時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

襟裳岬の突端に立つ(襟裳&帯広・旅行記3)

2017年08月25日 | 

 

襟裳岬の宿に着く前に、あわや遭難しかけた私であったが、なんとか無事に宿に着き、一晩をあかした。

翌日、気分が高揚していたのか、朝の4時過ぎころに目覚めた私は、なにげに窓の外を見てみた。

窓の外には高波がうちつける、寒々とした海が広がっていた。

海には前日に負けないぐらい濃霧が一面に広がって、その霧はあたりを覆っていた。

 

 ↑ 襟裳の宿の窓からの眺め。寒々とした海が広がっていた。海面には絶えず高波が打ち寄せていた。

 

 ↑ 宿の窓からの眺めは、襟裳の海をめいっぱい眺められる、最高のロケーション。よか。

 

 ↑ 襟裳の海には岩場が多かった。 ♪襟裳の~海は~高い~波の~海です~

 

 

「今日も濃霧か・・・」

そう思い、落胆した私。

だが・・・窓の外をよく見てみると・・・どうやら雨だけはあがっていた!

 

出来れば晴れてほしかったが、とりあえず雨だけでもおさまってくれただけでも良しとしよう。

そう思い、宿を早めにチェックアウトし、私は前日行けなかった「襟裳岬の突端への道」を目指すことにした。

 

 ↑ 宿から「風の館」方面への道。迷わなければ、すぐだった。前日は、道を間違えたため、あわや遭難しかけた・・。

 

あいかわらず霧は深い。

風もかなりのものだ。

だが、雨さえ降っていなければ、行ける!

雨には負けるが、風や霧には屈したくなかった(笑)。

だって・・はるばる、あのアクセスの悪い中、はるばる襟裳岬まで実際に来たのだから。

途中、遭難しそうになりながらも。

それを無駄にしたくなかった。

 

襟裳岬突端への尾根道(?)は、階段が続いていた。その階段を私は歩きだした。

突端に向かって。道が途切れるまで。

 

↑ この日は幸い雨は降っていない。ならば、行こうじゃないか。せっかくここまで来たのだ、襟裳の突端には絶対に行っておきたい。このブログを見て下さってる方、さあ、写真で一緒に行きましょう。まずは、この下りです。

 

てなわけで、いざ出発。 

 

 

 ↑ 襟裳岬の突端目指して、スタスタ進む。歩く。霧の向こうへ。

 

 ↑ まだまだ進む。登りも下りも、なんのその。気にならない傾斜。晴れてれば、かっこうのハイキングコースだろうなあ。

 

 ↑ 時々振り返ったりしながらも、進む。霧よ、追いかけて来ないで。

 

 ↑ ♪襟裳の~春は~~のメロディを、つい口ずさんでしまうのは私だけではあるまい。

 

 

 ↑ もうすぐかな。ワクワク。歌「襟裳岬」の作詞者である岡本おさみさんも、この道を歩いたのかな。きっと、歩いたことだろう。

 

 

 ↑ お、ルートの終点だ。御覧の通り、柵で囲まれた場所が。展望台になっているのであろう。

 

↑ こんな説明板が展望台の脇に。襟裳岬の先端では、いつもならゼニガタアザラシが見えるらしい。

 

 ↑ 岬の突端、到着。なにか看板があるぞ。晴れていればなあ・・・。

 

 

「行き」は下りが多かった。なので、けっこうサクサク進めた。

 

気持ちが高ぶって来た。

あの「襟裳岬」の突端に、今自分は向かって歩いている。もうすぐ着く。

 

 

やがて・・・道の先に柵に囲まれたコーナーが見えてきた。

どうやらそこは、襟裳岬突端の展望ポイントのようだった。

よく見ると、看板がある。

その看板に書いてあったのは・・「襟裳岬突端」の文字。

 

 ↑ 襟裳岬突端の看板。ついに、ここまで。苦労しただけに、感慨深かった。

 

 ↑ 「襟裳岬突端」の看板の更に向こう。晴れてれば、眼下に海が広がっているのだろう。残念だなあ。だが、ここまで来れただけでもマシか。

 

↑ 突端の展望台から眼下には、御覧の通りの岩場が広がっていた、貴重な「襟裳の引き潮」の日だったから、見えたのかな。 

 

 

その柵の向こうにはわずかな崖先があり、その下はいきなりの崖で、下方には強い波がうちつける海が見えていた。

 

やってきたのだ。襟裳岬の突端に。

 

感慨深かった。

苦労しただけに、なおさら。

 

あたりには人っけはなかったが、しばらくそこで佇んでいたら、1人通りがかる人がいた。

その人いわく、その日は年に数回だけ襟裳岬で潮が引く日だという。

だから、あんなに岩肌が出ていたのだろうか。

とはいえ、霧は相変わらずだったので、さほど視界は広がらなかった。

それでも、雨が降っていないだけ、前日よりははるかにマシだった。

なにより、一応突端まで来れたのだから。

 

突端の展望コーナーにはベンチもあったので、少しそこで休憩した後、そこから更に崖下に降りられる階段があったので、私は降りてみることにした。

 

 ↑ 襟裳岬突端の展望台にあった、ベンチ。しばしここで時をやりすごす。なにやら、霧が幻想的に思えてきた。

 

↑ 襟裳岬突端の展望台のわきには、更に下に降りられる階段があった。せっかくだから降りていこう。 

 

 ↑ 襟裳岬突端の崖を、横から見る。

 

 

 ↑ 襟裳の海は、いつもこうして荒波が押し寄せるのだろうか。海水は、冷たそうだった。

 

 ↑ 霧のせいもあり、寒々とした海は、更に寒々として見えた。

 

↑ この岩場の風景は、貴重な「襟裳の引き潮」だから見えたのだろうか。 

 

波が押し寄せる岩場まで降りてみたら、そこには慰霊碑みたいなものがあり、さらにそのすぐ近くには小さな神社跡もあった。

 

↑ 襟裳の突端の岩場には、こんな慰霊碑があり、向こうには鳥居が見えていた。何の慰霊碑? 

 

 

↑ かつてここで悲劇があったそうな・・。 

 

慰霊碑は豊国丸の慰霊碑だった。

豊国丸に関して調べてみたところ、漁夫176人を乗せて昭和4年に函館を出港した汽船「豊国丸」は、襟裳岬で暗礁に乗り上げて座礁、遭難、沈没したらしい。

その際、78人が犠牲になる・・という海難事故があったらしく、碑は、その慰霊碑らしい。

 

それと、その近くにあった神社跡は、襟裳神社の跡らしい。

 

 ↑ 襟裳神社跡。孤独そうに見えたのは私の気のせいか。

 

現在襟裳神社は別の場所にあるようだ。とはいえ、さほど遠くはなさそうだ。

 

しばらくその岩場で私は佇んでいた。

波は白くなって、絶えず岩場に押し寄せていた。

 

 ↑ 慰霊碑の更に先まで行って、今来た道を振り返ってパチリ。

 

岩場の近くには砂利もあったが、そこは漁師などが海藻を干すのに使っているのだろう。

 

岩場から、さっき降りてきた襟裳岬の突端の看板があった展望ポイントがある崖を見上げてみた。

よく見ると、その崖の途中に海鳥がとまっているのが見えた。

 

 ↑ 襟裳岬突端の展望台のある崖を横から見ると、崖に海鳥がとまっていた。

 

 

 

↑ その海鳥とは、これ。襟裳岬突端の崖の途中にとまっていた。 私は貝になるより、鳥になりたい。

 

襟裳岬の突端に・・・いる。今。

北海道の地形の中での襟裳岬を考えると、陸地が剣先のように太平洋に突き出た岬。

ピンポイント的な、その場所の果てにいるのだ。

北海道の地図では、襟裳岬の左右は、なだらかな曲線でつながっている。それはまるで、孤独に海に突き出た襟裳岬の存在感を演出しているかのようでもある。

 

岡本おさみさんが作詞し、吉田拓郎さんが作曲し、森進一さんが歌って大ヒットした曲「襟裳岬」。そこに私は・・・ついにやってきたのだ。

自己満足の極みではあったが、その満足度はことのほか高く、感慨深かった。

 

曲「襟裳岬」のサビで「♪襟裳の春は 何もない春です」という歌詞があるが、当初地元人は、この歌詞をいやがる人もいたらしい。

「何もない」と言われてしまっては困る・・・・という思いであったろう。

だが、この曲のおかげで襟裳岬は全国に知れ渡った。その知名度は全国区になった。

なので、地元人にとっては、この曲には感謝の気持ちのほうが大きいという。

 

岡本さんと拓郎さんのコンビによる「旅歌」路線の曲が私は大好きである・・・ということは前にも書いた。

その「旅歌路線」の曲のうち、竜飛崎(竜飛岬)には、何年も前に私は行ったことがあるが、今回は襟裳にも来れた。

で、思ったことがある。

竜飛も襟裳も、電車やバスで来ようとすると、本当にアクセスに苦労する場所だ。

作詞した岡本さんは、そういう場所が好きなのかな。

そんなアクセスの悪い場所を選ばずに、もっとアクセスの良い場所を歌にしてくれたら、その「旅歌」を追いかけている私のような人間にとっては来やすいのになあ(笑)・・と軟弱な思いを一瞬持った私ではあった。

でも、そんな思いとは相反する思いを、実際に現地を訪れた私としては、より強く持つことになった。

その「より強い思い」とは、どういう思いかというと、そういうアクセスの悪い場所だからこそ、苦労してやっと無事に辿り着いた時の感慨は深いし、だからこそ、歌の題材にしたくなるのかもしれない・・ということだ。

 

襟裳の強風、高波、響き渡る海鳥の声、それらの音や景色が私にそれを伝えてくれてる気がした。

 

 

 

さて、その後、さっき来た道を戻り、私は「風の館」方面に帰っていった。

 

 ↑ 風の館への帰り道。登り階段の向こうに、風の館の建物が見えていたが、霧のため、写真では分かりづらいか・・。

 

 

で、岬の先端を見おろせる高台の上に立ち、前日には出来なかった散策をしてみた。

霧は相変わらずだったが、雨が降っていない分、歩いてまわることができ、前日撮れなかった写真を撮った。

 

 ↑ 襟裳岬灯台。高台に建っているため、灯台そのものの建物の高さは低い。

 

 ↑  だそうです。

 

 ↑  前日は出来なかった、灯台付近の散策。ここなど、晴れていれば絶景なんだろうなあ・・。

 

この日は路線バスで広尾に戻り、そこからバスを乗り換えて帯広方面に向かう予定だった。

さすがに2日連続でタクシーで帯広に戻るのは、金銭的なロスが大きいので。

 

襟裳から広尾に向かう路線バスは1日に2~3便しかない。これだけでも、いかにアクセスに苦労するか分かる。

1便乗り遅れただけでも、大変なことになる。なので、バスの時間割は命綱だ。

 

バス停は、小さな灯台の形をした、ちょっとした建物。

私はてっきり普通のバス停みたいなものを想定していたので、当初それがバス停であることには気づかなかった。

まあ、気づいてみれば、普通のバス停よりもむしろわかりやすいのだが。

 

 ↑ 一日に2~3便しかない、路線バスのバス停。一見、バス停には見えなかった。だが、わかってしまえば、目立つし、分かりやすい。ただ、初めての人は、これを当初はバス停であることを見落とす場合もあるのでは。 

 

午前11時過ぎの広尾行きバスに無事乗り込み、私は広尾に戻った。

広尾は、昔は鉄道が通っていた場所で、現地では駅の名残が残されていた。

広尾での乗り換えは、待ち時間があまりなく、スムーズに乗り換えることができた。

 

 ↑ 広尾のバス停。ここは昔鉄道が走っていた。この建物は、電車の駅舎をそのままバス停として使っている。そういや、東京にも広尾という駅はあるね。

 

↑ 広尾バス停の近く。 天気は回復。襟裳とここでは天候が違った。空は秋の如く。

 

 ↑ 鉄道記念公園のモニュメント。ここにかつて鉄道が通っていた証拠かな。

 

襟裳から広尾までは大体1時間ぐらいだったろうか。

そして・・広尾から帯広駅までは・・なんと2時間半もかかった。

都合・・襟裳から帯広までは、3時間半も路線バスに乗っていたことになる。

こんなにかかるとは・・。

移動だけで、半日かかってしまった。電車があれば、広尾から帯広までの時間はもっと短縮できたのだろう。

広尾まで電車が走っていた昔の時代が、少しうらやましかった。

 

 

 

↑ 広尾から帯広へのバスは、途中こんな風景の中を走る。これはバスの中から撮った風景。北海道を感じさせる風景が続く。 

 

ちなみに。今回の襟裳岬訪問は、決して天候に恵まれた旅行ではなかった。

なので、快晴でなかったのが、正直残念ではあった。

それを襟裳岬は察したのか(?)、この旅行の最後の最後に、襟裳岬は私にとっておきの風景、思わぬ姿を見せてくれることになったのだが、それが一体何であったのかは、この旅行記の最後に記します。それは後日。

 

とりあえず、次は「帯広&十勝川温泉」編になります。

 

なお、トップの写真は、宿の窓からの眺め。一瞬、曇り空の切れ目ができた時に、すかさずパチリ。

 

                      つづく。(←テンション上げ、明るく新たな気分で)

 

 

 

 

 

 


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