐ。

 

どれぐらい歩いただろう。おかしい。こんははずはない。

遭難する時って、こんな感じなんだろうな・・・と私は思った。

どうやら、これは・・道に迷ってしまっているのだ。

 

そう思い・・私は意を決したように携帯を取り出し、宿に電話をかけた。

宿の主人は、私の現在地を聞いてくるが、いかんせん濃霧と風雨で遮られ、あたりの様子が説明できない。

霧で白一色の世界で、強風にあおられた大雨が私を襲っていた。

今思えば、この時の私の歩いている道の写真でも撮っておけばよかったかな・・とも思うが、体験中にはとてもじゃないが、そんな余裕はなかった。

まあ、写真を撮ったとしても、濃霧で白1色の写真になったではあろうが・・。

 

ともあれ、道は一本道を歩いてきたはず。

現在地を説明できない私は、とりあえず今来た道を引き返すことにした。

そうすれば、さっきの土産物屋に戻るはず。

 

電話で、宿の主人に、とりあえず今来た道を引き返し、土産物屋に戻ることを私は伝えた。

すると、宿の主人は、土産物屋まで車を出して迎えにきてくれるという。

 

それまでに相当歩いたはずなので、土産物屋に戻るのにはけっこう時間がかかりそうだ。

でも、戻るしかない。

 

そう思い、疲労の極地ではあったが、ずぶ濡れになって道を戻っていたら・・後のほうから車が一台通りがかった。

すると、ひたすら歩いている私の横に停車し、運転手のおじさんが窓をあけ、「だんぞうさんですか?」と聞いてきた。

 

そう、それは宿の主人であった。

宿の主人は、私をさがして、襟裳岬近辺の道を、あこちち巡って私を探してくれていたようだった。

 

かくして、私は・・救われた。

 

もう、言葉を発する元気もなかった。

 

足の膝から下は、もとよりずぶ濡れだったが、カッパで覆われて暑いはずの上半身は、汗を吸ったシャツで冷え、あたりの冷気もあいまって、上半身の体温も奪われて、全体的に私は全身「冷えきった」状態であった。

 

宿に着いてみれば、やはり宿は襟裳の土産屋からはすぐだった。

どうやら、私は濃霧のために視界がきかず、間違った道を進んでいたのだった。

もしあのまま進んでいたら、永遠に宿には着かなかったはずだ。

 

私は・・・襟裳岬の高台の道で・・・視界がきかない濃霧と、うちつける風雨で体温を奪われ・・・晴れていれば難しくない岬道で・・遭難しかけていたのだ・・・。

 

なんてこった。襟裳岬で遭難しかけるとは・・・とほほ。

 

宿に着いてみたら、宿の女将さんは私の衰弱した様子を見て、「大丈夫ですか?宿帳を書けますか?」と聞いてきた。

きっとその時の私の状態は、まとも立っていられなくて、しかも言葉も発せられないような状態に見られたのだろう。

 

ずぶ濡れの衣類を宿に預け、ボイラー室で乾かしてもらうことにして、私は宿に無事に着いたことに安堵しつつ、部屋で休んだ。

 

翌日、せめて雨だけでもやむことを願いながら。

 

 

それにしても・・・どこかの山ならともかく、襟裳岬で遭難しかける奴なんて、そうはいないだろうなあ・・。ボソッ。

   

 

・・・・・と思いきや!

話によると、名曲「襟裳岬」の作詞家である岡本おさみさんも、 襟裳岬を訪れた時に遭難しかけたらしい。

で、やっと民家を見つけて、暖かいお茶を出されて、命が繋がったそうな。

それもきっかけになって、あの歌が生まれたのだとしたら・・・私も岡本さんと似たような体験をしたことになる・・・。

歌曲「襟裳岬」がきっかけになって襟裳岬を訪れた私にとっては、現地で岡本さんと共通の体験をしたことになるとは、ちょっと嬉しいような、怖いような。

 

ただ、岡本さんが襟裳を訪れたのは真冬だったそうだから、きっと私以上に危険な状況だったことだろう。

それもまた、あの曲のパワーに繋がったのかもしれない。

 

 

それにしても・・視界がきかないということは、怖い。痛感。

 

 ともあれ、翌日の天気は?

 

             

                   つづく。 (←重々しく、もったいぶった感じで)

 

 ↑ やっと着いた、この日の宿。着いてしまえば、襟裳岬の駐車場からはすぐだったのだが・・。犬がお出迎えしてくれていた。

 


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5 コメント

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襟裳の夏 (鮎川愛)
2017-08-23 20:48:14



だんぞうさんが訪れた季節が真冬の襟裳なら、この時以上に過酷でしたね。


そもそも「真冬の襟裳岬」など、観光客は1人もいないでしょう。


真夏でさえ、極北の地は、本当に大変だということを、だんぞうさんの体験で痛感しました(;゜0゜)


実際に踏破した「襟裳岬」と、歌だけで知っている「襟裳岬」は、天と地ほど、魅力も全く違うでしょうね(*´∀`)ノ
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Unknown (だんぞう)
2017-08-23 21:05:31
いやあ、真冬に行ってたら、凍死してたと思います。

やっとの思いでたどり着いた宿では、ストーブをつけてました。7月だというのに。
体が冷えきってたのでストーブはありがたかったです。

苦労しただけに、たどり着けた喜びは大きかったですけどね。

襟裳岬の歌詞がどういう経緯で出来上がったのかは、気になります。
返信する
「襟裳岬」 (鮎川愛)
2017-08-23 21:35:58
作詞家・岡本おさみさんが実際に襟裳岬を旅されたときは、真冬でした。


そして、だんぞうさんと同じく遭難されたのですよ(〇>_<)

やっと家を見つけて入った民家で、温かいお茶を出されて、命が助かったエピソードが残っています。


私も、大好きな歌の舞台は行ってみたいですね。


なお、「岬と灯台」、私が最も愛する風景です♪v(*'-^*)^☆
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Unknown (だんぞう)
2017-08-24 09:57:26
え?

岡本さんが襟裳を訪れたのは真冬でしたか。

そりゃ、私以上に大変だったことでしょう。
それこそ命にかかわる状況だったのではないでしょうか。

私が行ったのは夏でしたが、濃霧と風雨のせいで、体は冷え切っていました。
もしそれが真冬だったら、このブログが更新されることは、以後はなかったかもしれません。
管理者不在になって。


それにしても、鮎川さんはビートルズだけでなく、そういう逸話にもお詳しいのですね。

岬と灯台・・・絵になりますよね!

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Unknown (だんぞう)
2017-08-24 10:28:12
鮎川さんに教えていただいた逸話、この旅行記の本文の最後の方にに加筆させていただきました。
ぜひ書きくわえたい逸話でしたので。

ありがとうございました。
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